宙場館

市町村文化圏に住む、あるしがないアマチュア楽隊人の日々

コミュニケーション

2005-03-28 02:05:32 | 日記・エッセイ・コラム
 日曜日は所属している楽隊にとって久しぶりの本番を勤めてきた。地元の国際交流協会が年に1回開催している通訳ボランティアさんと、地域に住まれている海外の皆さんを交えてのイベントでの演奏であり、自分をはじめ団員一同毎年楽しみにしているイベントである。

 海外の方と言葉でコミュニケーションを取ることは容易では無い。以前勤めていた会社で対米向けの商品に携わった時、現地スタッフを交えた会議に臨む機会が何度かあったが、自分の言葉が少し通じても、こちらの思いが伝わっているか、という事は常に疑問であった。

 しかし音楽は、色々な国においてそれぞれ異なる楽器や曲、リズムがあっても、演奏によって何かを伝えることができる。と、いうのが自分の持論である。

 そんな思いで演奏に臨んだが、残念ながら会場総立ち、という訳にはいかなかった。(それではやり過ぎか…)が、ブラジルから来日されている方の子どもさん達とお母さんが、2曲用意したラテン・ナンバーで飛び入り参加して下さり、ノリノリのダンスを即興で披露してくれ、会場は盛り上がった。

 今日も自分達だけでなく、聞いてくださったお客さんに満足して頂けたのは何よりであり、この嬉しさがあるから楽隊生活は28年目に入ろうとしている春の一日だった。


セットアップ

2005-03-25 22:19:40 | 日記・エッセイ・コラム
 今週はほとんどを修理機の運搬(裾野で引き取り安城まで運搬…一日で450km走破)や先週末の展示会で使った展示機の撤収に費やし、少々バテ気味だった。

 そんな週の最終日である今日は、とあるJAの農機センター(と、いってもセンター長お一人の小さなセンター)で納品したトラクターのセットアップを行った。以前、課長がセットアップを行うのを手伝ったことはあるものの、自分が主になって行うのは初めてであり、大事な機械を壊さぬよう緊張の一日であった。

 このセットアップは本来なら11日に完了させる予定であったが、発注を行った前任者の手違いから部品の欠品と誤発注があり最終的に部品が揃ったのは2日前だったため、結果として2週間遅れになってしまった。そして、今日中に終えないと来週は2日間の出張が待っているので、今後の業務予定が非常に苦しくなってしまう。

 取扱説明書の組付説明部分を見ながら、午前はトラクター本機の作業機取付部を組み付け、午後は2台の作業機に操作用の部品を組み付け、調整を行い、いよいよ作動確認…。作業機は無事に作動し、何とか時間内で今日の仕事を終えることができた。

 その時だった。社会人になりたての頃、自分が図面を描いた試作部品ができあがり、試作機に取り付けられた時のことをふと思い出した。あの時とは状況が違うが、久々に「ものづくり」の嬉しさを感じることができた一日だった。


10年前

2005-03-21 09:16:39 | ニュース
 1995年3月19日。私は東京・渋谷のオーチャード・ホールにいた。目的は初めてのオペラ鑑賞。演目は小澤征爾・新日本フィルによる「セヴィリアの理髪師」だった。

 オペラに行ったといっても、懐に余裕は無いので席は後から2列目。出演者の顔は見えない席だったが逆に字幕が常に目に入るので、言葉は分からなくてもあらすじを理解することができ、とても楽しい午後の一時を過ごした。

 終演後は池袋に出て買い物と夕食を済ませ、宿をお願いした横浜の友人宅へ向かおうとした。いつもならJRで横浜へ出て相鉄線、というルートだが、この日は、なんとなく余韻に浸りたい気分であったのに加え、友人は当日仕事のため伺う時間も21時30分過ぎの約束だったこともあり、東横線でのんびりと向かいたいと考えた。こうなると、東横線に乗るまでも池袋から丸の内線、大手町乗り換え千代田線、霞ヶ関乗り換え日比谷線、という何とも手間がかかる乗り方を選んだ。

