ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

野沢那智さんの想い出

2010-10-31 16:06:36 | 日記
声優の野沢那智さんが亡くなりました。72歳。

アランドロンやブルースウィルスの吹き替えで、知らない人はいないと思います。

私が高校3年の時です。
学校にテレビ局(テレビ東京)の人が来ました。

当時「君はどう考える」という高校生の討論番組があり、その参加依頼でした。
私は同級生数人と出演しました。

収録にテレビ局のある東京タワーへ行きました。

その討論では、3無主義について他の高校の生徒たちと一緒に熱く意見を交わした記憶があります。

(私がアップで映った場面があるんですよ)

番組の司会をしていたのが野沢那智さんでした。

当時、私は野沢さんのことをあまりよく知りませんでした。

ラジオのパーソナリティをしている人くらいのことしか知らず、

特にファンでもありませんでした。

ただ高校生の私が感じたことは、

ラジオで面白いことを喋っていても、
一方では真面目な討論番組の司会もするんだ、
と意外に思ったことでした。

いま考えると、野沢さんは当時36歳。

当時の高校生には人気のある兄貴分的なタレントさんだったのかも知れません。

若者相手の司会には適役だったのでしょうね。

この番組出演以降、今日まで、

声優さんの中でも野沢那智さんの名前は

私には特別な響きを持って聞こえています。

青春時代のほんのひと時でも、直接、真剣に話をすることが出来た人はいつまでも心に残っていて、
忘れることはありません。

想い出の人が、過去の人になってしまうのは淋しいものですね。

72歳でしたか。
ご冥福をお祈りします。

  合掌

高校生だった私も54だもんなぁ。

ほとけ様をおがむ

2010-10-30 15:50:13 | 般若心経
あなたは、仏壇に手を合わせて拝む時に、何と言って拝みますか?

もう少しするとお正月ですね。初詣にお寺へ行ったら、何と言って手を合わせますか?

ご存知ですか。
ほとけ様には、お願いごとをしてはいけないんですよ。(神社は別です)

私もよくやっていました。特に初詣の時には。
「今年一年、健康で災難なく過ごせますように」などと一生懸命にお願いして、お祈りしていました。

では、どうして、ほとけ様にはお願いごとをしてはいけないのでしょうね。

それは、何故なら、ほとけ様は今の私たちを一人残らず救っていらっしゃるからなのです。

私たちは、いまのあるがままの姿で、ほとけ様に救われているのです。

そうした意味で、ほとけ様へお祈りするわけです。

つまり、拝むとは「救っていただいている、ほとけ様への感謝の祈り」を捧げることなのです。

ですから、ほとけ様を拝む時には、

「(お救いいただき)ありがとうございます」

と、感謝の気持ちを込めて拝んで下さいね。

蜘蛛の糸-その後

2010-10-28 19:49:54 | 般若心経
蜘蛛の糸が切れて、それから長い時間、私(カンダタ)は地獄でじっと考えていました。

最初は、腹が立ってなりませんでした。

奴らが悪いんだ。
奴らが俺の脱出の邪魔をしたのだ…。

私は、そう思っていたのです。

でも、ある日、私は「はっ!」と気がつきました。

「一匹の蜘蛛の命を助けたくらいで、人間は地獄から極楽に脱出できるだろうか!?

それくらいの善行なら、たいていの人間はやっている。

にも拘わらず、多くの人間が地獄に堕ちて来ている…。

ということは、善行でもって人間は救われることは出来ないのだ。

ほとけ様の力によってしか、俺たち地獄の亡者は救われないのだ!

だとすれば、あの蜘蛛の糸は地獄の亡者たち全員を救おうとされた、ほとけ様の糸なんだ!

あれは、俺さまだけの糸ではなかったのだ!」

私がそう思ったとたん、目の前で阿弥陀さまがにこにこと笑っておられました。
そうです。私は瞬間に極楽の世界に来ていたのでした。

出典:仏教・ちょっといい話(ひろさちや著)探究社
……………………………

多少の善行や親切くらい誰だってしてるじゃないか。
なのにどうしてカンダタにしか糸が下りてこないの…?
と、私も以前から思っていた疑問でした。

お釈迦さまの垂らす糸は、グラスファイバー製か何かで特殊強化されているんですね。

地獄へ行くかもしれないと思う人は覚えておきましょう。(私も含めて)

お隣りさん

2010-10-26 14:12:41 | 日記
私の住むアパート2階は3室あります。

それまで空いていた隣の部屋が今月1日より入居しています。

木造のせいか隣の部屋の音がよく聞こえてきます。
ドアの開閉、電話の話し声、歩く足音…。

私は寝付きが悪く、夜中も2、3時間おきに目が覚めるのですが、
最近、それに拍車を掛けて夜中2時になると目が覚めるようになってしまいました。

物音のせいです。
目覚まし時計の鳴る音。

お隣りさんの部屋からです。

目覚まし時計が鳴る、慌ただしく仕度をする、ドアを“バタン!”と閉める、急いで階段を駆け降りて行く…

幸か不幸か、私は蒲団の中にいながらにしてお隣りさんのこの一連の行動がわかってしまうのです。

そしてお隣りさんは朝8時頃に戻ってきます。

午後は3時頃に出て行って夜8時頃に帰って来ます。

お隣りさんだけでなく、そのまたお隣りさんも同じ行動パターンということもわかりました。

ある日、アパートの前に停めてある彼等のバイクを見て納得しました。

それは前に大きなカゴのある新聞屋さんのバイクでした。

「そうなんだ。新聞配達の仕事をするとこんな生活になるのかー。やっぱり俺には無理だな~」と変に納得?

どうやらアパートの 2階は、私の部屋を除く他の2室は新聞配達店が従業員用に借りている部屋のようです。

でもこの間、何人か仕事仲間が来ていて、辞めるの辞めないの、って話していたような…

お隣りさん、1ヶ月で居なくなるの?!

そうしたら夜中は静かにはなるけれど。

(これから冬は寒いだろうな~ 新聞配達。)

今日も歩きで…

2010-10-24 18:45:03 | 日記
昨日は東、今日は西(笑)

今日は「武者小路実篤記念館」へ行って来ました。

私のアパートから歩いて50分くらいかかりました。
駅で4つ分です。

ここは武者小路実篤が、亡くなる昭和51年まで暮らしていた邸宅で、没後遺族が市に寄贈し、今は記念館及び公園として公開されています。

邸宅の敷地が何と、1500坪もあるんです。
庭には2つの大きな池があり、休息できる庵も3ヶ所設けられています。

  
(ひっそりとした庭園内に実篤の銅像があります)

  
(大きな池にはくつろぎの庵があります)

立派な竹林もあり、個人の庭とは思えない、まさに森林公園と言ったほうが相応しい趣です。

そこで当然のことながら、この立派な庭は「実篤公園」として開放されていて、住民の憩いの場になっているのです。

住まいは公開されているので見学してきました。

  
(旧自宅、中に入って書斎を拝見しました)

作家の書斎を見るのは生まれて初めてのことでしたが感慨深い想いでした。

私が高校生の時、夏休みの読書感想文の宿題で、読んだ本が実篤の「友情」でした。

とても感銘し何度も読み直した記憶があります。

遠い昔の、高校生だった自分の気持ちに会ってきたような、そんな懐かしい想いのした一日でした。