e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

談山神社の伽羅天井

2010年08月28日 | 建築物
談山神社・拝殿の説明に

「朱塗舞台造の拝殿内部は、“千畳敷伽羅の間”と呼ばれ、中央の天井に伽羅の香木が用いてあることで有名です。永正17年(1520)に創建されました。」とあった。

伽羅(きゃら)の香木か・・・これも調べてみやんとなぁ~ 「平安時代の貴族たちの楽しみの1つに、香がありました。和歌を綴った短冊に焚き込め、匂いを移したこともあったといいますから、いうなれば “香りつきの恋文”だったのでしょう。戦国時代になると茶の湯と並び、香は武将たちにも嗜まれます。さらに江戸時代には将軍家や大名家、また遊郭にも流行っていったそうです。徳川家康は、東南アジアから香木を熱心に集め、中でも伽羅を好んだことが伝えられています。主に東南アジアを産地とするジンチョウゲ科の常緑樹で、土に埋もれた樹木が腐敗した後に、残った樹脂が固まったものです。沈香の中の最も秀逸なものとされます。 たいへん貴重で高価な伽羅は、同量の黄金と取り引きされたそうです。最高級の伽羅となると、現在でも1グラムで1万円にもなるものがあるといいますから、純金をはるかに上まわる価格です。」

調べて驚いた・・・

“伽羅”って“東南アジア”?“ジンチョウゲ科”?

そうしたら我が家の庭の“キャラ”は一体何やねん?

やっとそれらしいモノに辿り着いた。

“キャラボク”!
「イチイの変異種。本州の日本海側や朝鮮半島、旧満州に分布する常緑低木。樹形は平たい半球形になる。 葉は平たい線形で、先端はやや尖り、濃緑色。冬はやや褐色を帯びる。 種子は球形で、赤い多汁質の仮種皮に覆われる。 キャラボクは低木で、枝に葉が不規則につくが、イチイは枝に葉が2列に並び、先端でらせん状につく。」

