コロナウィルスによる医療者への差別偏見があると聞きます。感染症については今までにもHIVエイズウイルスでもいろいろな形で差別偏見がありました。今も存在しています。ウイルスとの共存と言いながらも人は差別や偏見をします。人の心の中に潜む差別・偏見は他人事のように社会の中で存在しています。薬害エイズを考える山の手の会でも当事者を交えながら感染症と差別・偏見をテーマに学習会企画をしているところです。
最近では政治の世界でも都合の悪いことは文書で残すことをしないような風潮があるようですが、昔、悪行三昧を書き残して自分の真似をするなと書物までにした御仁がおりました。書いたのは勝海舟の親爺で勝小吉、文書は「夢酔独言」、これを読んだ息子の勝海舟は笑いながらも親爺の教訓を大切に日本の危機を救いました。間違いや失敗を書き残すからこそ改善点が見つかり善行出来るというものー今の日本は自分にとって都合の良いことばかり目立つように見せて都合の悪いことは消し去ってしまうー当たり前のように見えますが実は長い歴史を見れば、これこそ崩壊の前兆です。
コロナウィルスによる緊急事態宣言解除から新しい生活様式が求められているとニュースで盛んに言われています。新しい生活様式とはどんなものなのでしょうか。テレワークや時差出勤にソーシャルでスタンス等いろいろ言われていますが、人間本来の生き方は問われているでしょうか。感染症の歴史を振り返れば、幕末においても開国により海外との交流からコレラが発生して感染症対策もさることながら医学研究にとどまらず人間の生き方そのものを問う哲学的なものまで各藩の藩校などで考えておりました。今の時代、技術や形式ばかりにとらわれすぎで歴史や哲学を学ぶ余裕さえ無くなっているようです。
「涙は人のためだけに流しなさい」井深八重が御殿場の神山福生病院の後輩看護師に諭した言葉だそうです。井深八重は若い頃ハンセン病と誤診されハンセン病の神山福生病院に入院させられました。大正時代の当時はハンセン病は伝染する不治の病とされ家族まで差別が及びました。絶望の中に入院した井深八重が神山福生病院の院長でレゼー神父から、どうもハンセン病ではないから東京で精密検査を受けるように言われ検査をするとハンセン病で無いことが分かりました。院長であるレゼー神父から新しい生活を考えるように言われた井深八重でしたが、レゼー神父のハンセン病患者に献身的な働きの姿を見て、自分は神山福生病院で働きたいと、いったん東京で看護師の勉強をして看護師として神山福生病院に働くことになりました。自らの苦悩の体験を活かしハンセン病患者のために一生を捧げました。人のために尽くす井深八重ー社会問題を他人事のように生きる現代の風潮に井深八重の生き方に学ぶべきではないでしょうか。
ここのところコロナ等の事情により感染症対策のため人との接触は出来るだけ避けネット会議が多くなっています。SNSも様々なツールがあり便利ではありますが、人の感情を何処まで読み取れるかというと疑問もあります。一つの情報交流手段としては非常に便利なものではありますが、人の心の奥底までは読み取ることは出来ません。ましてや貧しく苦しんでいる人々にはその情報手段すら手に入ることが困難です。人の心の奥底は対面して顔の表情やしぐさで読み取るものーまた言葉が無くても会っているだけで落ち着いたり、苦しんでいる時、人に言えないことを聞いてあげるだけでも心は少し軽くなったりします。それはSNSでは分かりません。これからも人のぬくもりが感じられる人との交流を続けていきたいものです。