e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

龍王山城

2010年08月28日 | 
去年のことだったと思うのだが、ぼんやりTVを見ていたら、


中世の山城を探し歩くのが趣味という男性が映っていた。


彼はTVの中で“中世の山城の魅力”を以下のように楽しそうに語っていた。


中世の山城には、一般の人がイメージするような石垣はほとんど存在しない。


山頂部を削平して平坦地を造成したところ(曲輪)や土を削ったような穴(堀)、土を盛ったような箇所(土塁)などが残っているだけなのだ。


そんな“土”だけでできた城が、長い年月の雨風により形が崩れ、 その上に樹木が覆い茂ってしまっている。


そんな場所を、昔を思いながら遺構を探し歩くのが楽しいのだと・・・


私は、あのとき彼の言っていることがよく分からなかった。


でも、今回の龍王山北城で植林された桧林の中で

中世の“虎口”や“土塁”、“土橋”、“馬池”を見て、

自分が勝手にワクワクしてしまう気持ちを感じたとき、

そんな自分が嬉しくってショウガナカッタ。

なにか癖になりそうなものさえ感じたのだ・・・

そう云えば、“城”という漢字は、“土”で“成る”と書くのだなぁ~

「写真;龍王山南城への道 」


















龍王山

2010年08月28日 | 山・川・水・温泉
この日曜日は、ものすっご~い晴天!


家人は友人と大阪へ歌舞伎の観劇に。


私は留守番やったけど、こんな天気のいい日に家にいるのはモッタイナイ!


それならば、以前から登ってみたいと思っていた天理の“龍王山”へ。


柿本人麻呂の歌に

「衾道を引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりともなし」

と妻の急死を悲しんだ万葉歌があるが、

その“引手の山”が“龍王山”と考えられているそうだ。


“龍王山”は、奈良盆地の東側の山々の中で一番高い山(586m)。


山頂にある龍王山城跡は、中世に築かれた大規模な山城なのだそうだ。


そこは、奈良県でも最も美しい夜景を見ることができる場所として有名で、


その展望の良さは奈良盆地を一望できるとのこと。
空気の澄んだ最高の条件がそろえば、

西方向う大阪市の向こうに大阪湾・明石海峡大橋が望め、

北方向の木々の間からは奈良市の向こうに京都タワーも見えるそうだ。
山頂からの展望を期待して出発したの だが、

天気が良すぎて、N盆地すらも霞んであんまり見えず。


でも、気持ちよかった!


龍王山城の歴史や伝説はまた後日・・・


「写真;龍王山を望む、麓には長岳寺がある。」


信楽焼きと蕎麦

2010年08月28日 | 麺類
4日の夜は長男を送って滋賀へ、伊賀・信楽を越えるドライブ。



行きの車を運転したのは長男。



家人は後部座席で○○中・・・



これで、久々に家族全員で過ごした時間も終わってしまうのだ。



年末年始の暴飲暴食で弱った胃を気遣いながら、



「何か食べへんか・・・」と、息子を誘う。

1月4日の夜、その道中で営業している店は少ないようだ。



信楽で以前から気になる蕎麦屋があったので、そこを覗いてみることに。

幸運なことに駅前にある店には、灯りがついていた。



落ち着いた雰囲気というか、ほぼ貸しきり状態のお店。



店主が横に来て、店の説明をはじめた。



店主は神戸、芦屋で活躍した陶芸家だそうで、震災と還暦を機に、



茶道・華道・陶芸と慣れ親しんできた数寄者として、



食と陶器のコラボレーションを表現しに信楽に来たとのコト。



店内に置かれた見事な“信楽焼”の花器を見ながらの食事、



もちろん食器もすべて店主の作。



正月早々からエエモン見せてもろた。

行きはヨイヨイ、帰りは・・・



冬場の信楽は関西で最も内陸、冷え込むところ。道路の凍結要注意!


