橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

ドンキホーテが690円ジーンズ発売~価格破壊の末路は?

2009-10-16 05:32:06 | Weblog
あのドンキホーテがなんと690円のジーンズを発売した。
流行のPB=プライベートブランドだそうだ。
イオンとダイエーが880円、西友が850円。
今や、990円のユニクロが高く感じられるというわけのわからない状態だ。
そしたら、ユニクロはこんどフリースの長袖Tシャツを490円で出すという。
昨日立ち食いそば屋で食べたそばは、温泉卵と茄子天、
いんげん天入りで510円だった。これにエビ天を一匹足すと、
ドンキのジーンズが買える。
むなしいなあ。

以前から安い数百円の服というのはあった。
けれどそれは、倒産品の投げ売りであったり、訳あり商品であったり、
正規の店に並ぶ商品ではなかった。
それが故に、そうした掘り出し物を見つけた時には、
その商品に出会った自分の運のよさとか、
それを見つけ出した自分の目の確かさとか、
なにかしらちょっとした喜びが伴ったものだ。
しかし今、雨後の竹の子のごとく生まれている激安服は、
誰でもお店に行けば買うことができる。
簡単に手に入るものに愛着は湧かない。

もちろんこの経済危機の中で、
こうした激安商品に助けられる人もいるだろう。
しかし、この激安競争は、いろいろな危機を生む。

ひとつは、ニュース等でもよく言われているが、
この激安競争がデフレに繋がるのではないかということだ。

商品が安くなれば、消費者としてはありがたいが、
それを生産している会社の利幅も小さくなり、
労働者の賃金も安くなる可能性がある。
商品を安くした分たくさん売れて、収支はトントンなのかもしれない。
しかし、その会社がたくさん売れた分、
ほかの会社のものが売れなくなってしまい、そっちの従業員の給料が減る。

日銀の白川総裁も、14日の会見で、
「物価下落が原因となる景気悪化の可能性を注意していく」と語っている。
なのに、マスメディアはなぜに、こうした激安商品発売のニュースを報じる時、
それを、「企業努力による低価格の実現」という切り口でしか報じないのだろうか。
まあ、これらの企業はすべてテレビの大スポンサーであるから、
否定的にも扱えないのだろう。しかし、それならもっと扱いを小さくするべきだ。

もう一つのデメリットは、
日本人のモノに対する価値観が崩壊するということだ。
こんなに安くて簡単に手に入るものを誰が大切にするだろうか。
服さえも使い捨てになってしまいかねない。
さらに言えば、労働力というものに対する尊敬の念が
まったく湧かなくなってしまうだろう。
いくら大量生産の流れ作業で作られたものであったにしても、
どこかの国の誰かが、ミシンでカタカタ縫っているわけだ。

あなたは自分が縫ったジーンズを690円で売れますか?

一本のジーンズにどれだけの人が関わっているか考えたことがあるだろうか。
もともとの綿花の栽培から始まって、最後トラックで運ぶ人まで、
布代はいくら、縫製の人件費はいくら、デザイン料は、運送料はと考えると、
よくこんなに安くできるもんだと首をひねってしまう。
大量生産によるコスト削減というのはあるが、
大きくは、商品を作ってくれている途上国の賃金の安さ、
為替格差のおかげというだけのカラクリだ。
たまたま日本が先に経済発展しただけのことなのに、
それを「企業努力」と人はいう。

途上国との賃金格差を利用するという経営は、
労働というものの本当の価値を見失わせる。
そして、労働に対する感謝の念は欠如する。
他人の労働に対する感謝の念の欠如は、いずれ、
自分の労働が他者から感謝されないという事態に廻り廻ってくる。
やがて人々は、あなたの労働賃金が高すぎると値切り始めるだろう。
そして、みんなが貧しい世の中になる。

価値観という部分でさらに言えば、
衣食住という人間の基本3要素の一つである衣服という文化が
衰退することになりかねない。
本来多様であるべき人々の美意識は均質化し、
突出した面白みのない凡庸なものになっていくだろう。
‘ダサイ’ほうがまだいい。
そこそこにかっこ良く誰からも突っ込まれない、
そんなものだらけの世の中が面白いか???

年収1500万円も2000万も貰っている人が、
ユニクロばかり着てるとか聞くと、アホかと思う。
それは私が洋服好きだからなのかもしれない。
ユニクロ着てる金持ちは、服に興味がないだけで、
家とか車とか子どもの教育とか、他のことにお金を使っているのかもしれない。

でも、金持ちなら見た目もそれなりにすべきだというのが私の自論である。
ユニクロだって見た目はそれなりにいいじゃないかと言う向きには、
それじゃあ「目利き」にはなれませんよと言いたい。
別にみんなが目利きになんてならなくていいのだけれど、
金持ちにはちゃんとした「目利き」であって欲しいのだ。

言いたかったことがやっと出て来た。

そう、私は、この激安競争問題の一番の弊害は、
「モノを見る目がなくなる」ということだと言いたかったのだ。
失敗しても、痛くも痒くもない金額しか失わないということは
反省を促さない。
洋服選びに緊張感は失われる。
人によっては、面倒で、試着などしなくなるかもしれない。
ちょっとくらい大きくても、ちょっとくらい肩が落ちても、
安いんだからいいや、そしてセンスが悪くなる。
良いもの、自分に似合うものを見分ける目が無くなる。
もしくは、安いんだからいいやと、ゴミになってしまえば、
エコにも反することになる。
せっかくユニクロやその他の激安メーカーが努力していい商品を
作っていたとしても、「値段が安い」ということが、
人にその商品をぞんざいに扱わせる。

「見る目が無い人」だらけの世界は悲惨である。
いくらがんばっていくら良いものを作っても、それが評価されない世界。
いかに安いかばかりが基準になってしまって、
美しいものや、職人の努力の結晶のような良品は、
「値段が高い」という理由で駆逐されてしまう。
それは、人間が人間の積み上げて来た文化を否定しているに等しい。
 
今、日本人は、「激安」だけでなく、
その対極にある「ブランド」というものにも群がって、
「見る目」を衰えさせている。

それはブランドものの品質が良くないということではない。
なぜそのバッグがかっこいいと思うのか、
どの服とあわせるとそのバッグが引き立つか、
ちゃんと考えてブランドバッグを買っているだろうかということだ。
みんなも持っているから、ブランドだからという理由だけで買うのでは、
そのバッグも報われない。
ちぐはぐな洋服に合わせて10万も20万もするバッグをぶら下げていることを
本当にかっこいいと思っているのか。
いま一度考えてみる必要がある。

ブランドバッグを買えるくせに、ユニクロ着てていいのは、
ユニ隠しなどせずとも、
ユニクロのままでかっこよく着こなせる自信がある人だけである。

服選びだって、買い物だって、人生すべて勉強なのだ。
まあ、そこまで肩に力を入れることはないかもしれないけれど、
ゆるゆるの世界は、多分あんまり面白くなさそうだ。

もちろん、この経済危機の中、
低価格だからこそ本当に助かっているという人も多いと思う。
でも、洋服なんてそんなに頻繁に買わなくても、
なんとかやっていけるものである。
月に300円ずつ半年貯めれば、1800円。
ちょっと足せば2000円のジーンズが買える。
せめて、一本それくらいの値段は取るべきだ。
ちょっと前までは、その値段でさえ激安と言われていたのだ。

デフレスパイラルに入り込まないためにも、
ここはちょっと踏ん張って、お金のある人は適正価格のものを買いませんか。

ものの値段については、今後も考えていきたいと思う。
あと「企業努力」については、もちょっと言いたいことがあるので次回。