地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

ほおずき(鬼灯)

2022-08-11 12:12:45 | 家庭菜園

畑で草刈りをしていると、ホオズキが生えている一帯が有り、毎年どうしようかと悩みます。

結局は一部を刈り、少しはそのままに・・・

ホオズキって何に利用するのでしょうね❓❓

鉢に移して赤くなるのを見る観賞用しか思い浮かばないのだけど・・・

 

生命力は強いですねぇ~ 雑草の中でもたくましく育ちます。

このホオズキを気にしなければトラクターで一気に処理できるのですが、

元々はお婆さんが植えたと思うと、少しは残しておこうと考えてしまい、

その付近は手で周りの草を刈る事になります。

それが一番暑い時期ですから・・・

 

 


久しぶりに田畑です

2022-08-10 09:39:00 | 家庭菜園

一か月ぶりの遠距離・家庭菜園です。

畑の作物が収穫時期を過ぎてしまい、殆どがダメになっているだろうと・・・。

予想通り🍉スイカは腐っていました

まぁ、それは覚悟していたのですが、稲作の方は手間暇と資金がかかっているので放置はできません。

 

米作りで絶対に欠かせないのが水の管理です。

今年はそれを途中から人に頼む事が出来たのも有り、田畑に行く必要が減った。

 

これ水路に大量の地下水を流します。

これを地域の誰かが自分の田だけでなく、他の人の田の事を考えて長時間モーターを回し、それぞれが少し工夫すれば、なんとか水は補給できます。

この水、冷たくて気持ちいいですよぉ~

汗びっしょりになった時に、この水で顔を洗うと生き返りますね

 

遠距離家庭菜園が行き過ぎての米作り、それも5回目にもなればソコソコ知識も付きます。

全体的にはそれなりに成長しています。

後、2~3週間で稲刈りが出来そうです。

 

しかし、、、心なしか実入りが悪いような気がします。

去年に比べてダメな粒も多いような感じです。

よく見ると茶色い粒が多い気がします・・黄金色に変色していくのとは違う茶色です(右端の方)

 

去年は2~3日に一度は確認していて、病気にかかり始めた頃に発見し対処できたので上手く行った。

今年はそこまで人には頼めないので不安でしたが、その心配もなさそうです。

今年の稲苗は最悪だったので、一部で成長不足で機械にかからないのが有り歯抜け状態です。

 

燃料費などの値上がりと農協の買い取り価格が下がりダブルパンチです。その上に収穫量が少なくなると・・・

まぁ、、、それでも多少の売り上げも有り、自分やお婆さんが一年間食べる事が出来ると考えるか・・・

 

そんな悩みも収穫の時には暑さにも負けず、すべて忘れて頑張れるのだから不思議ですね。

 


枝豆の収穫です

2022-08-09 13:08:22 | 家庭菜園

チョッと収穫が遅れてしまった枝豆。

もう枯れるまで待って「大豆」として収穫しようかなと思ったりしていたのですが・・・

どうしても、、、「ビールに枝豆」の誘惑には勝てず、チョッと硬いかも知れないが収穫する事にしました。

4本ほどは来年の種に残して、後は全てひっこ抜きました。

小屋にネコ(三輪)に乗せた枝豆を運び、日陰で豆をちぎり取ります。

多少は選びながらやるのですが、段々と雑になりますね。

この作業で一番気を付けるのは・・・虫です。

家に持ち帰ると、数日後に成長して街中では見るはずのない虫にビックリさせられます

カメムシを一匹発見しました。これは厄介です、つぶすとメチャ臭い。

畑だから平気ですけど、もし家に持ち帰ってたらと思うとゾッとします。

 

家に持ち帰り計ってみると4kgほどありました。これでビールをより美味しく飲めます


長崎平和祈念式典

2022-08-09 12:22:04 | 日記

今、NHKの放送を見ながらブログを書いています。

原爆によって悲惨な目に遭った広島や長崎の人達のニュースを子供の時から毎年の様に見ます。

 

若い時にその被害の一部を広島や長崎に残された資料で見る事もありました。

写真や遺品に触れる事で色々な感情がこみ上げてきます。

しかし、そこから知る事が出来るのは、あくまでも表面的な事で、原爆によって一般の国民を大量に殺してしまう事が、いかにヒドイ事かを知るのは、かなり後の事でした。

 

