濃い緑の樹木の葉っぱに、強い雨が弾いている時に想い出す光景があります。
40年以上も昔になりますが、山深い林道での橋梁新設工事現場で一人の若いトビ職の職人が不慮の事故で命を落としました。その日は工期が迫る突貫工事で大雨の中でも作業を続けていましたが、泥濘に足を取られて深い沢に滑落し全身打撲で重体に陥りました。
親方の指示でひとりは救急車を呼びに里まで走り、我々工事現場の全員が木板で作った台に彼を乗せ、手渡しで沢から運び上げ、救急車の入れる道まで担ぎ出しました。
「死ぬなよ!!!」…腹の底から絞り出すような親方の声が…しかし……救急車を待つ事もなく彼の息は絶え、そして脈も途絶え…
私より3歳年上で、とんでもない暴れ者で、何回も警察沙汰となるような暴行事件を起こした事もありましたが、誰よりも人情に厚く面倒見の良い男でもありました。
バイクが転倒して歩けなくなった自分を背中に背負って1時間もかけて飯場まで運んでくれた事もありました。飯場のご飯を炊くオバサンの手伝いで深い沢まで水汲みをするのは若輩の私の仕事ですが、彼も一緒に付き合う事も何度もありました。
彼は幼い頃から祖母に育てられ、15歳から親方に拾われて飯場暮らしとなり、21歳なったばかりでした。薄幸の人生のようですが、いつも明るくて元気そのものでした。
粗暴な性格ですが仕事も一生懸命で私とはチーム組んで一緒に仕事をする機会が多くあり、親方からも信頼され、翌年には彼とともに独立するよう親方から促されていました。
息をしない彼の亡がらを前に親方の顔をつたる滴は、雨のそれではなく、親方の目から溢れ出る大粒の涙でした。あんなに強い親方の涙を始めて目にしたのです。
親方は、大事な弟子(息子)のひとりを亡くした悔しさだったのでしょうか…
今日は都内四ツ谷三丁目で喫茶店を営みながらシステムエンジニアの活動を行う、長男のところを訪ねました。写真はその喫茶店「茶会記(さかいき)」のネームプレートです。
ホテルに帰る道筋で、新宿御苑の大粒の雨に濡れた広葉樹の葉っぱを眺め、都会で生きる息子の姿を重ねた合わせた時、何故か、40年前の光景を…人目を憚る事無く、親方の頬を伝う涙を想い浮べてしまったのですが…
自分も歳を重ね過ぎたかな…
毎日更新「一日ひと知識」をどうぞ参考に
ブログ総集編
北斗市周辺にお住まいを考えの方は
40年以上も昔になりますが、山深い林道での橋梁新設工事現場で一人の若いトビ職の職人が不慮の事故で命を落としました。その日は工期が迫る突貫工事で大雨の中でも作業を続けていましたが、泥濘に足を取られて深い沢に滑落し全身打撲で重体に陥りました。
親方の指示でひとりは救急車を呼びに里まで走り、我々工事現場の全員が木板で作った台に彼を乗せ、手渡しで沢から運び上げ、救急車の入れる道まで担ぎ出しました。
「死ぬなよ!!!」…腹の底から絞り出すような親方の声が…しかし……救急車を待つ事もなく彼の息は絶え、そして脈も途絶え…
私より3歳年上で、とんでもない暴れ者で、何回も警察沙汰となるような暴行事件を起こした事もありましたが、誰よりも人情に厚く面倒見の良い男でもありました。
バイクが転倒して歩けなくなった自分を背中に背負って1時間もかけて飯場まで運んでくれた事もありました。飯場のご飯を炊くオバサンの手伝いで深い沢まで水汲みをするのは若輩の私の仕事ですが、彼も一緒に付き合う事も何度もありました。
彼は幼い頃から祖母に育てられ、15歳から親方に拾われて飯場暮らしとなり、21歳なったばかりでした。薄幸の人生のようですが、いつも明るくて元気そのものでした。
粗暴な性格ですが仕事も一生懸命で私とはチーム組んで一緒に仕事をする機会が多くあり、親方からも信頼され、翌年には彼とともに独立するよう親方から促されていました。
息をしない彼の亡がらを前に親方の顔をつたる滴は、雨のそれではなく、親方の目から溢れ出る大粒の涙でした。あんなに強い親方の涙を始めて目にしたのです。
親方は、大事な弟子(息子)のひとりを亡くした悔しさだったのでしょうか…
今日は都内四ツ谷三丁目で喫茶店を営みながらシステムエンジニアの活動を行う、長男のところを訪ねました。写真はその喫茶店「茶会記(さかいき)」のネームプレートです。
ホテルに帰る道筋で、新宿御苑の大粒の雨に濡れた広葉樹の葉っぱを眺め、都会で生きる息子の姿を重ねた合わせた時、何故か、40年前の光景を…人目を憚る事無く、親方の頬を伝う涙を想い浮べてしまったのですが…
自分も歳を重ね過ぎたかな…
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