少しは賢くなれたかなぁ~













百味の御食

2010年08月28日 | グルメ
昨秋、私の家にムカゴを探しに談山神社の方が来られたことをブログに書いた。

私たちは一昨日、雪の談山神社の拝殿で、

“百味(ひゃくみ)の御食(おんじき)”として飾られた、

我が家のムカゴに再会した。

10月の嘉吉祭から4ケ月ほど経っているので傷んではいるが、

我が家の畑で採れたものとして観ると、

どこか愛着を感じてしまう・・・

でも、ムカゴの横に飾られた米粒を食紅で染めて積み上げ模様を作った

“和稲(にぎしね)”に目を惹かれてしまう。

そのお隣の稲の禾を使った“荒稲(あらしね)”も見栄えがよい。

ん・んnn・・・

我が家で産まれたムカゴにも

もうちょっと目立ってほしかったなぁ~




五十回忌

2010年08月28日 | 我が家
今日は少し前から準備してきた亡き祖父の“五十回忌”。

親父は、自分が元気なうちに出来ればと楽しみにしてきたこと。

今朝から、我が家に親戚が集まり法要を営んだ。

我が家のご本尊の前には“赤い蝋燭”と“お赤飯”。

仏事でありながらメデタイのだと言う。

お寺さんも、「子どもが親の“五十回忌”が出来るのは、

親が早ようで亡くなることと、子どもが長生きすることの、

二つの条件が必要なんや。

どちらに焦点を当てて考えるかで、モノの見方や考え方も変わってくる 。

まず第一に、今日こうやって皆が集まって法要が出来ることに

感謝せなあかん。」と仰られた。

しかし、外を見ればこんな日に限って天気予報通りの凄い雪。

法要後の墓参りは大変やったし、

会食を予約してた送迎バスもスリップ。

皆で、我が家に縁のある談山神社にお参りもした。

一生忘れられない雪の日になった・・・

「写真;雪の談山神社」


赤と黒のブルース

2010年08月28日 | 我が家
表装に出し、年末に仕上がっていた

“四国遍路の掛け軸”を床の間に掛けてみた。


阿弥陀仏の周りに89個の御朱印。


四国のことが思い出される。

最初は2003年7月5日。

徳島県内は日帰りバス旅行を5回。

それからはマイカーで1泊2日を4回、2泊3日を1回。

結願は2007年8月6日やった。


ブログのコメントに四国遍路の話題の書き込みがあると、

ガイドブックを本棚から取り出して眺めてしまう。


もうすぐ、亡き祖父の五十回忌。

親戚に集まってもらい年忌を行う。

そのときまでに間に合うようにと、四国遍路を急いだのだ。


西国 札所で朱印を書いておられた恩師は、

この朱印を“赤と黒のブルース”と言っておられた。

なかなか上手い表現やなぁ・・・


せやけど・・・

お四国の掛け軸は、思い出も多い分、

お金もかかったよなぁ~















心訓七則

2010年08月28日 | 薀蓄
福沢諭吉 心訓七則

一.世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つと云う事です
一.世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です
一.世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です
一.世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です
一.世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩にきせない事です
一.世の中で一番美しいことはすべてのものに愛情をもつ事です
一.世の中で一番悲しい事はうそをつく事です

本当は、福沢諭吉が言ったかどうか分からないそうですが・・・

それでもいい言葉だと思っています。

今の時代に生き、見聞きすることがあまりにも醜過ぎはしませんか?

「写真;雪の談山神社十三重塔」

恵方巻

2010年08月28日 | グルメ
昨夜からの雨が深夜に雪に変わった。

朝起きると、白い世界。今日は“節分”。


家人は近所の寿司屋に電話を入れた。

そう、太巻き寿司“恵方巻”の注文だ。


いつ頃から、我が家にもこの行事が入って来たのだろう?

昔は、なにかあると家で寿司を巻いていた。しかし、節分に食べた記憶はない。

20~25年ほど前からやろか・・・


太巻きのお寿司を丸ごと1本、丸かぶりして食べるのだ。(包丁は不要)

食べる(お願いする)方向は“恵方”。本年は南南東。

ただし、食べ終わるまで喋ってはいけない。福が逃げてしまうから・・・


子どもがいた頃は楽しかったけど・・・

私と家人、親父と御袋、

「干瓢が噛み切れへん・・・」だとか

「1本も食べられへん・・・」だとか・・・


離れて暮らす子どもたちは、今日、恵方巻を食べるのだろうか?

外は雪景色やけど、明日からはもう“春”なんやなぁ~


“素心”とは

2010年08月28日 | 趣味の園芸
“蝋梅”の花が美しい季節。

少し調べてみたい気持ちになった。

“蝋梅”は、 中国原産の落葉樹で真冬に満開の花を咲かせる数少ない花木の一つ。

名前の由来は、花の色が蜜蝋に似ているからという説、透明感のある蝋細工のような梅に似た花を咲かせるからという説、陰暦の12月(臘月)に咲く梅に似た花であるからという説がある。

“蝋梅”の基本種は内側の短い花弁が暗赤紫色をしているが、花弁全体が同色で黄色もの“素心蝋梅”と呼んで区別している。
さらに“素心蝋梅”の中でも、花弁の先が丸いものを“満月蝋梅”とよぶ。

“満月”は分かるけど、“素心”って何?

今度は“素心”という言葉に興味が湧く。

“素心”とは、

① ふだんの考え。本心。

② いつわりのない心。かざらない心。 のことだとか・・・

今度の休日、そんな目で蝋梅を観察しようと思う。


芭蕉の生家

2010年08月28日 | 建築物
今日の趣味の園芸は、水田にJAの“ケイカル”を撒く作業。

“ケイカル”とは、ケイ酸と石灰の他に苦土、マンガン、鉄、リン酸など微量要素を含む、優れた土づくりの肥料のこと。


単調な作業をしていると、脳みそはいろいろ勝手に考えてくれるものだ。


最初は、昨夜見たTV『天河伝説殺人事件』。

昨夏、レインボーガーネット探しに天河に行き、天河弁財天にお参りしたのが 懐かしい。
次に今朝から見た旅番組。東北・遠野でキュウリを餌に河童を釣ろうとしていた。

東北か・・・ええやろなぁ~  

東北と云えば、やっぱり“奥の細道”、芭蕉やなぁ~

それからは作業をしながら、中学校の時暗記した“奥の細道”を思い出そうと苦労する。

『月日(つきひ)は百代の過客(くわかく)にして、行きかふ年(とし)もまた旅人なり。舟の上に生涯(しやうがい)をうかべ馬の口とらへて老(おい)を迎ふる者は、日々旅(たび)にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風(かぜ)にさそはれて漂泊(へうはく)の思(おもひ)やまず、海浜にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上の破屋に蜘蛛(くも)の古巣(ふるす)を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞(かすみ)の空(そら)に、白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神(だうそじん)のまねきにあひて取る物手につかず、股引(もゝひき)の破(やぶ)れをつづり・・・』


私が作業している水田は、江戸時代は伊賀上野・藤堂藩の領地だった。

我が家のご先祖様は、その領地の管理をするのが仕事だったと伝え聞く。

つまり、芭蕉さんの生家と同業だったのだ。

私も久々に旅に出てみたいなぁ~

「写真;芭蕉の生家」













鹿せんべい

2010年08月28日 | グルメ
昨夜もTV「鹿男あをによし」を見た。



奈良が舞台なので、登場したのは“鹿”。



“鹿”と云えば、 やっぱり“鹿せんべい”!

