自粛期間が長くなって来た。昨年の今頃に初めて「コロナウイルス」なる言葉を聞いて、その後大型豪華客船内での感染がニュースとなってからすでに1年近い。前回の自粛以降、長く平時というものは無い。多くの社会交流の機会が奪われた。大学での研究活動、実地調査や散策、人的交流(飲み会)など。
一方、会社への出社機会が奪われたことで社会性が大きく後退した。新聞やワイドショーでは十分ではない。やはり経済活動の場に行かないと肌身に感じえないことは多い。なるべく硬派の番組を選んで見ているが、流行語への理解や新語への対応にはすでに周回遅れ状態だ。DXもトランスフォーメーションなどと最近知った。
コロナが収まったら元に戻ると、軽々しく言うべきでない。多くの生活パターンが元には戻らない。衛生観念が一気に進んで一般的な感冒の流行も抑えたようだが、このような衛生レベルがスタンダードになる。口角泡を飛ばしての議論など絶滅するだろう。
我々、熟年者の出番が一層なくなる。泡を飛ばして嫌がられるのも嫌だし、若い人の飛沫を浴びるのも避けたい。結果、世代間の飲食による交流は激減するだろう。しかし、問題は熟年の我々には時間がないことである。平均寿命に近い世代には残された時間がないとも言える。
1年を棒に振ってもこれから50年生きる若者には、人生の2%でしかない。余命10年前後なら10%だ。人生の1割を奪われたことにいら立ちはつのる。ワクチンを優先的に受けてもわずかな誤差である。1日でも早く打ってくれ。