年賀の酒

2010年08月28日 | 
“除夜の鐘”を聴きながら氏神様へ初詣。


我が家から“除夜の鐘”が聴こえるというのも、考えてみれば贅沢なこと。


そこで新年の初勉強は“除夜の鐘”。


『12月31日、大晦日の夜を1年の日ごよみを除く夜と言う事で除夜と言いう。1年の最後の夜を締めくくり、暮れゆく年を惜しむ意味で昔からいろいろな行事が行われてきた。そのひとつに、新しい年を迎えるにあたり除夜の鐘が108回あちらこちらのお寺でつかれる。
では除夜の鐘を108回つくのはなぜ?
108という数が人の煩悩の数だというのは有名だが、その108という数の由来については諸説がある。まず、108の煩悩は人間の感覚を司る眼(げん)耳(に)鼻(に)舌(ぜつ)身(しん)意(い)の六根が、それぞれに好(気持ちがよい)悪(いやだ)平(何も感じない)不同の3種があり3×6=18の煩悩となり、これが、また浄(きれい)染(きたない)の2種に分かれ18×2=36の煩悩となり、さらに、現在・過去・未来の3つの時間が関わって、36×3=108となる。これが、108の煩悩だといわれている。そのほかには1年の12ヶ月+24節気+72候を合わせて108とし、108という数は煩悩ではないとするものなど色々とあるそうだ。』

108の煩悩なぁ・・・


それに紅白の五木ひろしの髪についてなかなか落ちなかった四角い紙は、何ちゅう現象やったんやろうか?


まぁ~新年早々考えることでもないやろし、早速“年賀の酒”を戴こう~!


本年も宜しくお願いします。

















八相縁喜

2010年08月28日 | 日記
今朝は雷鳴で目が覚めた。

親父の天気予報が的中し、雷雨に雹・霰まで降ってきた。

今日も年末の大掃除。



以前ブログで紹介した玄関に置いてある“信楽たぬき”も水で洗うことに。



http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2006/10/post_cd16.html



長男に会いに何度も通る“信楽”の里。



その町で見かけるのは、凄い数のたぬきたち。



今日は、“信楽たぬき”のお勉強・・・



『江戸時代からたぬきは「他を抜く」に通じる縁起物として、掛け軸や置物は人気があった。焼き物でも信楽に限らず各地で作られていたそうだ。



明治から昭和にかけての陶芸家藤原鉄造という人が信楽に移り住み、愛くるしい表情のたぬきを製作、これが人気となり昭和30年頃から地域をあげて名産としていったということである。
信楽焼のたぬきには「八相縁喜」というものがある。



災難から身を守る笠、気を配り物事を正しく見る目、愛想のいい顔、飲食に困らない徳利、世渡りと信用の通(帳面)、落ち着きと大胆さの大きな腹、金運に恵まれる金袋(玉袋)、物事の終わりはしっかりとの大きな尾。



この「八相縁喜」がヒットした決め手であるという。』



勉強してから玄関の“信楽たぬき”を見たら、



自分もこのたぬきのご利益を少し戴いてるの かなぁ~って思えてきた。


クエ鍋

2010年08月28日 | グルメ
先日の忘年会の料理は“クエ鍋”だった。


最近オープンした店が、幻の高級魚“クエ”を食べさせてくれると友人が言うので、それならば・・・と行ってみることにした。


私が“クエ”という魚の存在を知ったのは、TVアニメ「美味しんぼ」。


たしか関取が「アラ鍋を食べたい。」と言ったことから、主人公が“アラ”を魚の中落ちの“アラ”と勘違いしてしまうというストーリーだった。


博多では“クエ”のことを“アラ”と呼んでいることから勘違いが起こったのだそうだ。


店内にあった“クエ鍋”の説明によると、

『フグよりも美味しいと賞されるその味は、「クエを食ったらほかの魚はクエ(食え)ん」と漁師たちをも唸らせるほど。
体の模様を九つに変化させることからクエ(くえ・九絵)の名前がついたこの魚は、体長が1メートルを超える巨大魚で、昼間は岩場にじっとひそんでいますが、夜になると帝王と呼ばれるほど活発に活動します。
漁獲量が少なく、貴重なクエ。そんなクエを味わうならなんと言ってもクエ鍋です。ぶつ切りにされた身は脂がほどよくのっていながらもくせがなく、あっさりとした上品な味わい。アラや皮際のゼラチン質にはコラーゲンもたっぷり。だしが出たあとのクエ鍋雑炊まで存分に堪能できます。』とあった。


