橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

オリンピック東京落選

2009-10-03 02:56:21 | Weblog
やはりここはリオデジャネイロが妥当でしょう。
最初にシカゴが落選したことでちょっとどよめきがおこったけど、
あんなにお金のない今のアメリカが、財政的に大丈夫なはずがない。
オリンピックという公共事業で外貨稼ぎというのもあるんだろうけど、
今やアメリカは、過去の国。
これから伸びようという新興国を差し置いて、
アメリカが世界のお金を吸い上げてどうしようと言うのだ。
そこには希望もなにもあったもんじゃない。
それくらいの空気は国際社会も読んでるだろ。
マドリードも、スペインはバルセロナが90年代だったしな。
日本も含め、いろんな変化が起こっているこのチェンジの時代に
あらたな大陸に行かずして、どこへいこうというのでしょうか。

とはいえ、
もし、東京でオリンピックがあったらあったで
面白いこともあったのかもしれないとも、ちょっと思う。

たとえば、政府は、オリンピックにあわせて、
公立学校のグラウンドの芝生化をやろうとしてたみたいだし、
民主党に近いと思われる宮台真司なんかは、
五輪にあわせて、自転車道路の整備をすべきとか言っていた。

それに、現在、新政府による大型公共事業の見直しが
着々と行われているが、オリンピックで生まれる公共事業が
直轄事業の中止で仕事にあぶれたゼネコンの受け皿になったのでは
ないかとも思う。

ダムなどの巨大公共事業は、元締めが都会の大手ゼネコンで
その建設費の7~80%が流れるらしい。
残りが地元の中小零細の土木業者に行く。
ダム事業から、川の浚渫や護岸工事に変更することで
高度な技術のある大手ゼネコンは必要なくなる。
ほぼ100%地元にお金を落とすことだって可能だ。
しかし完全にそうなってしまっては、
あの巨大なゼネコンがバタバタ倒れてしまいかねない。
もちろん、ダム建設予定地の再開発などに
大手も参入するのだろうが、それでも巨大直轄事業の中止は
彼らに取って痛手だと思う。
もしオリンピックがあったらその辺も解消しそうだ。

とはいえ、オリンピックが東京に来ることはなくなった。
これは、より一層、「緑の公共事業」のアイディアを進めなくてはならんな。

それに、巨大ゼネコンというのも、
時代にあわせて形を変えていかねばならないのだと思う。
右肩上がりの経済成長で、大きなダムや橋や
高層ビルをぶったててる時代じゃないのだ。
巨大ゼネコンは、その資金力で、
逆に日本の伝統建築工法を残すような、
量より質の仕事を追求してほしい。

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