ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

四苦八苦とは

2018-10-09 21:55:27 | 日記
   (参考:ウィキペディアより)


四苦

①「生」…
生きていること自体肉体的精神的苦痛が伴う。

②「老」…
老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。

③「病」…
様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる。 

④「死」…
死ぬことへの恐怖、その先の不安。


八苦

⑤「愛別離苦」(あいべつりく)…
愛する者と別離すること

⑥「怨憎会苦」(おんぞうえく) …
怨み憎んでいる者に会うこと

⑦「求不得苦」(ぐふとくく) …
求める物が得られないこと

⑧「五蘊盛苦」(ごうんじょうく) … 
五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

  四苦と合わせて四苦八苦と呼びます。


仏教の教えです。
人間が生きていくうえで、誰もが避けて通れない「苦」です。

私は特に八苦に加わる後半の4つの「苦」で日常生活を格闘?しているような気がします。


愛する人との別れ。死別、別離
 
イヤな人嫌いな人と避けて通れぬ付き合いや、離れられない関係。
会いたくない人も沢山いる。

物欲に対する強度な欲求や、自分の思うようにならない他人の考え方への苛立ち。他人の心を掴めない。
何故俺の気持ちがわかってくれないの?

自分の心や身体であるにも拘らず、自分の思うようにはならない苛立ち。
体調不良や精神的ストレス、不眠症


人はこの四苦八苦と一生付き合って生きていくのです。

でもこれらの苦痛を和らげる方法もあるようです。

「慈悲」の心です。
「無償の愛」とも言います。

「〜してあげたのに」と思うから腹が立つ。
自分のしたことで相手の反応を期待する。 
相手が自分が期待していた事をしないと、“裏切られた”と腹が立つ。

「慈悲」の心は相手に何も求めません。見返りも、お礼も求めません。

貴方の心に相手に対する幾らかの期待があるのなら、それはしないほうが良いです。

“電車でお年寄りに席を
譲って“あげた” 

ではなくてー

“席を譲った”

と自然に思えるようになりたいと思います。










神様のご利益

2018-10-09 11:00:01 | 日記
「捨てちゃえ、捨てちゃえ」
ひろさちや著 PHP研究所 より


鎌倉時代の話。
当時の幕府の執権が夢を見ました。
神様が出てきて、家来の藤綱に加増してられとお告げがありました。
早速、執権は家来の藤綱への加増を命じました。

しかし藤綱はそれを断ったのです。
周りのものは皆が不思議がりました。
そして藤綱はこう説明したのです。
「手柄を立てて加増されるのであればそれは嬉しい。しかし執権が夢を見て、それで加増されるのであれば、こんど執権が夢を見て神様が“藤綱の首をはねよ”と言ったら自分は首をはねられることになる。だからそうなっては大変だから加増をお断りするのです」


いわれのないご利益を授けてくれる神様は、同時に いわれのない不幸を授ける神様なのだそうです。

理由なく利益を得ようとするならば、理由のない不利益も受ける覚悟をしなければなりません。

良くも悪くも神様は平等です。

3つの願い

2018-10-08 19:47:02 | 日記
「捨てちゃえ、捨てちゃえ」
ひろさちや著 PHP研究所 より


『アラビアンナイト』に「3つの願い」の話があります。
アラーの神のおかげで、ある男が3つの願いを叶うことが許されます。
彼は妻と相談して、自分の性器を大きくしてもらうことにしました。
願いは叶いましたが、性器が大きすぎて妻が悲鳴を上げる始末に。
そこで男は今度は性器を小さくしてくれとお願いします。
すると今度は性器が小指くらいに小さくなってしまいました。
あわてて夫婦は3つ目の最後のお願いをしました。
「どうかもとの大きさに戻してください」と。


この話をもとに、イギリスの短編作家のW.W.ジェイコブスが「猿の手」という作品を発表しました。
ある夫婦が3つの願いを叶えてくれる魔法の猿の手を譲り受けます。
夫婦は早速大金を手に入れたいと願いごとをしました。すると夫婦に大金が届けられたのでした。
でもそのお金は息子の事故死の賠償金だったのです。
夫婦は直ぐに息子を生き返らせてほしいと2つ目のお願いをします。その願いが実現しそうになったとき、恐ろしくなった夫婦は3つ目の最後のお願いとして、大金はいらないので最初の願いを取り消してほしいとお願いしました。
(大金を手にしたままだと、また息子が死ぬかもしれないし、そうでなくても予期せぬ不幸に遭ってしまうと思ったのです)

これらの話は、奇跡には犠牲がともなうものだと教えてくれています。

濡れ手に泡のような旨い話はありません。
もし、濡れ手で泡を掴んだとしたら、それは同時に大切な何かを失うことです。遅かれ早かれ大きな犠牲を払うことになります。

むやみに奇跡を願わないほうがいいのです。

よく「困ったときの神頼み」と言いますが、本来は神仏をお参りするときは願いごとはしないものだそうです。
ではなんと言ってお参りするのか?
「今日も一日を授けていただき、ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えるのだそうです。

「日日是好日」 禅の言葉です。