味は説明書きの通りで、和歌山産というクエは新鮮で本当に美味しかった・・・


ついついクエを追加注文までしてしまい、大和のお酒“やたがらす”の熱燗を、3人で2合銚子を14本空けてしまった。

「もうすぐ今年の忘年会も終わりやなぁ~」と言いながら帰宅した。



















鏡餅

2010年08月28日 | グルメ
我が家は、毎年30日に餅つき行ってきた。

ところが先日、天気予報を見ていた親父が、

「29日と30日は天気悪そうやから28日に餅つきせなあかん!」と言い出した。

今朝(28日)は早朝より起こされ、息子たちも参加しての家族総出の“餅つき”。

しかし、天候の都合で日程を変更したのに、今朝からもう雨が降りだした。


“鏡餅”を作るのは大変だ!

上手に搗き立てのやわらかい餅を丸く形を整えるのは、なかなか難しい作業。

さらに表面にヒビが入って割れてしまうのだ。

それを防ぐには団扇を両手に持って、腕がだるくなるほど扇がなければならない。


せっかく“鏡餅”を作るのだから、その意味を調べてみた。
『鏡餅は満月のように丸い形が生命力をあらわします。鏡餅は、白木の三方(さんぼう)に白い紙を敷き、鏡餅を重ね、裏白(うらじろ)(歯朶(しだ)の葉のこと)、ゆずり葉、橙(だいだい)(代々家が続く)、海老(えび)(腰が曲がるまで長生きする)、昆布(こんぶ)(よろこぶ)というおめでたい物を飾ります。
鏡餅が普及したのは、室町時代以後に床の間が設けられるようになってから。もともと鏡餅は、元日に宮中で始められた歯固めのための餅で、年齢を表す歯を丈夫にすることを願い、硬い餅をかんで齢を固めるという意味があったのです。』


もち米は我が家の田んぼで収穫したもの。

裏白は近所の山から、橙は我が家のみかん畑から採ってきた。

柿は軒に吊るしてあるのだが・・・

この説明に柿が登場してこなかったのは何故だろう?


