今日は広島の原爆記念日である。
小学校低学年の時に広島に住んでいたので、8月6日8時15分は心に焼き付けられている。
被爆して5~6年しか経っていなかった時、被爆した人から、被爆した時の悲惨極まりない話も、色々と聞かせてもらった。
隣の家のおばさんはケロイドになっていた背中に、蛆が湧いたけれど、膿を拭く布も無かったと、淡々と言っておられた。
まだ高校生位だったお姉さんは、指がくっついて離れなくなっていた。
おばさんの息子さんのお嫁さんは、首筋にケロイドが痛々しかった。
まだ6~7歳の時に目にしたことだけれど、60年近くたっても忘れる事はできない。
小学校の時、私達子供は夏になると大田川で泳いでいた。
その大田川の、私達の泳いでいたのとは違う場所ではあるが、
川底に、原爆の時河に飛び込んで亡くなった人々の遺骨が、すごくたくさん沈んでいたのが、回収されたと言う話を聞いた事も忘れられない記憶である。
私の夫などは、原爆投下の数日後に、汽車で広島駅を通過したので、
被爆した為に腫れて、様変わりされた、痛い痛しいを通り越して、恐ろしいような顔になられた被爆者の人々が、何とか汽車に乗りたいと、汽車にすがり付いておられるのを、中学1年の夏、間近に見たショックは大きかったようで、
それは地獄絵のような世界だったと、しばしば回想し改めてあの原爆の悲惨さを、濃厚に思い出しているらしい。
昨夜麻生総理は広島入りしていると報道されていたけれど、
今日も例によって白々しく、
「唯一の被爆国として、過ちは繰り返しません。」と挨拶されるのだろうか。
オバマ大統領が、核廃絶を言い出されたとき、麻生総理が出した書簡の内容は、核廃絶を歓迎するというよりも、米国の核抑止力の維持を米国に確認するものであったということである。
この日本からの要請を受けて、日米で協議したそうで、
日本側からの要望を汲んで、オバマ政権は戦術核を温存する可能性がある、と米政府高官が明らかにしたそうである。
戦略核とは核抑止力の中心部分である。そして言うまでもなく、核廃絶と核抑止力の維持・強化は矛盾する。
日本政府は進んで核廃絶を世界に訴えるどころか、核廃絶を言い出したアメリカ大統領に待ったをかけたのである。
しかも、この報道をしたのは、一部の地方紙だけで、全国紙で報道した新聞は無かったと天木直人さんが嘆いておられた。(天木直人のメルマガ「本当は核廃絶を望んでいないこの国の政府・外務省」より引用)
先日テレビのクイズ番組で、
世界で一番原発の多い国は?と言う質問が出ていた。
その時始めて知ったのだが、日本は世界で3番目に原発がたくさん有る国なのだそうである。
こんな狭い島国に、世界で3番目にたくさんの原発を造っていたとは!!
その事を少しも不安がらないで、二言目には国防、国防と叫んでいる麻生総理。
麻生太郎氏にとって、国の安全と言うのは、どういうことを言うのだろうか
国中にばら撒かれた原発で、もし事故や災害が起きたときのことについては、
「被害が起きたとしても、それは国の安全がどうのこうのと言う問題ではない」と思っておられるのだろうか?
先日の集中豪雨で、福岡県内のダムがもう少しで決壊しそうになって、放流せねばならないかの瀬戸際になったが、
あわやと言う処で、何とか大事に至らずに済んだという事が有ったそうである。
洪水対策とい言って、むやみにダムを濫造していたら、肝心の時豪雨を支えきれないダムは、一気に放流(又は決壊)することによって、ダムがないよりも、もっと悲惨な災害を起こすことになりかねない危険を含んでいる事が、明らかとなった事件であると思う。
地元が、堤防を高くして欲しいと要望しても、それは聞かないで、
一向に対策しようとはぜず、
滋賀県の場合,ダム建設は凍結と言うことにして、
言うことを聞く首長が出たら、何時でも再開できるように計画を温存している。
しかも、ダム不要の回答をした諮問機関は、先日解散してしまったのである。
このように国の安全を第一にしているのではなく、別の何かを大事にしているのに、「国防 国防」と叫んでいる人達の何と多い事か!
その人達の代表的な存在である麻生総理が、今日広島の記念式典で、
神妙な顔をして、何をのたまうのだろうか?