アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

97 アチャコの京都日誌 超速報 後祭 巡行 写真満載

2017-07-24 10:37:23 | 日記

超速報 祇園祭 後祭 巡行

御池通 烏丸が 出発だ 

今年の 順番通り 紹介する

籤取らず 先頭は 橋弁慶山 五条大橋の弁慶・牛若丸の設定だ

北観音山が続く

今年 山一番 鯉山 登竜門の故事による

役行者山には 行者が 先導する

八幡山は 町の八幡社をご神体に乗せている

南観音山 昨夜 大暴れした 楊柳観音が 安らかに 乗っている

鈴鹿山

浄妙山 筒井浄妙が 宇治川の合戦で一來法師に一番乗りを 奪われる

頭上に 飛び越えようとしているのが 一來法師 

黒主山は 大伴黒主が桜の木を見上げている

最後は 大船鉾 復活して 4年目 堂々とした 凱旋鉾だ

御池通に 10基の 山鉾が 並ぶ 壮観なもの

薄曇りで 暑くなく ゆっくり見れた 

後祭の方が 人もやや少なく じっくり見れる

 


96 アチャコの京都日誌 超速報 後祭 宵山

2017-07-23 21:12:08 | 日記

黒主山  解説を聞く

黒主山の 飾りつけ 作業

浄妙山 ご神体 筒井浄妙

鯉山 後祭 山一番 粽は早々に売り切れ

誇らしげな 鯉山

訪れる人も多い

暴れ観音 南観音山 これでも鉾ではなく 山

子供たちの声が聞こえてくる 縁起物を売る子たち

大船鉾

先頭の龍 今年は出番なく 御幣が先頭を行く

復活して3年目

北観音山

良い風景だ

各家では 屏風祭で 家宝を 公開する

休み鉾の 鷹山  復活に向けて ご神体を 修復した。

役行者山

最後は 鈴鹿山

 


95 アチャコの京都日誌 再びの京都 石碑シリーズ 第4弾 角倉了以

2017-07-22 08:49:23 | 日記

角倉了以 邸宅跡

木屋町通り沿い、二条から五条までの散歩道は、遭難した維新の志士や、英雄の顕彰碑が多くみられる。

幕末ファンには、壬生界隈と並んで、人気スポットだ。 木屋町通り沿いある「高瀬川」は、森鴎外の小説でも有名だが、

これは、鴨川の流れを、水運の為に活用する目的で開削した運河だ。

その工事を指揮したのが、角倉了以。京都出身の豪商だ。

邸宅跡は、高瀬川の一の舟入に近い橋の上にその石碑がある。

別宅跡の場所は、御池通りに近い日銀の京都支店の裏手辺り、現在は、がんこ寿司

京都のど真ん中から、淀川を経て大阪に直結したという意味で、経済的にm大きな成果をもたらした。

明治維新後、琵琶湖の水を引き込んだ「琵琶湖疎水」開拓の田辺朔郎と共に、京都水運の父と称えられる。

 

とにかく木屋町通りは、石碑のオンパレード。そぞろ歩きのおすすめスポットだ。


94 アチャコの京都日誌 再びの京都 碑 第3弾 円山応挙

2017-07-21 08:04:14 | 日記

再びの京都 石碑シリーズ 第3弾 

円山応挙 邸宅跡

ご存知 日本画の巨匠 近年は 幽霊画で有名な 江戸時代中期の人だ

同時代 この辺りは 画家の巨匠が 多く居を構えていた

応挙の弟子筋にあたる 呉春が始まりの 四条派も 四条通を中心に 活動していた

そして 今が 旬の 伊藤若冲は 一筋北の 錦通りの八百屋の跡取りだった

正にこの辺りは 江戸中期の1700年前後 後世 巨匠と言われる人たちが 行き来していたのだ。

明治以降 塩川文麟や幸野楳嶺 竹内栖鳳、上村松園など ほとんどの日本画家につながる一派だ。

 

さて その場所は 四条通の堺町南東角 やや東に ある。

みずほ証券京都支店のある場所だ。(角は日興証券 斜め向かいは野村証券)

どんな経緯で みずほ証券があるのか不明だが 古くは 大商証券の京都支店が 自社ビルを保有していた

大商証券は 山叶証券 玉塚証券と 合併して 新日本証券となった。(1967年の事)

新日本証券は和光証券と合併して 新光証券になり(2000年の事)

銀行系の 興銀証券 富士証券 第一勧銀証券とが合併した みずほ証券と合併し

そのまま みずほ証券と 名乗り それに  勧角証券の みずほインベスター証券が 合流し

現在の みずほ証券となっている。勧角証券は 以前 勧業角丸証券と言っていた。

三菱UFJ証券は ・・・・。ううん? もう良いですか?

分かります??

そういえば 近所にも たくさん証券会社あったけど みんな どうなったのだろう?

ずっと 円山応挙は 見守っていたのだろうか?

 


93 アチャコの京都日誌 再びの京都 石碑シリーズ ② 薩摩藩邸跡

2017-07-20 12:03:46 | 日記

何とか、石碑シリーズ 第2弾

薩摩藩邸跡

ここは、同志社大学今出川キャンパス 正門前だ

薩摩藩は、四条の高倉あたりに広大な藩邸があったのだが、維新直前の幕末ここに移った。

御所の北側で、相国寺の敷地に隣接している。蛤御門へも近い。

薩長同盟は、この場所で成立したのだ。小松帯刀と木戸との交渉がなかなか進まない、その時

坂本竜馬がさっそうと現れたのが、ここだ。

同志社大学 彰栄館辺りに、柱の痕跡がある。

それにしても、倒幕の決定したこの地に、幕府側の会津藩出身の新島八重の夫、襄が同志社を創設したのは、歴史の皮肉を感じる。

八重の兄の、山本覚馬が維新後買い取った土地を、譲り受けたものらしい。

久しぶりに、学食で昼食をとる。

やっぱりカレーか?