私は作業の横で、朝食用にとカンテキの炭火で搗きたての餅を焼く係りだった。







ナショナル・トレジャー

2010年08月28日 | イギリス
昨夜、予定より一日遅れで家人を映画に誘った。

迷った末に観た映画は、『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』。

前半は、主人公がパリの自由の女神やバッキンガム宮殿、ホワイトハウスに秘められた暗号を解読していくストーリー。

私にとっては、映画の展開よりもパリやロンドンの風景が懐かしく、e411yの旅の思い出が蘇って来る様だった。

特にe411yの旅のはじまりはロンドン、バッキンガム宮殿では衛兵の交替式を見た。

映画ではよく見る赤い服装だが、我々が見た衛兵は寒い季節だったのでグレーのコートを着ていた。

ロンドン市街でのカーチェイスは凄いハイスピード・アクション。

懐かしのロンドンタクシーも二階建バスも街灯も・・・みんな壊してしまった・・・

ロンドン・・・ええ町やったのになぁ~


大和川の鮎

2010年08月28日 | 県内
今日は、昨日からの雨で少し水かさが増えた?川を見ていたら、

先日あったうれしいニュースを思い出した。


11月末の新聞記事によると、

「奈良盆地から大阪湾に流れる大和川は、2005年と2006年、全国の1級河川で最も水質が悪いとされていた。

大和川河川事務所は、大阪府藤井寺市内の川でアユの産卵を初めて確認したと発表した。

赤ちゃんアユも確認され、推定4万匹が大阪湾を目指して下って行ったらしい。

下水道などの整備が全体的に進んできた結果と思われ、今後もっときれいな川になるものと期待される。」とあった。


学生の頃、北海道旅行の最後に訪れた札幌で、市内を流れる豊平川に鮭を呼び戻そうと、“カムバックサーモン”運動が展開されているのを見たことがある。


この大和川にも天然の鮎の泳ぐ日が近いことを祈っている。











社長命令

2010年08月28日 | 我が家
明日は今年最後のゴルフコンペ。

しかし、天気予報は生憎の“雨”・・・しかも、まとまった冷たい雨とのこと。


2~3年前の秋のこと、皆と行ったゴルフコンペで、社長と同じ組でラウンドすることになった。

その日、ゴルフ場は大繁盛。

あるホールは大渋滞のような状態で前の組をず~っと待つことになった。

私たちの前の組も私たちと同じコンペ仲間。

ある人のティーショットは、ほとんど空振りに近い状態でかすっただけで、ボールはすぐ右前の林の中に転がり落ちていった。

それを見ていた社長は、退屈だったのかその林の方に散歩に。

やがて私たちの番になっても、社長は戻って来ない・・・

「オーイ!」と叫び・・・捜索隊を出そうかと考え・・・

やっと戻ってきた社長は、スーパーのビニール袋いっぱいのゴルフボールを持っていた。(林の中に袋まで落ちていたとのこと)

社長は私に「このボール洗っておいてくれ。そのなかから5個ほど綺麗なボールを私に持って来るように・・・」と、社長命令。


私は翌日、農機具倉庫の前の水道でゴルフボールを洗った。

秋のことで倉庫の前の道を多数のハイカーが通っていた。

私の後ろ姿を見て「何を洗ってはるんですか?芋ですか?栗ですか?」と聞いてきた。振り向いた私はどう答えていいか悩み、洗濯桶の中を覗きこんでしまったハイカーも返す言葉に困ったようだった。

明日は無事、風邪も引かずに帰宅出来ますように・・・




ジャンピングボーイの理由

2010年08月28日 | 北米
昨日のカナダでのこと「なぜ息子が二階の窓からジャンプしたのか?」。


日本出国の時、彼がホームステイする家は、夫婦2人の家庭で、夫はシステムエンジニア、妻はプログラマーと聞いていた。


彼がカナダのその地区に到着したのは金曜の夕方だったとか。

その日、彼のホストファミリーは集合場所(スクールバスのバス停?)に迎えに来ず、それを見かねた地域リーダーの方がその家まで送って下さった。

そして、到着した家に夫人はおられず、現在隣町に出かけているとの説明で、自動車修理をしている男性が一人、少々荒れた生活をしていたのだという。


何も食事を作ってもらえなかったので、彼は(ホストファミリーに感謝の意を示すために練習した料理を作るための)日本から持っていった食材で、その男性の分の食事も作って土・日曜日を過ごしたそうだ。

