勝海舟と天璋院篤姫との位の差は大きく違います。篤姫は徳川13代将軍家定公の正室。その頃の勝海舟は無役の御家人ー江戸城すら入ることは出来ません。一方の篤姫は江戸城大奥の主。江戸城から出ることもなく出る時は御駕籠の人。到底会えるわけがありません。しかし、幕府が倒れて明治に入ると二人は仲良く芝居を観に行ったり食事に出かけたりしていました。時代が大きく変わる時それを可能にしたこともありますけど、大きいのは二人の志が一致したことではないでしょうか。幕府崩壊により徳川家存続が危ぶまれた時、路頭に迷う幕臣たちの身の上を案じ二人は力を会わせて徳川家存続のため奔走しました。それは自分自身のためではなく、むしろ自分自身を外におき、苦しむ旧幕臣たちのために動いたことでした。人は志によって大きく動き、人は心によって大きく動かされるーこれは勝海舟と天璋院篤姫の関係が証明してくれています。
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