地震と津波から夜が明けたものの、夜から見た感じで30~40センチしか水が退かず、丸1日二階で過ごす。
周りの家家にもたくさんの人が残っていて、声をかけ合う。
亡なった人達もわかってきたが、近所で6名ほどいた。
津波が見えてから数分で一階が水没したので、その時点ではっきりしていたのだが、あくまでも確認してみないと、と思うのが家族の気持ちだろう。
どんよりとした空気の中、奇跡の脱出の報が届く。
朝、斜め向かえの孫とおじさんが、胸まで水に浸かって戻ってきた。
間一髪でしがみついた家の二階で夜を明かしたそうだ。
車で逃げた人達も、途中で車を捨て、津波に追いかけられながらやっと逃げ切った。


相変わらず、夜になっても門脇地区の火事が収まらないし。
いったい世の中がどうなってしまったのか、皆目見当がつかない。




三日目の朝、やっと腰くらいまで水が退いた。
家の前は工業港にある会社の資材や飼料、車が大量に流れ着いていた。
水が退いてきたものの、海水の温度は冷たく、年配者や子供の脱出は無理だ。
周りの家家にもたくさんの人が残っていて、声をかけ合う。
亡なった人達もわかってきたが、近所で6名ほどいた。
津波が見えてから数分で一階が水没したので、その時点ではっきりしていたのだが、あくまでも確認してみないと、と思うのが家族の気持ちだろう。
どんよりとした空気の中、奇跡の脱出の報が届く。
朝、斜め向かえの孫とおじさんが、胸まで水に浸かって戻ってきた。
間一髪でしがみついた家の二階で夜を明かしたそうだ。
車で逃げた人達も、途中で車を捨て、津波に追いかけられながらやっと逃げ切った。


相変わらず、夜になっても門脇地区の火事が収まらないし。
いったい世の中がどうなってしまったのか、皆目見当がつかない。




三日目の朝、やっと腰くらいまで水が退いた。
家の前は工業港にある会社の資材や飼料、車が大量に流れ着いていた。
水が退いてきたものの、海水の温度は冷たく、年配者や子供の脱出は無理だ。