もちろん、学校に登校する月曜日、弁当らしきものも無く、スクールバスのバス停までどうにか送ってもらっただけ・・・

学校で彼は、友人たちがこの土・日曜日、ホストファミリーとの生活を楽しそうに話しをしているのを、ただ聞いていたのだそうだ。


その日の午後、学校が終わってバス停まで戻って来ても、また迎えは無かった。

小雨降る中、彼はその場で暫く迎えが来るのを待っていたのだという。

その姿を見た地域のリーダーの方が、また車で家まで送って下さった。


帰宅後すぐ、彼はその家からの脱出を考え、スーツケースに荷物をまとめ、2階の窓からジャンプしたのだという。













ホームステイ生活

2010年08月28日 | 北米
クリスマスが近づくと思い出すことがある。


私たちは何年か前のクリスマスに、息子がお世話になったカナダの御夫婦にクリスマスカードとプレゼントを贈った。


息子が通っていた高校の修学旅行は、高3の夏に現地の高校での授業とホームステイを兼ねたものだった。

いろんな国や地域を選んで参加できるようなのだが、息子はなぜかカナダを選んだ。


そんなカナダで、息子は理由あってホームステイ先の家を脱走したのだ。

それも家の人に気付かれないようにと、玄関を兼ねたシャッターを開けずに、二階の窓から先にスーツケースをロープで降ろし、それから自分は飛び降りたのだという。

そしてカナダの広大な森林の中の道路を、(20km?ほど離れた)スクールバスのバス停近くの家を目指してスーツケースを押して走ったのだそうだ。

その姿を見た地元の子どもたちが走り寄って来て、「何してるの?」と聞いてきたという。

息子は「ホームステイの家から逃げ出してきた!」と答えたそうだ。

しばらくの間、子どもたちが横を走ってくれたのだが、やがて別れ・・・

一人走り続けていると、1台の乗用車が止まり老夫婦が降りてきて、その訳を話すとその方の自宅に連れて行ってくれたそうだ。


勿論、我が家にはカナダから息子がホームステイ先を出た?との連絡が入った。

私たちはカナダ行きの覚悟をしたのだが・・・

その後、息子は老夫婦の家でお世話になることになり、自宅のプールで水泳、その方の牧場の牛の肉をたらふく戴き、さらにはゴルフにまで連れて行ってもらうなど、快適なホームステイ生活をさせてもらったそうだ。

そして地元ラジオ局は、息子のことを“ジャンピング・ボーイ”と紹介したということだ。


カナダはもう本当に寒いんやろうなぁ~

雪も積もってるんやろうなぁ~









ACミラン

2010年08月28日 | イタリア
今夜はサッカーFIFAクラブワールドカップの決勝戦。

対戦は「ボカ・ジュニアーズ × ACミラン」

ACミランか・・・イタリア・ミラノにあるクラブチームやなぁ~

私が初めて訪れたヨーロッパの都市はイタリア・ミラノだった。

2001年8月15日。

その日はマリア昇天の日でもあった。

まず、ミラノ・ドゥオモの建築の素晴らしさに圧倒された。

さらに教会内部は、マリア昇天のミサの最中。

司教の声だけが響く大空間に、何千人?もの人が祈りを捧げていた。

異教徒や観光客が入ってはいけない空間ではないのかと息を潜めた。

あの感動だけは一生忘れることが出来ない・・・

あの年は、中田ヒデが所属したASローマがセリエAで優勝した年だった。

ローマ市内の横断歩道はASローマのチームカラーに塗られていたという。

もちろん今夜の応援はACミラン。

家人はピザを焼いている。




竹の根切り

2010年08月28日 | 趣味の園芸
今日の趣味の園芸は“竹の根切り”。

稲藁を来年の夏まで入れておく小屋は、竹薮の横にある。

竹の根が地中を伸びて、小屋の中にまで入って来てしまうのを防ぐために、

小屋の周りを、筍掘り用の鍬で掘り起こす。

竹の根は硬く、鍬が当たった時の手への衝撃はなかなかのもの。

特に今朝からは、昨夜の後遺症(多量のビールと食べたのが真っ赤なてっちゃん鍋)で体調も・・・

掘り起こした根っこには、小さな筍が着いていた。

あまりにカワイイイので、家に持ち帰り飾ることにした。


奈良茶飯

2010年08月28日 | グルメ
奈良公園、興福寺の近くに“柳茶屋”がある。

昔々(学生の頃)、一度そのお店を覘いたことがあるのだが、

私の風体を見たお店の方に、やさしく入店を断られてしまったことがある。

お店の玄関には、“奈良茶飯”という看板が架かっている。

大和では“茶粥”が有名だが、“茶飯”は未だに食べたことがない。

“奈良茶飯”とは、
「米と炒った大豆を茶で炊いたもので、起源は、東大寺と興福寺の寺領から納められる上茶を煎じて、二番茶に塩を加えて米を炊き、一番茶に浸けて食べたと伝えられている。東大寺二月堂の修二会(お水取り)の練行衆の食事に茶粥とともに献立の中に記録が残されており、僧坊では古くから食されていたが、江戸時代には庶民の間に広まり、各地に茶飯屋があったということだ。また、俳句の句会などでも昔から好んで食されてきたそうだ。炒った大豆の他に黒豆、カチグリなどを加えたものもある。」とのこと。

今度覘いてみようかなぁ・・・