「夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧(すす)めて、こう言った。『今日で十四日、あなたがたはひたすら待ち続け、何も口に入れず、食べることなく過ごしてきました。』」(使徒27:33新改訳)
船にいた二百七十六人は、「海の藻屑(もくず)と消えるかもしれない」との恐怖心(きょうふしん)から二週間なにも口にせず、ただ船にしがみついて過ごしていた。当時の航海(こうかい)がどれだけ危険(きけん)に満ちていたかわかる興味(きょうみ)深い光景(こうけい)である。それに比べ、パウロは沈着冷静(ちんちゃくれいせい)であり、人々は内心驚嘆(ないしんきょうたん)していたであろう。こうなっては船長、水夫たち、武器を携行(けいこう)したローマの軍人たちの能力(のうりょく)、身分(みぶん)などはなんの役にも立たないことが明らかであった。▼地中海を嵐(あらし)にもまれながらただよう一隻(いっせき)の船、この姿は現代社会を象徴(しょうちょう)する一枚の絵とも取れる。終末(しゅうまつ)の混乱(こんらん)、近づく黙示録(もくしろく)の患難期(かんなんき)を前に、現代人はあまりにも無力(むりょく)だ。人類が営々(えいえい)と積み重ねて来た知識、能力、技術などは、紙細工(かみざいく)か砂上の楼閣(ろうかく)にすぎないことが暴(あば)かれようとしている。そんな中で、ただ預言者たちの語った神の聖言(みことば)のみが、鎖(くさり)のように不動(ふどう)の岩イエスにつながっている。私たちもパウロが信じたように信じ、パウロが行動したように行動したい。