最近、葬儀屋さんが主人公のドラマや小説が増えてきました。昨日、コンビニから買った劇画コミックも結構リアリティーがありました。世はマンガに連れ、マンガは世に連れなんでしょうね。葬儀屋さんに対するタブー視は減ってきております。
【普燈録】の出展です。
仏像を造るとき、素材となる金属の中に泥が多く含まれると、それを取り除くのにとても努力します。しかし、その苦労があるからこそ、仏像はより立派に仕上がります。
同じように、人間も困難が大きいほど、喜びも大きく、高次元に到達できます。
仏像を造るとき、素材となる金属の中に泥が多く含まれると、それを取り除くのにとても努力します。しかし、その苦労があるからこそ、仏像はより立派に仕上がります。
同じように、人間も困難が大きいほど、喜びも大きく、高次元に到達できます。
伊集院静さんの感性の金槌でいつも頭を叩かれております。
毎朝、大人の人生相談「悩むが花」をチマチマ読んでます。
伊集院静さんを10歳年上の兄貴と思いたいくらいシビレル人生相談の迷回答です。
今朝は研修医からの初めて死と向き合う話でした。
「医者の出発は患者の死と向き合うことからはじまるの。わしの主治医の先生は最初の患者が亡くなった時、何もできないから、その患者さんが作った童謡を病室で直立不動で歌ったんだと。医療に限界があるんじゃなくて、医療とは最初から限界を持っているものなんだ。医療に限らず、仕事というものは自分が無力だと知った時から、進歩がはじまるんだ。どんな仕事も限界を感じて、初めて仕事の本質を見つめられるものだ。何ひとつできなかったじゃないか、という疑問を抱いた時から何かを人間ははじめるんと違うのか」
限界突破は本当は限界を知ること。人生にも限界があります。限界を感じながら生きることだと気づきました。