第21番 白峯神宮
京都市上京区今出川通堀川東飛鳥井町261
主祭神 - 崇徳天皇、淳仁天皇
摂社 柊大明神(厄除・延命長寿の神 例祭2月節分)
今宮大神(無病息災の神 例祭10月9日)
白峯天神(学業成就の神 例祭3月25日)
糸元大明神(織物繁栄・和装の神 例祭10月10日)
世の中に恨みを残して死んだ高貴な方は、怨霊になる。そしてその祟りを封じ込めるために篤くその御魂をお祀りする。そのような神社は多い。京都では上京の御霊神社をはじめ、菅原道真の天神信仰や17番で紹介した福王子神社もそれと推定した。霊力の強さは生前の地位の高さと死に至る理不尽さに比例する。こちら白峯神宮の主祭神の崇徳上皇は前天皇という最高の地位にあった上に、異母兄弟である後白河と争った保元の乱の敗北により無残にも讃岐に流され憤死した。しかも舌を噛み切ってその血で「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」書き込んだのだ。霊力の強さは間違いない。
崇徳という最高の贈り名(崩御後のお名前)を与えたが、その後平氏の世となり「まさに民(清盛)が(孫の安徳天皇を利用し)国を支配した。」これらを祟りと見たのだ。贈り名に「徳」の文字が付く天皇は不幸な死を迎え怨霊を疑っていると思われる。因みに、平将門・菅原道真と合わせて日本の3大怨霊とする。
崇徳天皇は四国の地で篤く祀られていたが、幕末の動乱期、孝明天皇は異郷に祀られている上皇を慰めるため、その神霊を京都に移すよう幕府に命じた。そしてその遺志を継いだ明治天皇が上皇の御霊を讃岐国から京都に迎えた。明治と改元する前日であり明治天皇が参拝し翌日、改元の宣命を発した。それほど明治新政府への並々ならぬ意気込みと、崇徳上皇の祟りを恐れたのである。
さて、そのような重い経緯を持つ当社であるが、この地が蹴鞠の宗家であった飛鳥井家の屋敷の跡地であり摂社の精大明神はその守護神であることから、現在ではサッカーの神様とされ、さらに球技全般およびスポーツの守護神となった。このあたり京都の大らかさが見受けられる。従って、拝殿周囲の提灯には各種スポーツ団体の寄進のものが多く。社殿前にはサッカーやバレーボールの日本代表チームや、Jリーグに所属する選手などから奉納されたサイン入りのボールがところ狭しと並んでいる。いまや怨霊封じ込めの雰囲気はなく、スポーツを楽しむ平和な日本の象徴となっている。お守りや縁起物もスポーツにちなんだものが有名で、叶う輪(かなうわ)という腕輪など微笑ましい。
境内には、京都市指定天然記念物の樹齢800年の小賀玉の木(おがたまのき)や、蹴鞠の碑とともに蹴鞠を奉納する新霊域(蹴鞠庭)、各摂社が見られる。
以下に年中行事を記載する。
2月節分 節分祭(鬼遣い豆まき神事)
3月16日 交通安全祈願祭
4月14日 春季例大祭 淳仁天皇祭(蹴鞠奉納) 10:30
5月 5日 子供の日 武道奨励繁栄祭・古武道奉納報告祭 9:00 11:00
6月30日 夏越大祓祭(茅の輪くぐり)
7月 7日 精大明神例祭(七夕祭・山城舞楽・蹴鞠 14:00 ・小町踊り奉納奉告祭) 16:30
9月21日 秋季例大祭 崇徳天皇祭(薪能) 11:00
10月吉日 観月祭・献燈講大祭(望月の日)(管絃・舞楽) 18:00
11月15日 伴緒社祭(御弓神事)七五三詣
11月23日 新嘗祭(日供講大祭・献茶式・潜龍大明神祭・御火焚祭)
以上、ウキペディアより
本年の天皇誕生日にお伺いした。神職にお聞きしたところ「特別な祈祷」を行ったとのことで、しばし歓談をしたが、四国の静かな環境で1000年余り祟りながらも静かに過ごしていた崇徳上皇の御霊は、突然に王城の地京都に還幸されたが、ご本人には1000年の眠りを起こされて大変迷惑しただろうと意見が一致した。もはや祟る気力も失せたか?