脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

消費者金融に勤めて勉強になった。

2015年11月09日 10時11分40秒 | わが半生
お金ほど人の心を映し出すものはない・・24年間、お金を貸す仕事に携わり今、あらためて痛感することです。特に支店を任されていた27歳~38歳・・本当にいろいろな方を見ることができました。お金に対する考え方も人それぞれ。また私が、どこに勤めているか答えると突然、眉をひそめる人や見下す人・・反対に理解を示すひと・・何よりも辛いのはテレビで報道されるイメージだけで人格まで否定してくる人・・人間観察するに勤務先の会社名を名乗る方が、こちらとしてもわかりやすく人付き合いが出来るようになりました。しかし・・・消費者金融会社にも与信といって融資の審査では勤務先や持ち家か否か収入・・住所や家族構成まで申込書に記載をお客様にして頂きます。その時・・私達もお客様の属性を色眼鏡で見て時には偏見や差別を持った言葉を平気に口に出す社員や店長も少なくありません。私も・・決して例外ではありません。人は常にだれかと比較して少しでも優位性を持ちたくなるようにできているのかも知れません。もちろん、差別や偏見wp持たない人も多くおられると思います。そんな中でも消費者金融に勤めていた私が思うのは『サラ金』という露骨な言葉で表現してくる人のなんと多かったことか・・私が勤務していた大手消費者金融は比較的、温かく経営陣は社員と、その家族に思いやりある会社でした。年末には家族ボーナスと言って既婚者には奥様、独身者にはご両親に直接、現金封筒でお金が届いていたのです。会社の業績が低迷したときは海老が届いていました。また社員の誕生日には誕生日休暇として堂々と有給休暇を取得できる空気もありました。支店によってですが社員の誕生日に店長が自腹でケーキを買って祝っている支店も・・昭和59年・・業界は冬の時代に突入したころ・・私は債権回収部門で仕事をしていましたが残業は月30時間までと決められ毎週の残業デイが週に2日~3日。あとはノー残業デイが当たり前でした。昨今、長時間労働で鬱になったり最悪は命さえも・・平成のご時世でも労働環境が悪いブラック企業が問題化されていますがレ●クでは30年も前から【社員の安全と健康を守る】を実行していた会社であったと思います。それにレ●クは当時の創業社長の思いから社員教育には本当にチカラを入れていました。これも社員を通じお客様に少しでも喜んで頂ける思い・・社員の知識や専門性だけでなく社会人としてのモラル・・その思いで三重県に研修センターを建築され7知育・徳育・体育を自然に学ばされたと思います。教育の大切さ、その費用も膨大にかけていたように思います。消費者金融に限らず会社独自で研修センターがある企業は、そんなに多くありません。その教育カリキュラムも本当に細部まで組まれ毎年、階層別に行われていました。もちろん・・誤解のないように願いたいのは、いわゆる軍隊形式ではありません。消費者金融業界でも、本当に至って正統派であり温かさのある会社でした。
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