私の青空☆彡

写真を通して、小さな事でも『感動』する素晴らしさを、貴方に送りたい

お城の屋根を乗せた建築

2011-09-10 | 建築遺産道
愛知県庁本庁舎(愛知県名古屋市中区三の丸)

この建物には圧倒されます。
やはり名古屋のランドマークなんでしょうね。


名古屋城の近くにある、瓦屋根を持ったあの建物


愛知県庁本庁舎は1938年に昭和天皇御大典の記念事業の1つとして建設されたものです。
近代的な建築に和風の屋根を載せた帝冠様式の外観 
他にも神奈川県庁舎が有名です。
帝冠様式は当時のモダニズム建築に対抗して日本で発生した建築様式です。

まさに和洋折衷
新たな物を生み出す日本人らしさが出ています。


玄関もこの通り、お城を強調する佇まい。
国・登録有形文化財に指定されています。


名古屋城を強く意識しています。
耐震改修工事もなされており、中身は強固。
なんだか中央に顔?みたいな


2階の窓下までを花崗岩貼り 近くに寄ってみると随分印象がかわります。

2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

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映り込みの空   by空倶楽部

2011-09-09 | 空倶楽部
今日は「9」がつく日の空倶楽部

テーマ:映り込みの空


暑さが和らいだとはいえ、まだ日射しが強いです。


浜離宮(東京都中央区) 2011.08.21  EOS7D+18~55mm


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名古屋のシンボル

2011-09-08 | 建築遺産道
名古屋テレビ塔(名古屋市中区錦3丁目)

ホテル(名古屋駅近く)での朝食後、40分程ウオーキング 
昔は地図片手に感を頼りにしていましたが、
今では頼もしい秘書がいるおかげで、楽に辿り着く事ができました。

ここに来たのも8月に毎日新聞の記事を目にしたからです。
そこには存続か解体かについての内容が書かれていたからです。
180mの名古屋テレビ塔が開業したのが1954年6月20日(展望料金:大人50円、学生30円、小人20円)でした


7月24日のテレビアナログ放送終了で、一つの役割を終えてしまったタワー
今では瀬戸デジタルタワーがその役を担っています。


解体か保存・活用かの噂が囁かれる中、
うちの近くのタワー同様に、活躍の場が与えられると良いですね。


灰色は地味かな? 通天閣や東京タワーの様にもっと自己主張しても良いのでは。


今度は夜景を見に来たいです。


2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

空倶楽部の次の日は
総理を目指している知事さんが
おわす周辺を
ご紹介します。




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山男もあと僅か

2011-09-07 | 鉄道
愛知機関区(愛知県稲沢市下津町)

愛知機関区はJR貨物の機関区で国鉄時代は稲沢機関区と呼ばれていました


EF6477
1986年10月に山梨県で開催されたかいじ国体の召し列車を牽引しています。

一休車となっているEF64は53,70,47,76,43,77,74,63が確認できました
このEF64型は1964年に国鉄が開発した、勾配線区用向け
直流電気機関車です。
主に中央線で使用され、通称「山男」と呼ばれている
一般型EF64も休車が目立ち、稼働している仲間も僅かとなっています。
JR東日本にも僅かながら仲間が生き残っています。


EF6470+47+53
痛みも目立ち、このまま廃車となるのでしょう
ご苦労様でした。


EF6470
細君は駅のベンチでこの様な写真を撮影していました。
「愛」は愛知機関区を表す略称、そして廃車前提の「一休車」
けして「ひとやすみ」では無く、永久に休んでしまうかもしれません。




2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

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清洲越し

2011-09-06 | お城
清洲城、天守閣からの眺め

「清洲越し」とは
1612年から1616年までのころに行われた、名古屋城の築城に伴う清洲から
名古屋への都市の移転を言います



名古屋方面 真中には名古屋駅のツインタワーが見えます。 
左下が東海道線 桶狭間もこの方角にあります。





養老山脈方面     伊吹山・大垣城方面
入り口も小さく見えます。対岸の森が清州古城跡公園


             金華山 稲葉山城(岐阜城)方面
信長公もこちらの方角に思いを馳せていた事でしょう。

天下普請で、名古屋城が築城され、
1613年はこの清洲城は廃城となりました。
このお城は歴史好きと鉄道好きの私には好都合の場所です。
この天守に2時間程居座り、あれこれ思いつつ写真を撮っていました。

