アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

883  あちゃこの京都日誌  新シリーズ 新天皇の国紀 26

2021-09-08 08:50:36 | 日記

 

後鳥羽上皇

 

1  神器無き即位

平清盛/NHK - Hotchkiss

白河上皇以降、しばらく院政の時代が続き、「治天の君」(真に権力を持つ天皇の父)を争う戦いもあり、それに乗じて武士の台頭を許す。遂には、平安末期、平氏が皇位継承に口をはさみ安徳天皇の悲劇を生む。そして、この章の主役後鳥羽天皇の登場になる。筆者は、後世に名を残す天皇は、何らかのコンプレックスを持っているのではないかと思う。よく調べると即位の経緯が単純ではなく、複雑な事情を背負っている場合が多い。尊成親王(後の後鳥羽天皇)も、誕生時には天皇に即位する可能性はなかった。それどころか仏門に入る運命だった。長い間戦乱の無かった平安時代は、平将門の乱を経て、その後、保元・平治の乱で完全に武士の世の中に変化して行く。何事も武力で解決する闘いの歴史だ。最初の本格的武家政権は、源平の両雄の決戦を経て、平清盛が実現する。しかし諸行無常の世の中は衰退する平氏と、復讐に燃える源氏との再決戦を迎える。その後、鎌倉幕府の時代へと移行する日本の中世の前夜だ。時の天皇は、後鳥羽の父である高倉天皇の第一子安徳天皇の時代で、安徳は申すまでもなく平清盛の娘徳子(建礼門院)との間の皇子である。後鳥羽天皇は「平家に非ずんば人に非ず」と言われた時代の真っ只中で生まれた。平家との血縁の無い後鳥羽に即位の可能性はなかった。しかし、歴史の急展開でその運命は大きく変わる。

寿永2年(1183年)7月25日、源氏の木曽義仲に追われた平家一族は、安徳天皇を奉じて西国に落ちる。早くも8月20日には、後鳥羽天皇が即位する。木曽義仲は別の王子である北陸宮を新天皇に推したが、当時なお治天の君(朝廷の権力者)であった後白河上皇の意思で後鳥羽に決まった。異例なのが、まず3種の神器がないこと、そして前天皇が退位していない事である。禅譲でも譲位でもない異例の即位である。何より問題なのは、その後壇之浦の海中深く神器は沈んでしまい3種の神器が揃わない事で、現代ならば実質的に天皇であればそれで良いとも言えるが、古代には神器にこそ日本国統治の霊力が宿っていると考えていた。もし天変地異や戦乱が続けば、その霊力を引き継いだ天皇の「徳の無さ」が原因とされたのだ。後鳥羽天皇が、どうしても強い君主意識を発揮し朝廷主導の「あるべき世の中」にせねばならないと決意する理由がここにある。決して軽んじられてはならないのだった。

過去の企画展 - 神戸市立博物館源平合戦

 ただし、即位時はまだ4歳であり、その様なコンプレックスに悩むのはまだ先のことである。治天の君は、あくまでも祖父の後白河上皇であり、武家社会では源頼朝が君臨することになる。その後、建久3年(1192年)後白河上皇が崩御し、建久10年(1199年)頼朝が横死する。二人の希代の英雄であり策士であったライバルが相次いで亡くなり、後鳥羽は子の土御門天皇に譲位し上皇となり、治天の君の地位を得て、いよいよ後鳥羽の闘いの歴史が始まる。

 

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882 あちゃこの京都日誌  新シリーズ 新天皇の国紀 25

2021-09-07 09:06:57 | 日記

「時として、金銭欲・権力欲・性欲、3欲の絶倫天皇が現れる。」

源氏物語 - Wikipedia自由な古代の性

 皇位継承について考えている。その為には、金銭欲・権力欲・性欲は必要だ。特に、性欲は具体的に後継者を多く作ることになるので最低条件である。白河天皇以降は、73代堀河天皇―74代鳥羽天皇―75代崇徳天皇と、順調に皇位が親から息子に引き継がれているようだが、崇徳天皇の母君は、待賢門院(璋子)、もちろん鳥羽天皇の皇后なのだが、しかし、実父は曾祖父白河天皇と言われている。性について、おおらかな昔の話とはいえ、自分の寵姫を孫である鳥羽帝に差し出した。それだけでも現代では考えられないが、その後にも関係を続けたのである。その待賢門院 (藤原璋子)は絶世の美女と言われ、幼少から白河院の手元で育てられ、慈しみ。そして女?にされたのである。その璋子を密かに国母(天皇の母)にするために、用意周到に孫の鳥羽天皇に差し出したのである。この経緯は、渡辺淳一作『小説天上紅蓮』に詳しい。

