「新井奥邃と面す。一泊厄介を得て親しく長時間を対話する如くするも、一物の存するなきが如し。只何事か心静まりて高尚にすすむを覚ゆ。之れ神のめぐみのみ。神は物をさして教る事なし。すべてを育するのみ。只凡眼者流は物あり、音あり、声あらざれば得難し。可憐かな」(田中正造)
新井奥邃は、幕末に仙台藩士の子に生まれ、榎本武揚の明治政府との五稜郭の戦いにも加わった人ですが明治に入り約30年間ほどアメリカに渡ってキリスト教を学び帰国後は巣鴨に「謙和舎」を設立して独特の信仰生活を送った人物です。日々の生活実践こそが信仰生活であると説きました。この新井奥邃に田中正造は出会い大きな影響を受けます。いつの時代も人との出会いはその生き方に大きな影響を受けます。
新井奥邃は、幕末に仙台藩士の子に生まれ、榎本武揚の明治政府との五稜郭の戦いにも加わった人ですが明治に入り約30年間ほどアメリカに渡ってキリスト教を学び帰国後は巣鴨に「謙和舎」を設立して独特の信仰生活を送った人物です。日々の生活実践こそが信仰生活であると説きました。この新井奥邃に田中正造は出会い大きな影響を受けます。いつの時代も人との出会いはその生き方に大きな影響を受けます。