オバマノーベル平和賞にもう一言。愚痴です。いや愚痴ではない批判です。
4月、オバマがプラハで演説を行った直後。
日本のテレビで、アメリカが核使用国としての道義的責任に言及したことを
ピックアップして報じたメディアはあっただろうか。
見落としているニュース番組もあるので、注目した番組はあったかもしれないが、
今、言われているほど、あれがすごい演説だと特集をしてるものはなかったような気がする。
私が働いているところでも、当初プラハ演説の第一報は、
数十万人の人が集まったということと、
核廃絶に向けた演説というのは伝えられたが
それは、現在進行形の北朝鮮やイランの核問題に力点が置かれた
ピックアップのされ方であった。
被爆国である日本が今後行動する上で重要であると思われる
「唯一核兵器を使用した国として、アメリカには行動する道義的責任がある」
という部分は当初スルーされたのだ。
確か、新聞記事にはこの発言も採り上げられていたと思うが、
今、振り返って検索すると、共同通信は、演説要旨の項目として
この「道義的責任発言」は入れてないのだな。
私は当時、この発言は
被爆国である日本にとってはとても大きい発言だと思ったんだが、
このニュースはテレビではそんなに大々的にはとりあげられなかった。
それには、このプラハ演説が日本時間で日曜日の夕方に行われた
というのもあるだろう。日本時間の5時半から6時ごろだ。
日曜の夜というのは各局ニュース番組が手薄で、
よっぽど大きいニュースだったら翌月曜日採り上げられるが、
結構スルーされるものも多い(国内ニュースは休日ニュースばかりだが、
外信ニュースは、時に大きなものもあったりするのに)。
だからなのか、本来ならば大きくとりあげるべき
「アメリカ大統領 核使用国としての道義的責任に言及」という
日本にとって大きいニュースが、その当日はスルーされた。
翌、月曜日、私はこのことを大きく取り上げるべきだと職場で主張したのだが、
デイリーニュースであるがゆえ、昨日起こった出来事は古いとされ
大きな扱いはしてもらえなかった記憶がある。
この発言が大きく扱われ始めたのは、
演説から何日目だっただろうか。
なのに今や、みな鬼の首を取ったように
核廃絶はあの演説がきっかけだ、
道義的責任を認めたのは画期的だとか言っている。
私が指摘したって聞いてくれなかったくせに。
でも今はみんなそんなこと忘れてしまっている。
そして一番組スタッフでしかない私(社員でもないしね)は、
外信部の方針と違った視点を示すことなど許されないのだった。
もう一度言います。
日本の多くのメディアは、当初
このオバマ演説の重要性を軽く見ていました。
自分の落ち度はすぐ忘れるみなさん、今回のノーベル平和賞で
それをしっかり胸に刻んで下さい。
私はむなしいのだ。
4月、オバマがプラハで演説を行った直後。
日本のテレビで、アメリカが核使用国としての道義的責任に言及したことを
ピックアップして報じたメディアはあっただろうか。
見落としているニュース番組もあるので、注目した番組はあったかもしれないが、
今、言われているほど、あれがすごい演説だと特集をしてるものはなかったような気がする。
私が働いているところでも、当初プラハ演説の第一報は、
数十万人の人が集まったということと、
核廃絶に向けた演説というのは伝えられたが
それは、現在進行形の北朝鮮やイランの核問題に力点が置かれた
ピックアップのされ方であった。
被爆国である日本が今後行動する上で重要であると思われる
「唯一核兵器を使用した国として、アメリカには行動する道義的責任がある」
という部分は当初スルーされたのだ。
確か、新聞記事にはこの発言も採り上げられていたと思うが、
今、振り返って検索すると、共同通信は、演説要旨の項目として
この「道義的責任発言」は入れてないのだな。
私は当時、この発言は
被爆国である日本にとってはとても大きい発言だと思ったんだが、
このニュースはテレビではそんなに大々的にはとりあげられなかった。
それには、このプラハ演説が日本時間で日曜日の夕方に行われた
というのもあるだろう。日本時間の5時半から6時ごろだ。
日曜の夜というのは各局ニュース番組が手薄で、
よっぽど大きいニュースだったら翌月曜日採り上げられるが、
結構スルーされるものも多い(国内ニュースは休日ニュースばかりだが、
外信ニュースは、時に大きなものもあったりするのに)。
だからなのか、本来ならば大きくとりあげるべき
「アメリカ大統領 核使用国としての道義的責任に言及」という
日本にとって大きいニュースが、その当日はスルーされた。
翌、月曜日、私はこのことを大きく取り上げるべきだと職場で主張したのだが、
デイリーニュースであるがゆえ、昨日起こった出来事は古いとされ
大きな扱いはしてもらえなかった記憶がある。
この発言が大きく扱われ始めたのは、
演説から何日目だっただろうか。
なのに今や、みな鬼の首を取ったように
核廃絶はあの演説がきっかけだ、
道義的責任を認めたのは画期的だとか言っている。
私が指摘したって聞いてくれなかったくせに。
でも今はみんなそんなこと忘れてしまっている。
そして一番組スタッフでしかない私(社員でもないしね)は、
外信部の方針と違った視点を示すことなど許されないのだった。
もう一度言います。
日本の多くのメディアは、当初
このオバマ演説の重要性を軽く見ていました。
自分の落ち度はすぐ忘れるみなさん、今回のノーベル平和賞で
それをしっかり胸に刻んで下さい。
私はむなしいのだ。