天上紅蓮 | 渡辺 淳一 |本 | 通販 | Amazon

鳥羽天皇は、生涯、崇徳院を「叔父子」(子とは言え祖父の子は叔父)と呼んで嫌った。白河上皇の庇護があり崇徳天皇となったが、白河院の死去後、その影響力が無くなると崇徳院に対して鳥羽院は実の子の近衛天皇に無理やり譲位させた。因みに鳥羽院の寵愛はすでに別の女性である美福門院得子に移っていた。そこで崇徳上皇が、せめて自分の子に次の皇位をと思って仕掛けたのが、「保元の乱」である。その時点では、白河上皇も待賢門院もこの世にはいないが、二人の不倫行為は国を二分する大騒乱を招いたのだ。それにしても待賢門院はかなりの美人で魅力的な女性だったのだろう、鳥羽天皇との間にも4男2女をもうけている。出産をはさんで美貌が落ちる当時のことを思えば驚異的なことである。そして、何よりこの時代の皇族たちの生殖能力の高さに驚く。

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881  あちゃこの京都日誌  新シリーズ 新天皇の国紀 24

2021-09-06 10:57:55 | 日記

 

「兄弟相続がまだあたりまえの時代」

後三条天皇 - Wikipedia後三条天皇

 意外なことに、醍醐天皇から後三条天皇までの11人の天皇で、親子相続なのは2例しかない。甥への継承が3例あるので、5例は次世代につないでいるが、なんと兄弟・従兄弟への継承が6例もある。藤原摂関家の思惑が原因だが、古代に多くみられる兄弟相続の習慣が強く残っていたと考えられる。古い歴史では、親子相続では末子相続が主流だった。現代でも末っ子がい一番可愛いもので、もしその母が異なると晩年の父親は当然、あとからもらった奥さんとの子を一番可愛がる。企業の後継者争いなどで、本妻の子とお妾の子で骨肉の争いの原因になる。寿命の極端に短い古代では、相続させる時点で一番若い子に託すのが当たり前の発想だったのかも知れない。その後、兄弟相続が主流になって、長子相続へと変化して行く。壬申の乱などは、兄弟相続が当たり前でなければありえない大乱である。そして後三条天皇の頃は、それらが混在していて、まだまだ不安定な時代だったようだ。そこを藤原氏があらゆる理由をつけて自らに有利なように皇位継承を操っていたのだ。それを後三条天皇を境に親子相続が主流になってひと時は安定して行く。ただ、途中持明院統・大覚寺統を経て南北朝時代という大混乱を除けばということになる。

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番外 俺にも言わせろ! 重要提案  眞子さま問題

2021-09-06 09:48:19 | 日記

さて、眞子さま問題への考察

眞子さまと小室圭さんが「年内結婚」、アメリカへ“駆け落ち婚”になった ...

世間は婚姻の自由は憲法に定められているとしている。しかし、皇族は国民なのかは議論が分かれるところだ。秋篠宮が結婚は認めると言ったのは、皇室を出るんだったらと言う意味だ。もっとはっきり言えば、勘当した娘に勝手にしろと言ったものである。選挙権も納税の義務もない皇族方を国民と言えるか。筆者は、眞子様に婚姻の自由はないと考える。ただ、自由な結婚に見せる高度な策が望ましいと考える。美智子さまも雅子さまも紀子さまも自由恋愛だった。しかし全く自由な幅広い選択肢があったかと言えばそうではない。高級国民から選ばれたのは間違いない。清子さまのように黒田家と言う旧侯爵家などの家柄から選ぶべきものだ。

金銭トラブル、留学…婚約内定から4年 眞子さまと小室さん結婚へ これ ...

