都内にある某大手信用金庫を辞めて24年になります。
私は本部の経営中枢部の部署に勤務していました。
その部署には3つ歳上のA先輩がいました。とても頭の切れる人で、担当役員のM常務にもその能力は高く評価され出世頭でした。
私が退職する日、A先輩に挨拶に行き、M 常務には自宅を訪問し
お世話になったお礼に洋酒を届けました。
A先輩はその夜、送別会をしてくれました。2人だけの送別会でした。
盃を交わしながらA先輩は言いました。「君を辞めさせてしまうようではこの信用金庫はダメなんだ。何も出来ない自分が悔しい」
私はA先輩のその言葉に心の底から感謝し、脱落して辞めていく自分を後ろめたく思っていた私の心は、その一言で救われたような気がしました。
その後、M常務は理事長となり信用金庫業界の異端児と世間では呼ばれ、様々でユニークな経営をする一方で、本来の独善的な手法からカリスマ的な存在になり、自分の娘婿を後任の理事長に据えて引退した後も実権を握っていました。
一方、A先輩もM氏の懐刀として副理事長になりました。
その信用金庫にクーデターが起こりました。昨年の11月です。
M氏(相談役)と娘婿の理事長が解任され、副理事長のAさんが理事長に就任しました。
信用金庫を私物化してきたM氏一族に対するA先輩の反乱でした。
理事長就任後、A先輩は社内の悪習を排除すべく様々な施策を打ち出しています。
3.11の震災後は、金融業界としては異例の「脱原発宣言」をして、新聞やTVに出演してマスコミの話題にもなっています。
ショックを受けたのはインターネットで何気なく探して見つけた記事でした。
M氏が7月に自殺したのです。
78歳。
「カリスマ」とも「天皇」とも言われた人でした。
世の中で怖い物などない、といった人でした。
私が信用金庫を辞めた理由のひとつが、M氏のやりかたに馴染めなかったことでした。
鎧を剥がされた人間は、かくも弱いのでしょうか。
78歳で死を選ぶしかなかったとは…
24年前の昔ですが、私が深く関わったA先輩とM氏の2人の人生の変わりように「人生の何んたるか」を考えてしまいます。
こういう私も、人生を大きく変えてしまいましたがー。