先週、主人公も奈良・飛火野でこっそりそれを食べていた。



世界中で“鹿せんべい”を食べたことのある人間は、一体何人くらいいるのだろうか?



じつは私も“鹿せんべい”を食べたことのある人間のひとりなのだ。



それは大学生の頃、コンパの罰ゲームで。



一束食べたがあまり味がなかったので、最後はマヨネーズをつけて食べた。



“鹿せんべい”の主成分は米ぬかと穀類。



鹿の健康を守るため天然の材料で作られ、砂糖や刺激物などは一切使用していない。



なんと云うか、“食の安全”を考慮した優良食品なのだ。



でも・・・“鹿せんべい”を人間が食べる件に関しては、“食品衛生法”に違反するのかも知れません。

“鹿せんべい”は、江戸時代の1670年代に売られていたというのだが、



人間が食べる“鹿せんべい”を販売しようと、誰もしなかったのは謎だと思った。



※“鹿せんべい”の売り上げの一部は、奈良の鹿の保護に役立てられています。




蓑虫庵

2010年08月28日 | 建築物
私がこの“蓑虫庵”の名前を目にしたのは、今年の正月。


伊賀一宮の敢国神社への初詣を終えて、伊賀上野の町に少々寄り道し、そこで“獅子舞”に出会ったわけだが、その時、“蓑虫庵”という表示を見たのだ。


何が気になったって・・・それは、“芭蕉”と“蓑虫”との関係。


調べてみると、

『伊賀上野には「芭蕉五庵」(無名庵・蓑虫庵・東麓庵・西麓庵・瓢竹庵)と呼ばれる芭蕉にゆかりの草庵がありました。その中で唯一現存するのがこの蓑虫庵です。

芭蕉の門弟服部土芳は、貞享5年(1688)3月4日ここに庵を開き、些中庵と名づけました。当時城下町の最南端に位置し閑静な場所でありました。

折りから「笈の小文」の旅で伊賀上野 に帰郷していた芭蕉が1週間後の11日にこの庵を訪れ、庵開きの祝いに

「みのむしの 音を聞にこよ 草の庵」

の句を贈ったことから、上五の「みのむし」を取って蓑虫庵と呼ばれるようになりました。』とあった。


いったい“みのむしの音”って、蓑虫が何をしている時の“音”なのだろうか?

“蓑虫かぁ~”・・・

最近、朝寒くて、布団から出にくい自分を連想してしまった・・・


※ 清少納言によれば、蓑虫は「ちちよ ちちよ」と鳴くことになっているそうです。
















上野まち

2010年08月28日 | 自宅から東へ
昨日は午後から用事で“上野”へ。

この写真の道路標識を見たら、“上野”、“青山”とあるので、東京と間違ってしまいそう?

そんなことあるはずがナイ!

私が訪ねたのは“伊賀上野”。

以前、このブログで紹介した、“西岡たかし”の“上野市(うえのまち)”という曲

♪私が訪ねた 上野まち    

忍者屋敷の 上野まち

 小さなお城の 伊賀の町   静かな暮らしの 上野まち

 くわ町、かや町、広小路、もすこし揺られて上野まち♪ 


の舞台であり、松尾芭蕉や伊賀忍者の故郷なのだ。

昨日は、曲に登場した“茅(かや)町”の電車の駅を発見した。

さすが伊賀上野! 駅にも忍者が!

茅町の恵美須神社は“初恵比寿”?すごい賑わいでした。

用事を済ませた後は、以前から訪ねてみたかった芭蕉の“蓑虫庵”へ。




























地産地消

2010年08月28日 | グルメ
本日の趣味の園芸は“田んぼの高低さをなくす”。

じつは昨年の夏、洪水があって水路が氾濫し、土砂が我が家の水田に・・・

スコップと鍬で高い所の土を削り、一輪車に乗せて低い所へ運んだ。

昨夜の酒が汗となって体外に・・・気持ちいい!

