私自身も全く気付きませんでしたが、鉄道ジャーナル社はこのほど、1967年以来約58年間に亘り月刊誌として毎月発行してきた“鉄道ジャーナル”を来る2025年6月号をもって休刊すると発表しました。事実上廃刊とみられます。
この最終号となる6月号は来る4月21日に発売予定です。
ここ近年は従業員8人だけで何とか編集してきましたが、昨今のインターネットからの情報には勝てなかったようだ。
最盛期の1970〜80年代にかけては、日本の鉄道情報趣味誌の中でも最も中枢的な存在。私自身も過去には3回ほど、かつてのタブレット欄に投稿し、掲載されたこともありました。
近隣の鉄道ファン誌はどちらかといえば軟派的、鉄道ピクトリアル誌は硬派的な記事が多く、鉄道ジャーナル誌はその中間的な存在だったと思いますよ。
しかしながら近年は、鉄道ファン誌はインターネットも活用して幅広い情報展開を行い現代に至っていますが、鉄道ジャーナル誌は公式サイトこそ存在するものの、インターネットの幅広い活用はなく、専ら誌面だけでの提供。そのこともあり、地盤沈下の傾向も否めませんでした。
さらに新興他誌の台頭もあり、こちらはカラー写真による特集も少なくありません。またビコムのDVDやBlu-rayによる情報提供も目立ちますね。
私自身の鉄道ジャーナル誌の記事の思い出は1967年から70年頃にかけて決まって掲載された現役蒸気機関車の運行情報。モノクロ写真付きながらも、当時は長崎本線、山陰本線、伯備線のような亜幹線から臼ノ浦線や日中線、細島線、室木線のような盲腸線までが万遍なく紹介されていたものでしたわ。うん。
確か1969年4月号では二俣線のC58とか、武豊線のC11、中央西線と篠ノ井線でのD51が掲載されていたかな。
その時点では信越本線北部や篠ノ井線での定期客車列車は総てDD51の牽引になり、D51は殆ど貨物列車だけの運用に。一方、中央西線ではまだまだD51が貨物列車の殆どや客車列車の半数で活躍していたと思います。
同年8月号では何と、もともとから基本的には標準軌の韓国国鉄(KNR)の特集記事も。
優等客車列車のセマウル号やムグンファ(ムクゲ)号、トンイル(統一)号、ピドゥルギ号等の存在を初めて知りました。
しかしながら、一部のローカル線ではナローゲージの区間も。但し、石炭の入手が難しかったせいか、日本の国鉄よりも一足早く完全無煙化を達成していたような。
因みに、その当時は日中間に正式な国交はまだなく、日韓でさえ国交樹立から4年を過ぎた頃でしたね。
これとは前後しますが、7月号では20系初代ブルートレインも網羅しつつ紹介されていたと思います。表紙は寝台特急“富士”を牽くDF50の写真でした。
同じく4月号ではC62の特集も。表紙は寝台急行“安芸”を牽くC62の写真でしたね。
今にして思えば、あの頃の記事が私自身にとっては最も面白かったかな。大変に懐かしいですね。
因みに、当時の鉄道ジャーナル誌は掲載写真の殆どがモノクロで製本も簡素。そこいらの週刊誌に準じたものでした。
取り急ぎ報告まで。