一瞬で人の命と都市を破壊すれば・・・

その後に残るのは、スラム化した町と貧乏にあえぐ市民。

日本中が敗戦でひどい状態なので、国や他の地域からの助けは有りません。

現在なら、、、

被災地に自衛隊が行き、大型の機械と訓練された隊員たちの救助。

ボランティアによる助け。

他の地域・組織や国から資金も提供されます。

原子爆弾による被災地には人々が自力で生きて行くための協力者は存在しません。

そこに残っているのは死体と放射能だけ。

 

被爆から40年過ぎた1985年頃から長崎に行く機会が多くなり、その被爆の影響が未だに消えていない現実を知り驚きました。

その当時はまだ多くの被爆者がいました。

外観で被害に遭った人の苦しみや、放射能で被害に遭った人が受けている病気との戦いが続いているのです。

そういう人々が身近な所に存在しているのです。

原子爆弾どころか、戦争による影響もほとんど知らない自分にとり大きなショックでした。

 

その影響は人々の心や身体だけでなく、長崎と言う都市そのものにも大きく残っていました。

 

当時の私は土地に関わる仕事をしていたので、長崎に行くようになって数年後には、長崎でも幾つかの取引に関わったり、土地探しなどもしたのですが、中心地に近い土地でも、誰の所有地なのかハッキリしない土地が幾つもありました。

長崎に長く住む老人にその事を聞くと、被爆後に家を失った人々が指定された地域に集団で簡易な小屋を建てて暮らしたらしい。

その人達にも経済的な格差が有り、助けの有る者は出て行き。

仕事がある人はその土地を地主から買ったりしたらしい。

ですから、その指定された地域は虫食い状態になった。

それでも大きな地主も同じ被災者として協力は惜しまず、資金力の弱い人達には「毎月、いくらでも良いから」と、口約束で土地を売ったのです。

正式な売買契約書も無く、あるのは受け取りの証だけ。

40年も経てば、口約束をした人たちは亡くなり、次の世代になっているケースも多い。

現実の地価も全く違います。

40年も経てば所得も物価も上がり、全額を一度に支払える額ですが、元々の契約が怪しいので、それでは次の世代の地主は納得しない。

バブル景気に向かっている最中で、土地の価格は上がる一方の時代でしたから、地主の気持ちも解からないではない。

口約束はお互いに時間が経過すればするほど自分にとり都合の良い話に変化していき、その接点は遠ざかって妥協点を見つける事は難しい。

そういう地域は虫食い状態なので、車が通れるような道も有りませんし、所有者が明確でない為に公共の上下水道の開発も出来ていません。

そんな土地が長崎市の中心地に近い所に存在していました。

それから30年以上が過ぎている現在はどうなっているのでしょう・・・

 


丸亀の「焼きうどん」に挑戦

2022-08-08 10:30:02 | 日記

徳島県鳴門市にある、さぬき手打ちうどんの「丸亀」

徳島では人気店です

徳島市からは10kmほどで、鳴門競艇場の近くにあります。

 

手打ちうどんの「釜あげうどん」とか「鶏のから揚げ」も人気らしい誌ですが、私は「焼うどん」の一本やりです。

焼うどんと言っても、そば焼の様に鉄板でうどんを焼くのではありません。

 

その丸亀の焼うどんモドキを家で作る事に挑戦してみました。

白菜・豚肉・人参・椎茸・シメジ・オクラを軽くフライパンで炒めて熱を入れます。

その一方で「素うどん」を作り温めて、具材を炒めたフライパンに入れます。

仕上げに生姜をすりおろして混ぜた片栗をいれてトロミを付けます。

すべて、、、丸亀で食べた焼うどんの記憶をたどり作りました。

出来上がりはコレ

 

本物は

メニューの写真より

本物にはキクラゲやタケノコが入っていた。

キクラゲは好物じゃないので良いとしても、タケノコは食材として欲しかったです。

もしかしたら、、、イカとかタコが少し入っていたかもしれません。

 

自作品の味は本物に似ているかと言えば60点ですが、美味さは甘めで80点くらいあるかも・・・。

自画自賛ですが、ソコソコ食べる事の出来る仕上がりでした。

マイナス20点は、片栗粉でトロミのある出汁の味がやはり本物ほど美味しくはなかったです。。。

 

本当は、、、、レシピも無く記憶だけで作ったわりには良く出来てると、ごっつい自己満足してます