水田を起こす前の作業のひとつなのだ。


最近、“地産地消”って言葉をよく耳にしますよね。


「地産地消」とは、「地元生産-地元消費」を略した言葉で、

「地元で生産されたものを地元で消費する」という意味で

特に農林水産業の分野で使われているそうです。


家人に「我が家の場合、“自産自消”って言うんやろうか?」って言ったら、


「そんな言葉ないやんかぁ~。我が家は“自給自足”や!」って


答えが返ってきた。


せやなぁ~ ご尤も!

もともと“自給自足”というピッタリな言葉があったんや・・・


お鍋の季節、我が家で育てた野菜は特に美味しいですよ!











石上神宮の神鶏

2010年08月28日 | 野鳥・昆虫・野生動物
昨夜より、奈良を舞台にしたTV『鹿男あをによし』がはじまった。

まだ第一話が放映されただけなので、詳しいことは分からないのだが、奈良の風景が久々に全国に流れることを嬉しく思う。

そんなことを思い出しながらTVを見ていたのだが、

去年の秋、“卑弥呼の仮面”をテーマに“山辺の道”周辺を散策したときに

“石上神宮”で出会った不思議な“神鶏”のことが脳裏に蘇ってきた。

国宝七支刀で有名な“石上神宮”の鳥居をくぐったところにある

“祓所”周辺には、たくさんの鶏がいた。

偶然七五三のカメラマンを頼まれた帰り、

たくさんいた鶏のなかの一羽の真っ白な“鶏”が、私の横を歩き、

神社の参道を200mほど見送ってくれたのだ・・・


あの“鶏”は、私になにかを伝えたかったのだろうか?

もっと私がしっかり聞いていれば、その声が聞こえたのかもしれない。

でも、その声が聞こえてたら、私は“鶏男あをによし”なのだろうか?


追記

本日、職場では『鹿男あをによし』の話題で盛り上がった。

主人公の玉木宏を奈良の喫茶店で見かけただとか、

奈良ビブレの駐輪場に鹿が繋がれていただとか・・・


小豆粥

2010年08月28日 | グルメ
今日は1月15日、“小正月”。

朝食の“小豆粥”を、昨年もブログで紹介した“すすきの箸”で食べた。

http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2007/01/post_2185.html





すすきの穂先から僅かだが残っていた種子が食卓に舞い落ちる。

食べづらいのも楽しみのひとつ。


出勤しようと車庫へ行くと、母が供えた小豆粥が入口にあった。(我が家では、家屋等のすべての入口に供えている。)


母はあと何年、この日に早起きをし、小豆粥とすすきの箸を準備してくれるのだろうか。

昨日はとんど、そろそろ田んぼを起こさねば・・・


“小豆粥”と“すすきの穂”について調べようとインターネット検索したら、

Yahoo!で最初に、Googleで2番目に出てきたのが“e411y”

つまり自分のブログだったのには、正直驚いてしまった。


もしかしたら、今朝から“すすきの箸”で“小豆粥”を食べてたんは、日本中で私の家族だけなんちがうやろか?


今日のお勉強

『小豆粥は邪気を払い、招福を祈る縁起物。ふうふうと吹いて食べると福が飛んでいってしまうといわれています。くれぐれも吹かないように気をつけて!』とありました。


「写真;我が家の出入り口に供えられた“小豆粥”」





















ガメラ出現!

2010年08月28日 | 我が家
昨夜は新年会、ブログの連続投稿は途切れた。


帰宅したのは午前様・・・


しかし、我が家の前を流れる川が気になる。


先日より河川の整備工事?がはじまり、川底に堆積した土砂が重機で取り除かれたのだ。


その作業によって出現したのが、我が家を守ってくださっている“お亀様”の頭の部分。


そう、以前ブログに書いた、私が祖母から聞いた我が家に伝わる“亀石伝説”!

昨日の出勤時、作業員のおじさんがその亀の頭に乗って、鍬やら箒で石を綺麗にしてくれていた。

私には、その作業が愉快に見えて、

おじさんがしなくても、この三連休に私がするのに・・・と思って眺めていた。

だから、酔っ払って帰宅しても、真っ暗な川の中の亀が気になったのだ・・・

昨夕からの雨は、久々に地上に出現した亀の顔を洗い、

我が家の前に、さっぱりした顔のガメラ?が出現した!