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霞川氾濫

2016年07月21日 00時40分41秒 | 日記

7月24日追記

記録では、昭和34年の伊勢湾台風での氾濫記録無し、昭和49年台風16号、昭和52年7月22日集中豪雨、昭和54年台風20号、平成8年台風17号、平成10年台風4,5,平成14年台風6号、21号の記録はあります。いずれも床上、床下浸水で家屋に被害があったから記録されていると推定されます。

古老に話を聞いても、昭和49年と混同している節があり、そのときは、下の画の黄色矢印の左半分くらいのところまでを水が流れて家屋に被害がでてます。(第四小学校の北側を回り込んで流れた)

以下の内容は、昭和39年8月と推定されます。結婚する前年の年と具体的に説明された方がおいでで、年号に間違いないでしょう。当時は、田畑へ冠水だったので記録から抜けてると思われます。(一部家屋に浸水しているようですが、たぶん被害届等なかったので忘れ去られた水害)

以下は、7月21日UPの内容のままです

7月14日UPの  M7クラスが70%の確率 で、霞川の氾濫 霞湖 のことおを記載してますが、その後、少し周囲の方に話をしましたところ

昭和38年か39年にこのあたりで氾濫していることが判明しました。ただし、出不精な車椅子探偵もどきの私は(笑)、図書館で調べるとか、たずね歩くとかしていないので、詳細は、不明です。NETサーフインでは出てきません。ちなみに、この時期に大型台風が通過した記録もなさそうです。古老??の話では、年、月、日があいまいですが、昭和38、39年の様です。

1)霞川の改修工事の前で、まだ比較的川底が浅い、多少狭い、曲がっている等の時代でした。

2)人家も少なく、一面田んぼでした。

聞いた話と、推定で以下の範囲が氾濫したようです。地図はヤフーより転用(感謝!)

赤い線は、現在の霞川 左側の方で上の方に暗渠で青梅市第四小学校の下をもう一本通っています。その先の東京都青梅市根ヶ布の天寧寺裏にある霞池を水源としてます。

そのことから、赤い線の左側の方は支流と定義されます。

①あたりの大きく曲がっていたところで堰き止められ、水没したと推定されます。

地形的に青色の範囲が床下浸水程度の水没と考えられます。東西約800m~1000m

黄色の範囲が、床上浸水と考えられます。軽自動車の屋根まで水が来たようです。東西約300m

左から中ほどまでの黄色矢印の範囲で、当時左にあった材木屋さんからの材木が流れてきたそうです。

怪我、死亡等が無かったので記憶から無くなっているのではと推定します。

情報をお持ちの方は、コメント書き込み等お願いします。

同時期か不明ですが、子供のころ土橋だったので、その上まで水嵩が出て、北側が氾濫した記憶がうっすらあります。台風で田んぼに見回りに行ったときに、水路の蓋が開かずに困っていた人を助けて一緒に開けた覚えもあります。

幸いなことに、下流の大門町や入間市では、その後も氾濫したことがありますが、このあたりではそのような記録(記憶)はありません。また下流でも遊水池も出来ているので、氾濫が無くなっていると思われます。

霞川は、あばれ川と伝えられていますが、そのような経験がないので、本当?っていう感が強いですが、昔は確かにあばれていたようです。

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