昭和34年 私は生まれました😊
とにかく大きな赤ん坊👶だったそう。
お陰で身長185cmございます。
当時、両親は貧乏世帯。
子供を育てられない!くらいに貧乏😨😱
という訳で私は母の実家に預けられた?
と両親から聞いています。
母の実家は東京都目黒区中目黒。
そこそこ広い土地と家屋でした。
祖母の旧姓は従兄弟から聞いて初めて知ったのが父の葬儀の時。
祖母の旧姓は青山氏。
旧家は渋谷区青山にあったそう。
そこまで聞くと
え?もしかしたら
うちのオカン、お嬢様?と期待も?
祖父の旧家は新宿にあったそうで。
千葉の従兄弟は
『中目黒って昔は下町だよ。』と。
なんか祖父は、あれこれ事業をして失敗したなかで
たまたま運送業が大当たりしたそうな。
でも。
会社が大きくなった途端、手放したみたい。
あれま。勿体ない。と心の中で呟く私💦
そう言えば小さい頃
『おじいちゃんっで、お仕事、何してたん?』と母に尋ねた覚えがあります。
母は
『いろいろ、やってたんだよ。』
私『ふ〜ん。』
祖母は日本舞踊が趣味でした。
明治生まれで日本舞踊を習える?
となると
まぁ、そこそこの家だったんだろなぁ。
そんな母が
なんで?見習い寿司職人の父と?
未だ疑問。
そして
大阪で四畳半一部屋のアパート住まい
トイレはアパートの共同トイレ🚽
なんで?遠い東京から
大阪へ?
子供心に謎でした。
が。
母には一度も聞かなかった私。
そんな貧乏世帯なため。
私は祖母宅に預けられたのが1年間。
ホント、預けたの?
置いで行ったん?
今、ふと、思う事です。
でも、お迎えに来てくれて
私は無事に両親のところへ。
もしかしたら?
里子に出されていたのか?
そんな疑問が。
何故?そう思ったか?
それは
私の後に生まれた男の子が
養子縁組で新潟へもらわれて行ってるから
なんとも複雑な環境で生まれたものです。