アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

573 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  25番 興聖寺

2019-03-18 09:42:06 | 日記

25番 興聖寺

 

三室戸寺の次に、興聖寺を訪ねる。従って25番酬恩庵を26番とし以降順次繰り下げる。

 

宇治市宇治山田27

山号  仏徳山

宗派  曹洞宗

本尊  釈迦三尊像

開基  道元  

中興  永井尚政

 Koshoji Uji Kyoto07n4440.jpg

 

興聖寺は宇治橋東詰めから「さわらびの道」を南下し数百m歩くと左に総門が見えて来る。北方に真っ直ぐ伸びる参道は、「琴坂」と呼ばれ宇治12景に選ばれている。一点射線の見事な絶景で

ある。京都には数少ない曹洞宗の寺で、道元は最初にこの興聖寺を創建したが、比叡山からの弾圧が強く越前永平寺にのがれた。一方、臨済宗は時の政権とはうまく折り合いをつけ、特に鎌倉将軍家・執権北条家との関係がよく京都五山・鎌倉五山など設定し栄えた。夢想疎石や金地院崇伝などいずれも臨済宗の高僧である。結果、京の曹洞宗の寺院は少ない。

「そうどうしゅう」ではなく「そうとうしゅう」と読む。座禅の作法もちょっと異なり、壁に向かって座禅する。悟りを得る為に座禅する臨済宗に対して、只座禅を楽しむのが曹洞宗なのだそうだ。事前予約が必要だが毎週一般人に座禅道場を解放している。

さて、話は興聖寺に戻る。江戸時代になり400年の断絶を経て、5世の住職を招き再興したのが、武将永井尚政で代々永井家が援助して来た。この場所は最古の茶園と伝わる「朝日茶園」の地であり、今でも境内後ろの朝日山からの湧水が貯められ活用されている。

中国風の山門

特徴ある山門をくぐると、庫裏がありそこに受付がある。奥の方は炊事場が見え僧たちの生活の場所と分かる。拝観料を納めてまず、まっすぐ北に行くと大書院があり明正天皇の御幸があった場所も立ち入りが出来る。本堂である法堂には、本尊の釈迦如来三尊像が祀られる。そのさらに奥の祠堂殿には永井家の歴代位牌が安置され、聖観音像が見守る。この観音様は、左足の親指が持ち上がっていて直ぐにでも信者を救いに行けるように準備しておられる。開山堂は道元始め寺の高僧達の木造が安置された中国風のお堂である。中庭の西は僧堂で座禅する道場だ。凛とした空気の漂う空間は普段は無人なのだが、何か修行僧の息遣いが漂う気がする。途中の渡り廊下にはご利益抜群と評判の三面の大黒天があった。いずれの場所も撮影可能でオープンなお寺であった。

本堂にかかる扁額

三面の大黒天

僧堂内部

 

 

見学後、受付の尼僧から色々お話をお伺いした。座禅の事、臨済宗との違いなどなど、途中何度も「そうどう宗」と発音しその都度注意された。なお、興正寺と同じ発音の寺があるが、こちらは浄土真宗の寺である。京都には同名寺院や同発音の寺院が多く注意が必要である。

帰る時には、琴坂を下りながら左右から迫るもみじの枯れ枝を眺め、紅葉時に再び訪ねようと決心した。

 

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