ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

母の誕生日

2014-03-24 22:41:45 | 日記
3月13日は私の母の93歳の誕生日でした。
私は9日の日曜日に母のいる老人ホームに行きました。

私が行った後で、妻、息子、娘、孫(花香)がお祝いに母のもとに来てくれたようです。

母の嬉しそうな顔。

息子がこの写真を送ってくれて、写真を見て私も幸せな気分になりました。
子供達に感謝です。

先日23日(日)に母のところに行ってこの写真を見せたところ、母は楽しそうにこの写真を見ておりました。

でも、認知症の進んでいる母には、もう子供達が来て母と一緒に写真を撮ったことは覚えていません。

ただ楽しそうに見ているだけです。
私はそれでいいと、それでもいいと思っています。
母は写真を見るのが好きなようです。

この次に訪れるときも、また母に写真を見せよう。

ときどき駅で遭(あ)う彼女

2014-03-20 17:18:56 | 日記
仕事が終わって帰る時、駅で電車を降りると時々彼女に遭います。

何処まで通っているのかな?
仕事に行っているのかな?
それとも学校に通っているのかな?
年齢は、いくつくらいだろう?
20~30の間?
(ナント大雑把な観察力!?笑)

電車を降りると、改札口までエスカレーター。
電車を降りた彼女を発見?すると、私は彼女に近づき遠慮がちに声を掛けます。

「右肩に手を置いていいですか?」

「ありがとうございます。」

「では、出口まで一緒に行きましょう」

私は杖を持つ彼女の肩に手を置き、2人でエスカレーターで改札口を出ます。
改札口を出ると更に地上までエスカレーターが続きます。
私は彼女に尋ねます。

「エスカレーターにしますか? それとも階段にしますか?」

「エスカレーターでお願いします。」

私は彼女に話しかけます。

「いつも(駅まで)(ご両親が)迎いに来てくれるんですよね」

「ええ、今日はクルマなんです」

エスカレーターを降りて地上出口に出ると父親がクルマのそばにいて彼女を待っていました。
お父さんが迎えにくるときはクルマで、お母さんが迎えにくるときは徒歩で2人で歩いて帰っていきます。

一番最初に彼女に声を掛けたときは、勇気が要りました。

「別に自分が手助けしなくてもいいんじゃないか?  誰も手助けしなくても彼女一人でも杖をつきながら点字ブロックを歩いていければ、それでいいじゃないか。余計なお節介はやめよう・・・」


でも、私は思い直しました。

「やり直しの人生は、当たり前のことが、当たり前に出来る人間になろう」と。

彼女に遭うのは、月に1回あるかないかでしょうか。
でも、私の声を彼女は覚えてくれたようです。

彼女が目が見えなくてよかった?です。
こんなオヤジが声を掛けていたと知ったら、さぞかしガッカリするでしょうから(自嘲)


【補足】

私の声は年齢よりも若く聞こえるんですよネー

あーぁ~

2014-03-17 16:17:48 | 日記
今日は仕事は休み。
病院を2箇所廻りました。
 
最初は、睡眠障害の専門医院。
そこで言われたこと・・
「睡眠時無呼吸症候群」の疑いあり。
5月に1泊2日で検査することになりました。
実費で\20,000かかるんだって。
お金もそうだけど、睡眠時無呼吸症候群と言われて"ショック"!
(俺、そんなに太ってるの?!)

次に行ったのは歯科医院。
前から奥歯が痛くて気になっていたんです。
先生に言われたのは「奥歯を2本抜歯して入歯」とのこと。
え~っ!?・・ 入れ歯するのー
俺、まだ58だよ!それで、入歯?!

病院2箇所行ってめげました。
自分の 知らないうちに"健康"が遠ざかって行く・・

親から貰った、この身体。
これ以上、もう、歯は抜きたくないなぁ~

よかったと思うこと

2014-03-14 08:49:51 | 般若心経
今の一人生活を始めて4年になります。
当初は職もなく毎日、近くの図書館に通いました。
瀬戸内寂聴さんの本はよく読みました。
お経を読むことは良い事、写経することはもっと良い事と書いてあったのが心に留まりました。

サラリーマン時代に書店で何気なく「般若心経」の本を買いましたが、読んでみて内容がイマイチ理解できず、と言うか読んでいて面白くなく般若心経の興味は薄れていました。

それが、今の一人暮らしをするようになって、人生の良い機会として、もう一度般若心経の本を読んで内容を理解したいと思いました。

般若心経のことを書いてあるいろいろな本を読みました。(一冊読んでも解らないことがたくさんあったからです)

わずか272文字の般若心経を覚えるのに2年かかってしまいました。
無職の時は毎日、写経しました。
そして枚数が溜まると近くのお寺に納めにいきました。

私は仏教徒ではありません。
今までの人生を反省し、これからの人生をどう生きて行ったらいいのか。
般若心経のお経は、生きていくうえでの道具として持っていても良いのではないかと思ったのです。

昨年11月、兄が亡くなりましたが、無宗教葬だったので、葬儀はお坊さんを呼ぶこともなく、勿論お祈りをすることもありませんでした。
私は兄の棺に般若心経の写経を入れました。
火葬場では般若心経を唱えました。

「同僚の死」のNさんは身内がなく、役所による火葬だけとなりましたが、私はNさんが荼毘に付された時間に部屋で合掌し般若心経を唱えました。

「同僚の死(2)」のMさんは家族が葬式をせず火葬だけとなりましたが、火葬の日にやはり私は合掌して般若心経を唱えました。


私が般若心経を知らなかったら、兄の場合もNさんもMさんにも、私はただ冥福を祈るだけで何も出来なかったと思います。

私の自己満足かもしれませんが、ただ黙祷して冥福を祈るだけよりも、お経を唱えられて良かったと思っています。


(勿論、私が般若心経ではなくて、聖書を読んでいたら、きっとお祈りと聖歌を歌っていたかもしれませんね?)

悲しい・・

2014-03-06 21:35:28 | 日記
「同僚の死(2)」のMさんは、今度の日曜日に火葬されるそうです。

ご遺族からは、葬儀もしないし香典を頂いてもお返しできません、と会社に連絡があったそうです。
有志で1000円づつ出し合って香典を持っていくことにしました。

「同僚の死」で書いたNさんもそうでしたが、葬儀なしの密葬となりました。

死んでも葬式をしてくれるかどうか、わからない同僚が(恐らく)たくさんいます。

私も、その中の一人です・・・