e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

ポン・デュ・ガール

2010年08月25日 | フランス
先日、吉野方面に車を走らせた。

義経伝説の残る里を過ぎると

大きなダムが見えてきた。

谷間にそびえるダムを見ていると

フランス南部で見た

“ポン・デュ・ガール”(ローマ水道橋)を思い出した。

紀元1世紀ごろの建造物

現代のダムより 遥かに迫力があり 美しかった。

共に 水を利用する巨大施設

古代から 人と水の縁は深いもの

そして我々の身体の多くの部分は 水で出来ている。

「写真;ポン・デュ・ガール」


社長さん

2010年08月25日 | アジア
何年か前の夏 家族旅行に超格安パック旅行の“上海・蘇州”を選んだ。

関西空港集合に集まったツアーメンバーで学生(子ども)はウチの息子だけだったので、

参加者は我われ家族にいろいろと話しかけてくれた。

その中の一人の男性と話をしていると

彼はこの春まで大阪北部の自宅から 毎日、奈良の会社(工場)まで通勤していたという。

私たちが奈良から参加したということで 話題が奈良になっていったのだ。

私が「毎日の通勤大変だったでしょう・・・電車混みませんでしたか?何時間かかりましたか?」と質問すると、彼は「いや、私は自動車で通勤していたのです。」と答えた。「高速は混みませんか?高速代も毎日だったら大変だったでしょう。運転も疲れるし・・・」と私が聞くと、彼は「毎日二人で出勤していたから大丈夫です。」と答えた。私は勝手に近くの方と高速代を折半し、運転も交代でしていたのだと解釈した。

ツアーの途中で彼が大会社の社長だったという事を聞かされたが、なにせ超格安パック旅行メンバーのこと、特に関西人ばかりの集団・・・これも話題作りの一つかも?・・・ぐらいしか思っていなかった。

彼が本物の社長だって本当に分かったのは、関西空港に到着しツアーが解散するときだった。ANAの地上勤務員?秘書?落ち着いた超美人が彼に近づき
「上司の命令で無事帰国のお迎えに参りました。本日は当社をご利用いただき有難う御座いました。上司が中国からの到着便の搭乗者名簿に社長様のお名前を見つけましたもので・・・もっと早くに分かっておりましたら・・・・どうぞこちらに・・・・」てな話を始めたのだ。

彼はANAの社長と親しい? 関空の社長とも?・・・

本物の大会社の社長さんだったのだ。

「写真;パリの人」



























プロ中のプロ

2010年08月25日 | e411y全般
ここ最近、ニュースで ”プロ中のプロ”という言葉をよく耳にする。その度ごとに今回の旅でお世話いただいた添乗員を思い出す。
まさに彼は”プロ中のプロ”だった。出発の朝、関西空港に我々e411y23名の添乗のために、はるばる東京から来てくれた彼は大きな段ボール箱を持っていた。それを見た私は、きっと海外での訪問先へのお土産か海外支店への届け物?だと思い込んでいた。しかし、イギリスをロンドンからケンブリッジに移動しても彼はその箱を持って移動していた。その箱の中身が分かったのは、ケンブリッジから高速道路に乗りロンドンの空港に向かう途中のサービスエリアでの昼食の時、彼が「皆さん!本日の昼食はおにぎりです。久々に日本の味を味わって下さい!」って言ってくれた。我々はロンドンの何処かで彼が仕入れたものと信じ込んでいた。
食べながら話を聞くと彼は、ケンブリッジのホテルの自分の部屋でご飯を炊き、朝早くから23名分のおにぎりを作ってくれたのだ。具も2種類あり、のりも形もコンビニで売られているものとそっくりだった。つまり、彼のダンボール箱の中身は炊飯器と米と具だったのだ・・・。すると、彼自身の荷物は・・・機内持ち込みの手荷物だけ?16日間の長期の冬の旅行で・・・これは社長命令だとか・・・
その後フランス・マルセイユのホテルで彼は2度、朝食時にあの炊飯器でご飯を炊き、おかずとインスタントの味噌汁を我々に振舞ってくれた。慣れない海外の長旅での日本食は有難かったし、元気を貰うことが出来た。自分の荷物を減らしてお客様のために尽くす・・・さすがプロだなぁ~って思った。
「写真;パリの人」

イギリス料理?

2010年08月25日 | イギリス
昨日の夕食に“肉じゃが”を食べた

ジャガイモの食感が違うので

「これ新ジャガ?」って聞いた

正解だった

最近、ジャガイモを見ると

イギリスを思い出す。

イギリスで食べたイギリス料理?に出たジャガイモの量は

トンデモナイほど多かった。

そして、2~3食ほどイギリス料理?を食べて

その後 我々は・・・

イタリア料理、インド料理、中華料理へと

世界中を旅行しているかのような食事へと 

食事のメニューを変えていった。

今は あの多量のジャガイモが懐かしい。

あの料理の写真を撮っておけばよかった・・・

「写真;ケンブリッジのレストラン」

桑の実

2010年08月25日 | 趣味の園芸
今朝から遅ればせながら家人と氏神様へ

道中の話題は “昨夜のデジカメ蛍狩り”

昨夜二人で 自宅前を流れる川でホタルの撮影

そうしていると 私たちのいる橋に

ホタルが1匹飛んで来て止まった

それからが大変 そのホタルをモデルに何度も

撮影しようとしたのだけれど・・・

そんなに簡単に写るわけが無い!

