橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

川原湯温泉日帰り旅~八ッ場ダムを行く その1

2009-10-20 05:52:26 | Weblog
19日の1都5県の知事の八ッ場ダム視察に先駆けて、
昨日の日曜日、川原湯温泉に行って来た。
新聞やテレビの報道と実際はちょっと違うなと思って、
ブログにアップすることにしたが、
今日の「報道ステーション」が、
私が見て来たものに近い内容を報じていた。
ごらんになった方には分かると思うが、簡単に言えば
「中止に反対」と一言で言うが、
同じ「中止に反対」派にもいろいろ違った考えがあって、
一様ではないということだ。
報道ステーションでは、この一ヶ月で、住民の中にも変化が出てきて、
全員が中止反対一辺倒というわけではないと伝えていた。
しかし、せっかくなので、私自身が昨日見て来たことと、
今日のいろんな報道から考えたことをまとめてみたいと思う。


<素朴な疑問>

そもそも八ッ場に行く前から、私にはある疑問があった。
「中止」と「中止に反対」という2項対立で語られているが、
「中止に反対」=「ダム建設推進」なのかということだ。
地元にとっても、もともとは欲しくなかったダムだ。
なのに、生活再建の補償をしてもらっても、やはりダムも必要なのか?
ダム建設は中止でいいから、生活再建のための補償と再開発は継続してもらう
というのではだめなのだろうか?

温泉客として川原湯温泉の町を歩きながら、
数人ではあるが、出会った人と交わした言葉から、その謎が少し解けた。

「中止に反対」は「ダム建設推進」と全くのイコールではなかった。



<温泉街の人々の思い>

私が出会った人の中には、「中止に賛成」している人もいるにはいたが、
ほとんどが「中止に反対」していた。
しかし、「じゃあ、コンクリートのダムを作りたいのか?」と尋ねると、
みな、言い方は微妙に違えど、それはどっちでもいいと言う意味のことを語るのだ。

そして言葉は、
「もう、ダムありきで今後の生活に向けての準備が始まっている」
「代替地に引っ越すつもりでいた。それをいまさら中止と言われても」と続く。

ダム建設受け入れに回った人々は、
その時からより良い自分たちの未来のみを考えるようになったのだろう。
ダムというよりは、『ダム湖という観光資源』ができることを前提に、
若い世代が中心となって、様々な観光政策を考えてきたらしい。
例えば、ダム湖を一周するマラソン大会を毎年一回開催し、
観光客を誘致する等の計画だ。
多分、新たな温泉宿の立地も、ダム湖の景観ありきで考えられているのだろう。

彼らにとって、ダム建設と生活補償、生活再建は一体なのだ。
だから、ダム湖ができなかった場合、また新たな観光政策を考えねばならず、
再スタートの時期はずれ込むと、地元住民は心配している。

前原大臣が、生活補償はすると言っているのに、
なぜダム中止に反対するのか分からなかったが、これでちょっと理解できた。
前原大臣は、地元住民にまだ、
“ダム湖ができなかった場合”の具体的な補償政策を示していない。
逆を言えば、その具体的な補償政策を(もちろん効果的で町の活性化にもつながる
ものである必要があるが)早急に示すことができれば、住民たちは
ダム中止に理解を示し始めるのではないだろうか。

川原湯温泉は、宿や店の数も激減して、温泉街の体をなさなくなりつつある。
この状態がいつまでも続けば、さらに廃業に追い込まれるところも出てくるかもしれない。
彼らは、できるだけ早く新しい温泉街でちゃんと商売をしたいと思っているだけなのだ。

ただ、川原湯温泉再生プランと一口に言っても、
そんなにたやすいものでもないだろう。
私も、そうした地元の人が考えた再建計画が
いったいどの程度具体的に進んでいるのかは調べていない。
ダム中止でもそのまま生かせる計画もあるのか等々
政府が確認すべきことは山ほどある。
さらに、ダム無しの再建案のために、
政府は、いろんなアイディアのある人から早急に意見を聞くべきだ。
ただ、そこが新たな利権の巣窟になってはいけない。
地元が食い物にならないプランが必要だ。

一方で、その時間さえ待てないほど、
八ッ場の人々に今後の暮らしへの不安があるのも事実だ。猶予はない。
だからこそ、地元の人々も、そうした自分たちの思いを前原大臣に
伝えるためにも、大臣との会合をボイコットせず、参加するべきだと思う。
それは決して国に屈したということではない。
正当な意見を大臣に突きつけにいくだけなのだから。

今日のニュースで見た、地元住民と1都5県の知事の会合での、
地元住民の声は、「ダムを建設して下さい」というものだった。
「私たちの頼りは、ここに集まった知事さんだけです」と言っていた。

しかし、冷静に考えると、地元住民の言葉の力点は
「ダムを建設して下さい」にあるのではなくて、それに続く、
「ダムを前提に考えた新たな生活再建に少しでも早く踏み出したい」
の方にあるのではないのだろうか。
今や、「ダム無しの地元再建計画」と「ダム有りの地元再建計画」のどちらが
自分たちに取ってより良いかということになり始めているのかもしれない。
ただ、現時点では「ダム無しの再建計画」が見えてこないから、
住民は戸惑っている。


<誰が、本当に、コンクリートのダムを造りたがっているのか?>

では、一体誰が、第一義的に「ダムを造りたい」と思っているのだろうか。
石原都知事はそう思っているようだ。
下流域の(もちろん東京も含まれる)治水対策にダムは不可欠と語っている。
そして、「政府は、コンクリートを使わない山紫水明の国を作ると言っているが、
それは言うには美しい、やさしいけど、使うものは使わなくちゃいけない、
コンクリートもね」とも言っている。
これは、ダムの必要性が第一義ということだろう。

朝になってしまったので、今日はここで置いといて、この項目は次回続けたいと思います。