脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

今、思えば・・

2015年11月11日 09時45分50秒 | わが半生
振り返ると、これまで自分は『何をやっててんやろう?』と何度となく思うのです。高い給料が欲しく、そして少しでも高い職位を目指して・・サラリーマンをしてれば普通?かもしれません。ブランド品を欲しがり・・自分の利益になることばかり優先してきたように思って・・振り返ると恥ずかしさの余り・・昼間、一人リビングで笑ってごまかす自分自身・・その後は『はぁ~・・』と大きなため息を漏らしてしまう。お金では到底、買うことが出来ない多くを失ったことの気づき・・病気になって初めて目が覚めた自分。『我欲』がどれだけ多くを失うか・・目先の損得に囚われた恥ずかしさ。亡くなった母が生前、よく言っていたいくつかの言葉を思い出しました。そのうちの1つ。『損して得取れ・・』私は、こう解釈していましたが母の言いたかったのは『損して徳取れ・・』であったんだと。徳・・一体なんであるのか50歳を過ぎて、しみじみと心に響き始めたのです。世の中、どんどん変化し人間にとって生活も便利・医療も発展し寿命の延び・・不思議と人間の若さも衰えが遅く・・30年前の60歳と現代の60歳の若さ感覚は違います。今の80歳で総入れ歯の人・・そんなにいない。でも私が子供のころ結構、いたように思います。若い男女もLINEやツイッターで出会いをの求め・・自動車も自動運転が開発され本当に未来へ向かっている実感はありますが、人間の本質は不変ではないかと。それは愛情であったり誠実さであったり、そして感謝の心・・物や環境の変化はしても人の本質で大切な部分は失ってはいけない・・でも人間って物やお金を持ってしまうと、その本質が負の方向へと変わることさえある・・。我欲が大きく膨らんで自己中心。。傲慢・・他人を見下し利用し自己の利益を必要以上に得ようとしたとき・・幸せは遠のくような気がします。サラリーマンで30歳~40歳半ばまで、私は『人間、欲が無くなったら終わり』そう考えていました。でも今は違います。欲を少しづつでも無くしていくと不思議と気持ちが落ち着き穏やかになり他人に優しくなれます。お金は生活できて人さまに迷惑かけないほどあればいい。必要以上に入れば人のためになる使い方をすればいいんじゃないか?あれほど輝いて見えたロレックスやヴィトン・・時々、娘と百貨店に行ってロレックス・ヴィトンのショップに見に行くのですが気持ちが躍りません。いい品であることは十分にわかっていますし素晴らしいブランドであると思います。でも全く心が躍りません。妻から『お父さん、誕生日・・何がいい?今、使ってるヴィトンの財布も古いしね』そう・・私の財布は妻と新婚旅行に行ったときに買ったヴィトンのエピ・・色はグリーン。『ヴィトン?そんなん、もったいないし・・いらんよ。それやったら温かい布団カバーがいいな』そう答える私に『お父さんも変わったね。』私は妻に言われ、そうなんかな?ロレックスもタンスにしまい込んだまま全く腕につけようと思いません。普段、着ている服も『しまむら&ユニクロ』です。そんな今、思うことは・・俺って何してたんやろ?遠回りしたなぁ・・でも気づけた事は宝物や。もし?来世があるならば・・どう生きていくか、ふと考えてしまうときもあります。人生に無駄なことはない・・この言葉も少しわかりかけたような気がします。
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