今回の婚姻を、新しい時代の皇室を象徴する好例と考えることは出来ない。まず、各種儀礼をなしに皇室を出ることは、絶縁と言う。まして1億数千万の支度金も拒否すると言うことは、和解金を受け取ることすら拒否し、けんか別れに近い。眞子さまは、ニューヨークでたちまちパパラッチの餌食になるだろう。写真週刊誌で24時間監視されてプライベートショットのチャンスを伺う連中のレンズにさらされる。買い物にも行けない。余裕資金がない中では、執事など雇えないしセキュリティーなしでは、衆知の中で生きて行くことになる。深窓に育った眞子さまがそのような環境に耐えれるはずもない。眞子さまのメンタルの事がまずは心配だ。また、各出版社は自伝本やインタビューを本にしたりと収入源としてそのような提案をするだろう。写真集だけでも相当な売り上げになるだろう。しかし、皇室の品位を保つことが難しく、皇族の暴露本になりかねない。伝統的な皇室の実態は、誤解されて人権論者や左翼勢力や、特にタリバン・中国など自らが人権問題で矢面に立っている国からすれば、「現代でも日本では女性は天皇のなれないなど」格好の日本たたきの材料になる。

ハリー王子夫妻に第2子誕生 長女「リリベット」と命名:朝日新聞デジタル

救いは、日系の企業の資金援助だ。例えば、トヨタ自動車が眞子さまの移動手段をすべて請け負うなどと言う援助を申し出てくれないか。車・運転手・ボディーガードなど、トヨタが一手に引き受ける。また、ユニクロが衣料関係はすべて提供する。武田薬品が医療関係のサポートをする。みずほ銀行が財産管理一切を担当し、みずほ信託が法的サポートをするなど、日系企業がシ団を組んで一丸となって眞子さまを守る。子供が出来たらピジョンの出番だ。

このように全面的サポート体制を組めなければ、眞子さまはたちまち破滅的状況に追いやられる。英国メ-ガン妃のようにメディアの餌食になる前に体制を組んで欲しい。歴史には王室から脱した元皇族を政治的に利用するのはしばしばあることだ。

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880  あちゃこの京都日誌  新シリーズ 新天皇の国紀 23

2021-09-05 08:44:48 | 日記

その4 着眼点

「摂関家からの権力の奪還」

藤原道長-1 | 先祖を尋ねて

外祖父とは、天皇の母の実家の父の事で、藤原氏の戦略は自らの娘を積極的に天皇家に送り込んだ。現代でも、お母さんの実家のじいちゃんが一番可愛がってくれるのである。当然、全部の皇子が天皇になるとは限らないし、必ず男子をもうけるとも限らない。従って、複数の娘を多岐にわたって皇室に送り込み婚姻関係を結んでいる。数打てば当たる戦法だ。しかし、藤原氏はそんな甘くはない。自分の娘の子(当然男系男子)を皇位につける為には、積極的に政治闘争を仕掛け、時には陰謀も辞さない。多くの場合政敵を無実の罪に陥れた。要は、汚い手を使って来たのだ。ただ、後三条天皇の母は藤原道長の孫で、父は後朱雀天皇なので、外祖父に藤原氏はいない。さらに、後三条天皇の中宮や后に道長・頼通に繋がる有力な藤原氏はいなかった。しかも、母の禎子内親王は道長と不仲であった。禎子がもし男子であれば、天皇になって道長の外祖父の地位を得られたので、禎子誕生時、道長は非常に落胆したと伝わる。現代でも、母がその実家と仲が悪ければ、本人はその実家と疎遠になるのは当たり前だ。母から何かにつけて実家の悪口も聞かされていれば尚更だ。当然、道長とその子頼通を好きになることはない。後三条天皇の意思ではなかったものの、結果として摂関家との関係に一区切りつける役割を担うことになった。しかも、禎子内親王は長生きし、曾孫の貞仁親王(白河天皇)即位を、藤原氏の子であることで反対している。むしろ、この女性の存在が摂関家の全盛にピリオドを打ったとも言える。

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