8月15日 今日は64回目の終戦記念日である。
戦後64年間日本は平和を守ることが出来た。
私が概ね幸せな人生を送らせてもらえたのも、平和になりそれが維持されたればこそと、
改めて戦後の平和を守ってくださった方々に、お礼を申し上げたい気持ちで一杯である。
そもそも平和にならなかったら、私は父親の顔を知らない子供として寂しく、
経済的にも厳しい幼少期を、凌がねばならなかった事だろう。
父は財閥系企業の外地勤務員(軍属)として、マレーで終戦を向かえイギリス軍の捕虜となり、終戦の翌年無事帰国した。
マレーにいるときは、それまで植民地支配していた国の人々が逃げ出した後に、乗り込んだ日本軍が、押収した屋敷の一つを、宿舎として与えられ、前住者が雇っていた使用人もそのまま付いての宿舎だったので、召使に傅かれてのリッチな生活だったようである。
此れは財閥系の会社の社員だったからかも知れない。
今再軍備に熱心なものに、財閥が絡んではいないだろうか?
戦争は財閥にとって、暴利を得るチャンスでもあるらしいし・・・・・
まだ若手の只のサラリーマンだった私の父が、終戦まで得ていた優遇から見ても、日本軍が東南アジアを開放する為に攻めて行ったと言うのも、新しい支配者として、東南アジアに君臨しようとしたと言うのが実情であったのではないかと言う気がする。
(最初はその気であったが、いざ戦闘に勝ったら欲が出てきたのかもしれないが)
戦争を始める時、最初は理想的な事を掲げていても、いざ権力や財宝が手に入ると、余程意志の強いものでない限り、誘惑に負けてしまうのが落ちなのではないだろうか?
だからどんなに正義の為であると言う場合でも、絶対に武力によって正義を達成しようとするのは、間違っていると思う。
ソ連でも中国でも、国中上げて時の権力者をを暴力で追い払って、国民が手に入れたものは、新たな権力者達であり、似たような権力による圧迫であった。
国民の生活は、以前よりましに成った者もあったかもしれないが、酷い状態になった者も多かったのではないだろうか?
革命の為にと大勢の人を殺し、共産国の国民が手に入れたものは、一体なんだっただろう?
イラクの暴君フセインを殺してイラク国民に民主政治を提供すると言って、
イラクに攻め入った、アメリカ軍がやったことは、
イラク国民を幸せにしただろうか?
イラク国民が反抗するから仕方なかったと、アメリカは言いたいのかもしれないが、
反抗せずにはおれない様な占領政策に従わされると分かって、
自国の尊厳を守るため、イラク人は反抗しているのではないだろうか?
この戦争でイラク人は勿論、アメリカ人もどんなに苦労させられた事だろう?
世界中の人が戦争の馬鹿らしさに気が付いて、
平和外交に徹するようになった方が、合理的であると気づくように、
日本は飽く迄も憲法9条を遵守して、平和外交を続けて行っていただきたいと、
終戦記念日の今日、改めて平和の有り難さをかみ締めながら、思ったのだった。