銀河夢急行

公共交通の話題を中心に、幅広く取り上げます。
都合により無予告で投稿を休止することもありますが、宜しくお願い致します。

名鉄不動産が改組、名鉄都市開発に!!

2022年04月06日 14時02分00秒 | 鉄軌道

既に各報道にてご存じかもしれませんが、名鉄不動産はこのほど、名鉄本社の不動産部門を切り離して合併。名鉄都市開発が発足しました。

言わば、UR(都市再生機構)の民間版でしょうか?

あの高崎社長が長きに亘り出向していたと聞く名鉄不動産ですが、これまでは名鉄沿線の不動産販売や住宅の斡旋などに特化してきましたね。しかしながら、いよいよ名鉄名駅ビル群の再開発時期も徐々に近づいており、名古屋都心部のビル群建て替えや名駅近辺の割り付けの見直しも必要に。名鉄名古屋駅構内の4線化も絡んでいるような。

また、古くなった旧公団住宅の跡地再開発でも、鳴子団地のようにURがその一部分だけを引き継ぐような事例も出ており、それを狙う進出も視野に入れているものとみられます。


ゴルァッ!!国連🇺🇳の場で、しらじらしいぞ!!ロシア政府🇷🇺代表よ!!

2022年04月06日 12時46分30秒 | 防犯・防災・防疫

国連🇺🇳の会議場にて、このロシア🇷🇺政府代表は、一体いつまでシラを切り通しているのだろうか?  これまで散々にウクライナ🇺🇦で過去最悪級の戦争犯罪をしでかしたのは、誰が見ても、もはや間違いないのになぁ……。また、安保理常任理事国の権限を好き放題に乱用していた疑いも大いにありだね。

ホンマに呆れますな。(苦笑)  ロシア🇷🇺の一般国民たちが世界中で、どれほど恥ずかしい思いをしたことか。

それにしても、ふてぶてしい、あの態度。日本の子供たちにとっても、教育上、非常に悪いだろうし……。特に小学校低学年を担任されている先生たちは、受け持ちの児童らにどう説明したら最も良いのか、かなり悩んでいるに違いない。

この際は大岡越前、遠山金四郎、水戸黄門、果ては閻魔大王にでも裁いて貰うしかないのかも…………。(再び苦笑)


国鉄時代前後の阪和線、紀勢本線特集!!

2022年04月06日 10時54分42秒 | 鉄軌道

戸籍上では、亀山駅から多気駅、新宮駅、白浜駅などを経由し、南海電鉄・和歌山市駅までを結ぶJR紀勢本線。

私自身とのお付き合いは昭和51年頃の大学生時代からだったかな。当時は新宮~和歌山間で電化工事が進められていた頃でしたね。その時には太地町内にて1泊しましたが、太地駅や湯川駅などは電化用の柱がそろそろ姿を現していましたね。復路はDF50型が牽いた普通客車列車に乗り、和歌山駅へ向かいましたが。

当時は竜華機関区から多彩な機関車や客車が出動していたものでした。阪和線は関東で言えば高崎線のような存在。早くから複線電化されていたものの、EF52型や70系電車など古い形式車両が多かったような気がします。

紀勢本線では亀山~新宮間も、国鉄時代には何度か電化計画が浮上したものの、結局、実現していませんね。また、和歌山市~和歌山間は一部区間が南海本線所有のせいか、電化は何年か持ち越されたと思います。紀和駅近くには南海本線への渡り線があり、かつてはキハ5500形やサハ4801による急行“きのくに”が経由して白浜駅や新宮駅にも直通していたものでしたね。国鉄側のスハフ42形が南海難波駅に代走で乗り入れたこともあります。この渡り線には今でも架線が張られていないようです。

紀勢本線自体の敷設計画は明治時代後期からあったものの、特に尾鷲~熊野市(現在)間はかなりの山岳地帯で度々、工事が中断。戦後ようやく再開したものの、全通までには15年近くも掛かりました。そして、この全通の時点で多気~新宮間は完全に無煙化されたようだ。この時に主役だったDF50型は、ほぼ同じ頃に土讃線や日豊本線にも入り、特に急勾配が多かった多度津~高知間は完全無煙化を果たしました。しかしながら、四国島内になぜDD51型が一度も使われなかったのだろうか?

紀勢本線での最後の開業は三木里~新鹿(あたしか)間で、その時に紀伊木本駅は今の熊野市駅に改称されたようだ。この区間は長いトンネルが多くて、確かに蒸気機関車の運行には向きませんね。しかしながら、比較的に平坦な和歌山~紀伊田辺間は昭和48年まで蒸気機関車が残りました。

また、その後の電化区間でも特に白浜~新宮間は、もともと線路があまり丈夫とは言えず、EF65型は入線出来ないため、軸重が比較的軽くできるEF58型、EF15型が専ら主役。後には、どうにかEF60型(500番台)が入りましたが、昭和61年11月のダイヤ改正で定期の貨物列車や客車列車は全廃に。同時に竜華機関区自体も廃止になりましたね。

その後はDD51型やDE10型が臨時客車列車を牽引していました。恐らく今のEH200型ならば何とか運用出来ただろうね。この時には既に竜華機関区がないため、機関車は亀山や宮原などから出張していたとか。

画像の本は、そういう紀勢本線や阪和線の歴史について取り上げています。