EBI印 近隣探索日記

休みの度に、近場をウロウロしては写真をパチリ。
徒然に撮った写真をUPしつつ、ゆるゆる更新します。

ふるさとよねやま秋まつり

2011年10月31日 22時31分57秒 | 日記
偶然通りかかったら看板が・・・・


土俵があって、なんか取組がありそうだ。

ちびっこ相撲が・・・・・・終わってた。

しかし立派な土俵があるとおもったら



三代横綱丸山権太左衛門の地元らしい。

我が母校の高校にも土俵があったな~。




元町役場で、今は支所になってる所でやってたこじんまりとしたお祭り。

利府町の遺構

2011年10月27日 21時48分24秒 | 日記
仙台市の隣、利府町の田んぼ道を走ってると何やら看板。
てっきり舘跡かと思ったらちょっと違ってた。

九門長者の屋敷跡とある。


どう見ても舘跡と見たのだが、感も鈍ってきたかな~。

坂上田村麻呂に見初められた召使の伝説のようだ。
その女性の子が二代目坂上田村麻呂。
知らないことっておおいな~。


横には神社。

お参りしてから次の探索へ。

仙台市の古城

2011年10月25日 21時42分04秒 | 伊達藩要害
仙台市若林区にある若林城。
小泉古城ともいう。

若林区といえば、今回の震災で沿岸部が壊滅的被害があった。




土塁や堀跡と思われるが、フェンスで入れない。
それもそのはず、今は宮城刑務所になっている。



現在もほとんど変わってはいないのだが、当時の遺構かどうかは定かではないようだ。

この城は伊達氏の拠点として、関ケ原の合戦に際して正宗が対上杉の作戦指揮をとったといわれ、仙台城造営時の普請の指導を行ったともいわれる。

正宗隠居時には、隠居所を設けて仙台城より移り住んでいる。

今も宮城刑務所構内には、朝鮮より持ち帰った天然記念物の「臥龍梅」残ってる。

古来、海外でも古城が牢獄として使用されることも多いが、現代の刑務所っていうのも珍しいかも。


城の正面門付近。

東日本大震災 石巻

2011年10月23日 23時38分30秒 | 震災
震災から七か月半。
未だに瓦礫の片付けや家屋の解体が続く。
まだまだそれ以上のことは出来てない。

魚市場への通りの、石巻水産の鯨の大和煮の缶詰を模したタンクがまだ残ってる。
市街地の解体が優先なんだろう。

震災後、徒歩にて見に行った時の衝撃は忘れられない。
もう復旧・復興などといってるが、今はまだ片付けの状態が正直なところだな~。

津波で破壊された街は、解体が進み、無人の荒野のようで、夜間灯りのない地区は沢山ある。
戻ってきたい人達はいるはずなのに、規制区域の線引きがまだ何も決まってない。