
東奥日報夕刊読んでます。チェンジ!アメリカ大統領選が真っ向勝負です
明日の8月生まれは「諸事好調に推移する。が独断先行は信失う」です。ラッキーナンバー「4」、ラッキーカラー「赤」で健康運は◎となってます。四つ切りサイズの赤いスーツ姿の遺影がポイントになります。暮らしの記事「ストーンサークルフェスティバル」執筆者が「船越素子」で親近感を得ました。愛称はやはり「もっちゃん」でしょうか…。
ユニバースから買い置きしておいた「紅鮭ののっけ盛り弁当」を食べてます。この内容このボリュームで299円。
ス-パ-コンビニはもう完全に家庭の胃袋になっております。少子高齢化、共稼ぎ世帯、単身世帯の増加で家事の宅外化がますます進むでしょう。新しいビジネスチャンスです。
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今日は明治から昭和の実業家であります鮎川義介(あいかわ・よしすけ)翁の誕生日です。
日産自動車の復活がめざましい。日産は1933年に「自動車製造株式会社」として発足し、翌34年から現社名に変わりました。新興の企業集団、日本産業(日産)コンツェルンを率いる鮎川義介(あいかわ・よしすけ、1880~1967)が推し進めた新事業でした。カルロス・ゴーン社長が復活に導いた日産は売上高が10兆円を超え、新興国では日本大手トップの勢いです。純利益でホンダを抜いて、初の業界トップに立ちました。
東京帝国大学(現在の東京大学)機械科を卒業した鮎川はエンジニアを目指し、芝浦製作所(現在の東芝)にあえて工場の工員として入社。技術志向は鮎川の経済人としての特質でもあった。日立製作所や日産自動車などの企業群を擁する日産コンツェルンを率いた。
鮎川義介翁の名言で「至誠で人に接すれば、もしものときに助けてくれる」を胸に刻みます。
「至誠は天地を揺るがす」ということわざの通り、人間、至誠に終始すれば、絶体絶命の場合には、必ずや強力な支持者が背後に現れ起死回生の果報が授けられるものだ。どんな新事業でも創業から数年の間には、人生なら九死一生の境地ともいうべき危機に遭遇するもので、これは避けられない。かかる危局を打開していくには、ただ経営者の手腕や努力だけで乗り切れると思うのは間違いである。
東北のある大手互助会の債務保証履行で当社も2003年に会社経営で絶対絶命の境地に陥りました。首の皮一枚で青息吐息で藁をもすがる思いで悶々としていた2009年に、どん底にあった私に手を差し伸べてくれた2人の恩人がなければ、平安閣アネックスが存在もなく、会社も淘汰されていたでしょう。
古来、事業をなすには天の時、地の利、人の和と言い伝えられておりますがこれを貫くに「至誠」をもってしなくては事業の成功を期することはできません。これからはお客様に「至誠」を持ってサービスに徹することを新たに胸に刻みます。



「歌手1年、総理2年の使い捨て」「一内閣一仕事」「言語明瞭、意味不明」
竹下内閣は、竹下登が第74代内閣総理大臣に任命され、1987年(昭和62年)11月6日から1988年(昭和63年)12月27日まで続いた日本の内閣であります。自由民主党結党以来、初めての党内非主流派を閣僚にもたない総主流派内閣であります。私が青森に帰って就職した年であります。
「公平で簡素な新しい税制を実現することが、現下の急務だ。いかなる困難があろうとも『若(もし)聞人(きくひと)なくば、たとひ辻立(つじたち)して成(なり)とも吾(われ)志を述べん』との先哲の言葉を自らに言い聞かせつつ、この身命のすべてをささげ、全力を尽くす」
(昭和63年7月29日、臨時国会での所信表明演説。江戸時代中期の思想家、石田梅岩の言葉を引用)
青森市
11月 6日(火)
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21時 15℃ 1mm
冬の使者・白鳥飛来のニュースです。青森市桜川でも仲良く水面を泳いでいたそうです。来年4月ごろまで見ることができそうです。
朝の田の白鳥一羽光るかな(植竹美代子
)