大阪の堺で暮らしていた時、飲み屋で知り合ったR子さんが何度か私の部屋へやって来ました。
そのR子さんが言うには、自分には霊能力があり、他人には見えないモノが見えたり聞こえたりする、と言っていました。
或る日、彼女は私に「霊視してあげる。何か気になることはない?」と尋ねました。
その頃、私の母は入院していました。庭で転倒して足を骨折したのです。
直ぐには東京へ帰省できない私はそんな母のことが気になっていました。
彼女にその話をすると、私の手を握って暫く目を閉じ、それからゆっくりと目を開け、こう言いました。
「果物がほしいって ゆうてるわ」
私はそれを聞いた時、彼女の霊視は嘘だと思いました。信じませんでした。
母は苦労人で、何かを食べたいなどと食べ物のことを口にする人ではありません。それに母が果物が好きと言う話も聞いたことがなかったからです。
その後、私は東京に帰り母を見舞いに病院へ行きました。
高齢のせいでしょうか、入院してすっかり弱って元気のない母がベッドに寝ていました。
そして私に気付くや、こう言ったのです。
「帰ってきたのか。みかんが食べたい。」
私がその言葉にびっくりしたのは言うまでもありません。
直ぐに病院の売店へ行ってみかんの缶詰を買ってきました。
そしてそれを2~3口、母の口へと運びました。
この話は誰にも話していません。
その後のR子さんにも霊視が当たったことを話しませんでした。
何故でしょうか。
単なる偶然だと思いたかったのか。
それとも怖くなったのか。
今となってはR子さんにこの話をしようにも出来なくなりました。
私が大阪を離れる前に彼女は亡くなりました。
末期の肝硬変でした。
そのR子さんが言うには、自分には霊能力があり、他人には見えないモノが見えたり聞こえたりする、と言っていました。
或る日、彼女は私に「霊視してあげる。何か気になることはない?」と尋ねました。
その頃、私の母は入院していました。庭で転倒して足を骨折したのです。
直ぐには東京へ帰省できない私はそんな母のことが気になっていました。
彼女にその話をすると、私の手を握って暫く目を閉じ、それからゆっくりと目を開け、こう言いました。
「果物がほしいって ゆうてるわ」
私はそれを聞いた時、彼女の霊視は嘘だと思いました。信じませんでした。
母は苦労人で、何かを食べたいなどと食べ物のことを口にする人ではありません。それに母が果物が好きと言う話も聞いたことがなかったからです。
その後、私は東京に帰り母を見舞いに病院へ行きました。
高齢のせいでしょうか、入院してすっかり弱って元気のない母がベッドに寝ていました。
そして私に気付くや、こう言ったのです。
「帰ってきたのか。みかんが食べたい。」
私がその言葉にびっくりしたのは言うまでもありません。
直ぐに病院の売店へ行ってみかんの缶詰を買ってきました。
そしてそれを2~3口、母の口へと運びました。
この話は誰にも話していません。
その後のR子さんにも霊視が当たったことを話しませんでした。
何故でしょうか。
単なる偶然だと思いたかったのか。
それとも怖くなったのか。
今となってはR子さんにこの話をしようにも出来なくなりました。
私が大阪を離れる前に彼女は亡くなりました。
末期の肝硬変でした。
義姉は「私は宗教は信じません。科学しか信用しません。」
と公言して憚(はばか)らない人です。
私は“基本的”に、
神を信じられない人、目に見えるものしか信じない人を、人間的に寂しい人だと思っています。
勿論、多くの無神論者を否定するつもりは少しもありません。
ですから“基本的に”
なんです(笑)
ただ、科学的思考が好きなのです。
1+1=2・・・ってね。
でも、実際は答えは2ではないことも多々あります。
科学で証明されていない(或は証明できない)多くの真実があります。
私は驕(おご)ることのない謙虚な人間でありたい。