アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

308 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 ⑧ 東山天皇 赤穂浪士ファン??

2018-03-08 11:21:57 | 日記

逆順でたどる平安京の天皇たち

 

113代 東山天皇  浅野内匠頭切腹に怒った天皇

 

・     在位

・     1687年~1709年 23年間

・     譲位により院政(ただし6か月で崩御)

l  在位中元号

l  貞享・元禄・宝永

l  父

l  霊元天皇

l  陵墓

l  泉涌寺 月輪陵

l  朝廷

l  京都御所(土御門東洞院殿)

 

元禄時代の全期間を天皇でおられた。幕府の将軍は、犬公方徳川綱吉だ。

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忠臣蔵との関係をまず書きたい。『時は元禄14年、赤穂藩主浅野内匠頭長矩は、勅使・院使の御接待係を拝命し、その作法を吉良上野介に教わった。田舎侍扱いを受けた内匠頭は、遂に江戸城松の廊下にて「刃傷」に及び切腹、しかし吉良は無罪となった。』

その勅使とは、東山天皇のお使い(名代)の事だ。 

さぞかし天皇はお怒りの事と思うが、京で知らせを受けた天皇、

「御喜悦の旨、仰せ下し了んぬ」と、言った。喜ばしいと言ったのだ。       

御所の整備などに尽力した浅野家に対しては好意を持っていた。一方、朝廷にも様々な裏工作を仕掛ける上野介を嫌っていた。   この事で、筆者は一気にこの天皇を好きになる。さらに、勅使が京都御所に戻った時、内匠頭切腹に対し何も幕府に取りなさなかった事(浅野家を見殺しにした)で、この勅使を宮中参内禁止にしている。筆者は、これで一層好きになる。討ち入り後の感想は伝わっていないが、さぞかしお悦びの事と推察する。

ただ、天皇の在任中すべてにわたり父霊元上皇の院政によるもので、自らの手腕はなかなか発揮出来なかった。それでも子の中御門天皇に譲位し院政を始めるが、半年で崩御した。無念であったろうと思う。

綱吉も家宣も朝廷への敬愛は篤く「朝幕関係」は概ね良好であった。

それでも、当時幕府の人事権であった武家伝奏(朝廷内の幕府連絡係?)の人事を自ら行うなど朝廷の復権に努めた。

江戸幕府全盛期にも気骨ある天皇がいたのだ。

次は、父 霊元天皇。

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