諦め半分、満足半分で家に戻り 

酒飲みながらPCで写真の確認と

W杯のTV観戦をした・・・という話

歩きながらふと横を見ると一本の桑の木が

近づいて探すと予感的中!

“桑の実”発見!

家人は見るのも食べるのも初めてだという

私たちは桑の実を食べながら

さらに氏神様への坂道を登る

私は小さい頃の桑の実の思い出話をし

家人は「赤とんぼ」の歌を歌う・・・

氏神様には誰がお供えしたのか

“吉乃川”という新潟の酒? 

よくブログお邪魔する新潟の方との不思議な縁を感じ

氏神様からの帰りは勿論 桑の実の収穫

手が桑の実で赤くなってしまった

「写真;桑の実」


さなぶり餅

2010年08月25日 | グルメ
先日、仕事が終わって家に帰ると

母がニコニコしている

「何かあったん?」って聞くと

「ご近所から お餅を貰ったんやけど・・・」

「今頃、餅って何よ?」と聞き返すと

「田植えも終わったので・・・っておっしゃったんだけど・・・

 そこのお家 田んぼしてはらへんのよ・・・ 

ほんまやったらウチが作って配らなあかんねんけどねぇ~」と母は答えた。

「そういうたら昔 さなぶり餅ってあったよなぁ~ 

あれはいつの季節やったん?」って聞くと

母は「田植えの終わったちょうど今や 小麦で餅をよう作ってたなぁ」と答えた。

そう言えば我が家でも 昔は小麦を収穫した後 田植えをしていた

当時は麦の文化がもっと近くにあったんだ・・・

歴史の教科書で稲のことは教えるが

麦についてはあまり書かれていない

地元の三輪そうめんも麦で出来ているのだし・・・

そうめんが大陸から日本に渡ってきた頃に 

麦はここにあったの?だから

今は麦がすごく遠く感じられる・・・

「写真;麦畑と三輪山」


被爆アオギリ2世

2010年08月25日 | 趣味の園芸
昨日の毎日新聞によると

今年の8月6日 広島で

“アオギリサミット”が開催されるとか

そのアオギリとは 広島に原爆が投下された後

最初に広島の地で緑の芽を出したのが

被爆したアオギリだったとか・・・

その被爆アオギリの種子を

被爆体験を語っておられる方が 希望者に配布し、

広島を訪れた人たちに 平和の大切さを訴え続けてこられたのだ

日本全国・全世界に広がった被爆アオギリを育てている人たちが

今年の夏、広島に集まろうというサミット

実は 私の家にも“被爆アオギリ2世”がある。

昔、家人が広島で沼田鈴子さんから貰ってきた種子を蒔いて発芽したものだ

アオギリと平和・・・

この夏、ヒロシマへ行ってみようか・・・

「写真;被爆アオギリ2世」


6月のカレンダー

2010年08月25日 | イギリス
6月のロンドンのカレンダーは

タワーブリッジを背景に建つ超近代的なビル

あの旅でロンドン市内観光をしたけれど

ロンドンの景観規制って 

厳しいものだと信じていた

大英帝国

歴史と伝統を重んじる国 etc・・・

でも副都心?の超近代的なビル群を見たら

コ・コ・ハ・ド・コ? って感じで

ロンドンの町のイメージが

大きく変わってしまった。

さすがロンドン?

されどロンドン?

「写真;ここがロンドン?」


オオサンショウウオ

2010年08月25日 | 我が家
何年か前のちょうどこの季節の頃

親父は毎朝 田んぼの水を見てまわる

ある朝 田んぼの水路に

黒いゴミ袋のようなモノが引っ掛かっていたので

親父は水路に入りそれを取り除こうとした

すると その黒いゴミ袋と思っていたものは

ゆっくりからだを仰け反らせて口を開け

親父の腕に噛み付こうと・・・

親父は それを放して近所に応援を求め

麻袋に入れて 家まで持ち帰った

「昔はハンザキ(オオサンショウウオ)をよく食べたものだ」って話しながら

警察に電話したら 天然記念物は教育委員会だと言われ

教育委員会に電話したら 県に問い合わせるので

しばらく家に置いてくれるように頼まれ

その後 新聞社の取材やら 近所の小学校に教材として出張するやら

結局 数日後 オオサンショウウオは

住んでいたであろう上流の山の小川に戻すことになり

親父の軽トラに乗せてもらって 山に帰っていった

体長78cm、体重4kgの立派なヤツだった。

「写真;新聞に載ったオオサンショウウオ」


草津市立水生植物公園みずの森

2010年08月25日 | 自宅から東へ
滋賀で学生生活している長男が

米が無くなりそうだ と言うもので

今日は家人と滋賀まで 米の配達

他には 自宅の畑で採れた

エンドウ豆に大根とキュウリも・・・

配達の後 日本一の蓮と睡蓮の品種を集めたという

 

へ開花している睡蓮を見に立ち寄った。

館内入口のスロープには

オランジュリー美術館「睡蓮の間」の再現もあり

アトリウム内の熱帯性の睡蓮も見事だった

でも 今の私には我が家の睡蓮がやっぱり1番!

