私の父は大正4年生まれ。91歳の天寿を全うした。農家の三男として生まれ兵役後そのまま軍隊に残り職業軍人として終戦まで満州に駐留した。中学出の父だったが准尉まで出世し下士官となった。終戦時ソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留され昭和24年に帰国。
戦争のことはあまり話したがらない父だったが私(現在64歳)が子供の頃に時々話してくれたいくつかの戦争の話を書き留めておきたい。
戦争体験者が少なくなってきている日本で貴重な体験談を受け継ぎ次の世代に伝えていくことは私達子供の役目ではないかと思う。私は平和主義を蔑(ないがし)ろにする今の日本の風潮に危機感を持っている。
「戦争は絶対してはならない」の立場から父が話してくれた戦争の話をお伝えしようと思う。
【父の戦争体験⑥】
満州では現地の中国人が日本の兵隊を接待することがよくあったようだ。
父もそうだった。
或る日、中国人の家に招待された。大層なご馳走のもてなしを受け、帰りには沢山のお菓子を貰った。そのうえ馬車(馬で引く人力車のようなもの)を用意してくれてそれに乗って兵舎に帰った。
父は気分が良かった。馬車に揺られながら「帰ったらこのお土産のお菓子を部隊の皆に分けてあげよう」と思った。皆の喜ぶ顔が目に浮かんだ。
兵舎に帰ると父は直ぐに上官に呼ばれた。
「貴様、兵隊の分際で馬車に乗って帰ってくるとは何事だ!」
と怒鳴られ殴られた。
父は悔しくて悔しくて堪らなくなった。
その夜、皆が寝静まった頃、誰にも気付かれないように父は便所へ行き貰ったお菓子を全て便所に捨てた。
要領のいい者だったら兵舎の少し手前で馬車を降りて歩いて戻ったかもしれない。でも父はそんな知恵など思いつくことなどない愚直な人だった。頑固だったが嘘をつくことが嫌いな人だった。