1883年明治16年11月20日、天璋院篤姫は千駄ヶ谷の徳川邸で亡くなりました。生まれは1835年天保6年。同じ年には薩摩藩家老になった小松帯刀や土佐の坂本龍馬など幕末の志士がいます。時代は正に幕末動乱の時期。天璋院篤姫は薩摩藩分家の姫で薩摩藩主の養女となり公家の近衛家の養女となって徳川13代将軍家定のともに嫁ぎました。夫の家定は1年8か月で亡くなり天璋院と名のり大奥の大御台所となりました。里の薩摩から帰るようにとの要請もありましたが徳川家に骨をうずめ里の薩摩から討幕の軍が押し寄せようと1868年慶応4年4月10日の江戸城明け渡しの日まで大奥を統べ自らの手で大奥を閉じました。明治以降もひたすら徳川宗家を守り幼少の16代目当主徳川家達の養育に努め家達が近衛家の泰子と結婚して独立するのを見届けて明治16年11月20日に49歳で亡くなりました。天命を全うした天璋院篤姫ーその心は永遠に生き続けています。
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