幕末というと坂本龍馬や西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎と言った人物の名前がよく出てきますが、なんやかんや言っても幕末から明治維新への激動の時期は徳川慶喜を中心に動きもしこの人がいなかったら明治維新ももっと後になっていたかもしれません。その徳川慶喜と最も深い関係を持ったのが勝海舟であり渋沢栄一でした。徳川慶喜と勝海舟の関係と徳川慶喜と渋沢栄一との関係はまた違って複雑でした。勝海舟はもともと旗本御家人の幕臣ですから徳川将軍家を相続した慶喜は主従関係になりますが、その地位の格差は会う機会など無い大変低いものでしたが、この低かった勝海舟を慶喜は自分の都合の良いように使い、最後は幕府の後始末という幕府最高責任者として採用します。一方の渋沢栄一は武士ではなく農家の出でありながら尊王攘夷運動に関わり幕府の追手をかわし京に入ると慶喜の部下との出会いから一橋家に奉公して慶喜が将軍になると幕臣となりました。慶喜に救われた渋沢栄一はその才能をかわれパリ万博に派遣され西欧文明を自ら体験して帰国し慶喜のいる静岡で徳川家を救い明治政府に一時出仕するも野に下って実業家として多くの企業を創業します。渋沢栄一の勝海舟の評価はありまりよくありません。勝海舟も渋沢栄一と徳川慶喜と最も深い関係となり幕臣としての地位が亡くなった明治においても二人とも晩年まで徳川慶喜の事を想い、勝海舟は賊の将軍であった徳川慶喜を明治天皇謁見の労を取り慶喜はそのお礼として息子を勝家に養子にやります。渋沢栄一も徳川家との関係を大切にして晩年に徳川慶喜公伝を記します。この複雑な三角関係の当事者である勝海舟・徳川慶喜・渋沢栄一こそ明治維新の生んだのだと言えるかもしれません。
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