 霞ヶ関の乗り換え時刻は21時になろうとしていた。乗り換え通路を歩くのは自分一人。こんなところで通り魔強盗に刺されて殺されても、見つけられるのは明日の朝かな、なんてことを考えながら日比谷線のホームに向かった。

 翌朝、友人宅で目覚めた私は東京の地下鉄が止まっている、というニュースを知った。予定ではもう一度東京に戻る予定だったが、少々異常な状況であることを感じ、予定を切り上げて自宅に戻ることにした。そして、昨晩の続きのように相鉄、小田急、JR御殿場線、東海道線と乗り継いで帰宅した私は、前夜日比谷線に乗ったホームで何が起こったかを知った。

 もし、あの場所で前夜の下見が行われていたら…。


減量

2005-03-17 21:49:16 | 日記・エッセイ・コラム
 自分は身長174cm。標準体重は計算によると66kg程度とされる。高校生の頃は56kg、大学生の頃は66kgということで、まあ太めの部類に入ることは無かった。

 ところが、社会人になって不規則な生活とコンビニの普及による間食増加のせいか体重が増加しだし、数年前には一時86kgにまで増加してしまった。

 こうなると職場の定期検診でも疑問部位の結果が出るようになり、心配した妻がカロリー計算に注意した献立を考えてくれるようになった。さらに昨年からの職場は、休出の多さ故の時間外時間は多いものの、通常残業が少ないために比較的早い時間に帰宅することができ、十分な睡眠を含んだ規則正しい生活をある程度継続することができている。

 結論を言うと…本日の体重71.6kgなり。特に体の異常は感じられないので、妻の努力に感謝!である。


確定申告

2005-03-09 17:54:49 | 日記・エッセイ・コラム
 しがないサラリーマンである私だが、今年度は2ヶ月強の失業期間があったため、健康保険料、国民年金の支払いが生じ、早期再就職者支援金が支給されたために確定申告を行う必要が生じた。
 先月末から仕事の引継があったためになかなか時間が取れなかったが、今日は業務の谷間で代休を取ることができたため、半日仕事のつもりで申告会場に出向いた。
 申告をするのは家を買った年明け以来だから6年ぶりになる。その間に便利になったものでインターネットを利用して申請用紙を作成し、プリントアウトして提出することが可能になった。しかも郵送で可、とはなっているものの、若干の不安があったのでプリントアウトを持参した。
 今日は市役所が会場だが、実は昨年までの職場も地元住民の方のために、期間中の2日間は申告会場として使われていて、その混雑ぶりを3年間味わっている。よって、開始時刻よりちょっと早めに会場入りしたが、思っていたほど混雑しておらず少々拍子抜けした。
 そして受付となったが、係員の方に「一般の方ですね。申告用紙はございますか?」と聞かれたので「ネットのプリントアウトがありますが…。」と答えながら申請書を渡すと、「ちょっと拝見…(内容を手早にチェック!)あー、大丈夫ですね。証明書は源泉徴収票だけ頂けますか?」
 予想以上の速さに「え、それだけでいいんですか?」と聞きながら源泉徴収票を渡すと、手慣れた手つきで徴収票を貼った申告書を受領箱に入れながら「結構ですよ。以上ですね、お疲れ様でした。」
 仮に午前に入れたとしても2時間待ち、下手をしたら午前の部では間に合わず午後回しを予想して、代休を取ってipodと雑誌を持参してきたのに…ここまでものの3分程度!見事に開始時刻前に受付終了と相成った。
 しかし、昨年まで部署は違うものの「申請」を受けることを仕事にしていた身としてはこの時期の大変さはよく分かる。申請する側としても簡単・確実になることは大歓迎であり、他も範にしてもらいたいと感じた一日ならぬ3分間(爆)だった。明日はまた早出して県東部で仕事であり、おかげで嬉しいリフレッシュ休暇になった。