NHKの朝ドラ「あさが来た」で渋沢栄一が登場して注目を集めていますが、この渋沢栄一と勝海舟の関係について私は注目しています。渋沢栄一は自書「論語講義」に中でも勝海舟の評価はあまりよくありません。勝海舟は1823年生まれで渋沢栄一は1840年生まれですから海舟が17歳年上になりますが、この二人の行き方、その哲学、また人物交流は学ぶべきところが多いです。二人とも徳川15代将軍徳川慶喜と深く関係を持ちます。勝海舟は無役の貧乏旗本出身で、渋沢栄一は農家の出身です。生まれたときは二人とも将軍などは雲の上の人で会えるはずもありません。幕末混乱期の時代背景もありますが、二人ともその好奇心と努力で勝海舟は奉行職までなり、渋沢栄一は徳川慶喜の一橋家に奉公することになり出会う機会を得ます。二人とも徳川慶喜との関わり方は違いますが、明治に入って一時駿河に移された徳川家に行きますが、明治政府に呼ばれて東京に移ってからも、そして二人とも晩年まで賊軍の将の汚名を着せられた徳川慶喜のために動きます。人は地位や名誉があるうちはその人に近寄りますが、汚名を着せられた人には近寄りません。この二人は違いました。そして困っている幕臣ののために動くのです。そして二人は未来に向かっても教育を重視して多くの大学設立に力を貸します。この二人が居なかったら、今大学がどのくらいであったかーこの二人の関係について今後も深く学んでいきたいと思います。