「写真;睡蓮と琵琶湖風景」


ヘミングウェイ

2010年08月25日 | フランス
昨夜 お酒の美味い新潟の方のブログを拝見したら

タイトルは 「日はまた昇る」だった。

私はヘミングウェイを思い出した。

今回の旅で

パリの中心街?でカタツムリの昼食をとり

バスに乗り込み 本当に少し走り出したとき

案内の方が 

「あのドゥ・マゴというカフェに 

   ヘミングウェイがよく通っていた」

って説明してくれたっけ。

ヘミングウェイもパリにいたのだ。

ヘミングウェイか・・・

長らく読んでいないなぁ・・・

彼の本を読み漁っていた頃が懐かしい。

最近TVでオオマグロを捕る漁師の姿がよく映る。

それを見るたび ヘミングウェイの「老人と海」をイメージしていたのだ。

自分にとって 何かと“タタカウ(戦う・闘う)”ってこころが

随分遠くに行ってしまっているなぁ・・・って思った。

「写真;パリのカフェ ドゥ・マゴの前にあるサン・ジェルマン・デ・プレ教会」


甲子園浜

2010年08月25日 | 野鳥・昆虫・野生動物
5月21日(日)の毎日新聞朝刊の1面に

兵庫県西宮市にある甲子園浜で羽を休める

ハマシギたちの写真が載っていた。

まだ甲子園浜は干潟として残っていたのだ・・・と思うと・・・感動した。

今から30年近く前

その甲子園浜干潟保護運動とやらに先輩に連れられ参加し

この甲子園浜は阪神間で唯一の干潟であり渡り鳥の休憩場所!!

って訴えていた学生時代を思い出した。

当時 野鳥の会? それ何? って時代に

何年かにわたり甲子園浜で

春・秋の野鳥の渡りを観察し記録し その貴重さを訴えたのだ。

残っていて良かった! 

昨日新聞で野鳥の元気な姿が見れたのだから・・・

昨夜はこの土日に帰宅していた息子を送って神戸へ・・・

是非、阪神高速湾岸線を神戸へ走ってみたいと思った。

「写真;ロンドンの公園」


ロダンの“考える人”

2010年08月25日 | フランス
先日、ロダンの“考える人”がTVに流れていた。

ロダン美術館の“考える人”の像の下に 

ロダンが眠っているという映像。

私たちが バスの車窓から見た“考える人”は

ロダンの墓碑だったのか・・・知らなかった。

写真では三角形の形をした木の

左から二番目の木と三番目の木の間に、

チラッと背中を向けて

座っているはずなのですが・・・

彼はいったい何を考えているのでしょうか?

いい考えは浮かんだのでしょうか?

私の悩みは・・・


今度 パリに行けたなら訪れたい場所の一つです。

「写真;ロダン美術館」


奈良ドリームランド閉園

2010年08月25日 | 県内
先日の新聞に

“奈良ドリームランド閉園”の記事が載っていた。

私が小さかった頃

随分お世話になった遊園地

それは私のアルバムにモノクロ写真で残っている。

そして、私の子どもたちを連れて行った

思い出いっぱい詰まった遊園地

小さい我が子を抱いた私たちが楽しそうに笑っている写真が

写真楯に納まっている・・・自分が若い!

家族二世代の思い出がいっぱい詰まった

あの遊園地が閉園してしまう。


数年前に、同じ県内にあった

あやめ池遊園地も閉園してしまい

本当に寂しいかぎりである。

巨大なテーマパークには無い良さのある 

家族でくつろげる遊園地だったのに・・・。

実のところ 孫でもできれば連れて行ってあげたいと思っていたのに。

そのことの方が 本当は残念なのかも知れない。

「写真;アルルで見かけたメリーゴーランド」


ハナミズキ

2010年08月25日 | 趣味の園芸
ハナミズキの美しい季節が過ぎていこうとしています。


ここ最近カラオケで一青窈の「ハナミズキ」を歌うので、私はこの季節が来るのを心待ちしていたところがあるのです。




空を押し上げて
 手を伸ばす君 五月のこと
 どうか来てほしい
 水際まで来てほしい
 つぼみをあげよう
 庭のハナミズキ

 薄紅色の可愛い君のね
 果てない夢がちゃんと
 終わりますように
 君と好きな人が
 百年続きますように


でも この歌がアメリカの同時多発テロを歌った曲であることを今日まで知りませんでした。

「写真;庭に咲いたハナミズキ」