昔、事故をして骨折をした。怪我した時「ああ…やってしまったなぁ…」と激痛の中、冷静に思った。
病院にいってレントゲンをとった時、手首の骨がヒビと肘の関節の骨が細かく割れたようで診察の時に手術するか聞かれたし、「治っても肘は思ったように曲げれなくなるかもしれない」と言われた。
すごい不安に陥った。ほんの少しの不注意の事故で一生の怪我を負ってしまったことに腹が立ち、悔やんだ。幸い利き腕ではないし生活に困るものの支障は少なかったのが不幸中の幸いか。
ギブスが取れるまでやきもきした。ギブスが外れた時はすごく喜んだけど、筋肉も利き腕と比べてもわかるくらい痩せてるし、力も衰えて、関節も全く動かず愕然とした。自分の腕でなく他人の腕を移植されたような感覚。
そのころは病院も変え「リハビリの頑張り次第で変わります。」と言ってくれた。だから頑張れたのだと思う。当時の心無い上司は数ヶ月経つと「リハビリなんて労災金と時間の無駄だから行く必要ない」といい、病院の診察やリハビリにも満足にいけなかったのは忘れもしない。
でも絶対に治してみせる!と強い意志があったから、自分でのリハビリは毎日欠かせずにしたおかげで回復した。ホンマ痛くても必死になってた。今は肘を曲げたら骨が小さく鳴るくらいで元通り。
自分の意思が一番だろうがオイラは医師の言葉と周囲の励ましが大きかったかも。怪我次第だろうし診察にも簡単に診断を出せないだろうが医師は患者の心の不安を除くのも治療の一種だし出来てこそ名医だとも思う。
当時、競馬が好きでトウカイテイオーという名馬も三度の怪我で栄光と挫折を味わい奇跡の復活を成したのもあるし、最近では野球の松井秀喜選手も例をあげるとそうだ。
自分は能力あるわけでもなく、スポーツ選手でもないから怪我による挫折も小さいだろう。それに程度は腕の骨折。もっと重度の怪我や病気で悩んでいる人ってたくさんいてるだろう。
しかし痛くて苦しい時に諦めてしまっては、治る可能性を放棄してしまうと思うんです。無責任のようだが痛くても頑張って欲しい…と願っているのです。