「和宮と天璋院とは、初めは大層、仲が悪かった。会いなさるまではね。お付きのせいだよ・・・それで、あっちでもすれば、こっちでもするというように、競って、そればひどかった」(勝海舟「海舟語録」より)
幕末の大奥にいたころの天璋院篤姫と皇女和宮はお付きのものも多く、よくぶつかっていたようです。これが江戸城を出て明治に入ると二人で一緒に芝居見物まで行っています。激動の時期にぶつかり合ったものですから、時がたつと仲良くなるものです。
幕末の大奥にいたころの天璋院篤姫と皇女和宮はお付きのものも多く、よくぶつかっていたようです。これが江戸城を出て明治に入ると二人で一緒に芝居見物まで行っています。激動の時期にぶつかり合ったものですから、時がたつと仲良くなるものです。