2010年はフィギュアの織田信成さんが清洲城の名誉城主に就任しています。

清洲城のご紹介はこれにて終了です。

明日は清洲のお隣、稲沢の風景をご紹介致します。


2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

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天守への道

2011-09-05 | お城
清洲城からの眺め


まずは2階部分に行ってみます。


清洲城特設会場 右下がドラマ館


真中が入り口 そして左側が東海道線
庭には玉砂利に大きな石


3階部分の窓から入り口を眺めると
五条川にかかる赤い橋が見えてきます

上に昇る程、地上では考えられない程
心地よい風が流れていました

信長公の思いはあの橋ずっと向こうにあります


天守から名古屋駅方面をパノラマ風に撮影してみました。
鎌倉円覚寺で使用したPowerShot G11のStech機能を使用しました。


2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

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清洲城 登城

2011-09-04 | お城
清洲城 
写真撮影が出来なので可能な場所のみです。


復元されているので松本城
様に急な階段ではありませんでした


瓦には織田木瓜が描かれています 


出土品に耳かきが有るなんて驚きです


清洲城の復元模型


戦国中スポ
この様な記事が絵巻物用に紹介されています。


若き日の信長公


金の鯱 
実際に触れる事が出来ます。頭の部分は禿げてしまっています。


人間五十年 幸若舞「敦盛」


棟飾瓦


織田木瓜 織田家の家紋です

木瓜紋は瓜を輪切りにしたその断面や鳥の巣を図案化したものといわれ、
子孫繁栄を祈る家紋である

江戸時代から伝わってきた 
うちの家紋は丸に唐木瓜です(左上プロフィール参照)

明日はいよいよ天守からの眺めです。

2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

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天下取りの出発点

2011-09-03 | お城
清洲城(愛知県清須市朝日城屋敷)

1405年頃に尾張守護斯波義重によって築城され、1610年に名古屋城築城までの
200年の長きに渡って、尾張の城でした。

信長公が入城したのは1555年、5年後に清須城から桶狭間へと出陣しました。
いわゆるこの場所が天下取りへの出発点です。


五条川と清洲城
細君のショット かなり目立つ天守閣で東海道線からも良く見えます。


この清洲城天主閣は平成元年に再建された建物です。
風情なしとはいえ、この場所にある事が価値だと思います。


可愛らしいお姫様方がお出迎え


この脇には清洲城特設会場ではドラマ館(江と三英傑 絆のやかた)が開催されていました。
大河ドラマの衣装や道具が展示されており、東京で見た物とほぼ同じでした。

東京で見た「江~姫たちの戦国」展
丸の内オアゾ
新丸ビル
丸ビル(1)
丸ビル(2)
東京タワー


古くは「清須」の表記が多く
後に「清洲」の表記が多くなっています。

あすは清洲城に登城してみます。

2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

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五条川を渡るとそこは

2011-09-02 | お城
清洲古城跡公園(愛知県清須市清洲古城)

かつて実在していた清洲城があった地です
今では清洲古城跡公園として整備されています。
先日紹介しました信長公の像のある清洲公園とは
東海道線を挟んで丁度、反対側に位置します。


右大臣織田信長公古城跡


織田信長公を祠る小社があり、毎年6月2日の命日には
「織田信長公顕彰祭」が営まれます。


五条川を渡ると汽笛が。
パブロフの犬の様にカメラを構え、桃太郎(EF210-100)を捉えました


この様な時があったな~と
子供が4歳の頃に東北を周遊した事を思い出しました。
明日は 一番行きたかったあのお城へ。


皆様の処へは週末になりそうです。

2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L



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人間五十年

2011-09-01 | その他
清洲公園(愛知県清須市清洲3丁目)

伊勢詣の後、名古屋で一泊、翌朝、清洲へ。
JR清洲駅から徒歩20分ぐらいで着きます。
炎天下を歩いて来た身には、この清洲公園の木陰は楽園の様です。
開けた中心に上総介様が立っています。


織田信長 銅像
この姿は1560年5月19日桶狭間の戦いを前にした27歳の時
自分が27歳の時は......


桶狭間の方角を見据えているそうです。
凛々しいお姿です。


細君撮影の後ろからのショット。
武士の背中を撮るとは.....なんと不届き者でしょうか。


人間五十年 下天のうちを比ぶれば 
夢幻の如くなり 一度生を得て 
滅せぬもののあるべきか

幸若舞「敦盛」の一節、信長が桶狭間の合戦に赴くに際して、
謡いかつ舞ったとされるものである。

天界の最下層では一日が人間世界で五十年に相当するという意味で
寿命が五十年と言う意味ではないみたいです。

数の上では勝ち目の無い、今川義元の大軍勢を
情報と天候と思い切りの良さで
勝利へと結びつけました。

私は上記の他に、この様に分析しています。
やり遂げるようとする力=>ポジティブシンキング=>人を引き寄せる力=>運を呼び込む力

財力・学力があっても運がなければダメですね。
運も力の内です。


人間五十年 明日も頑張ります。

2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

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