ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

夏なのかな?秋なのかな?

2014-09-29 18:58:34 | 日記
今まで腰痛で仕事を休んでいましたが、先週からガードマンの仕事をまた始めました。

一日中、外の仕事なので気温の差は肌身で感じます。
朝晩は確かに涼しく、否、日によっては寒いくらいに感じることもありますが、それでも昼間よく晴れている日は汗が出てとても暑いです。 

今日も東京は晴天。
昼間の気温は28度もあったそうです。 
私も日焼け(土方焼け)しました。

でも今日1番に気が付き驚いたことは、蝉の"ツクツクボウシ"の鳴き声を聴いたことです。

蝉はまだ、夏なのか、秋なのか、迷っているのかなぁ~と思いながら、暑い今日の日差しの中、その鳴声を聴いていました。

お彼岸の足音が

2014-09-19 00:04:02 | 日記

私の住むアパートの前は田圃です。
2、3日前に田圃の畦(あぜ)に紅く咲く一輪の花を見つけました。
その花がこんなにも咲き増えました。

彼岸花です。 



みなさんはお彼岸の時期をどのようにして知りますか?

多分、カレンダーや暦を見て「秋分の日、お彼岸だ」と思うのではないでしょうか。

このアパートに住んで4年になりますが、ここに移り住んで私はこの彼岸花の咲くのを見てお彼岸が来ることを知るようになりました。

こんな自然を感じることのできる自分は幸せだと思っています。

涼子のこと(別 れ)

2014-09-19 00:03:31 | 日記
リョウとははっきりした別れがあった訳ではない。

リョウは時々私のマンションに来た。私もリョウのアパートに何回か行った。
リョウが私のマンションに来た3、4回目の時だったと思う。
リョウは自分に言い聞かせるように「よっしゃ」と覚悟を決めたように静かに言うと、私に抱きついてきた。
その夜、リョウと私は男と女の関係になった。
私には、病気で身体が辛い彼女が、それでも無理して私を求めてきたように映った。
そう思うと、何か彼女に悪いような気がしたが、それだけ彼女は真剣なのだとも思った。

それから暫くリョウは来なかった。立ち呑み屋にも姿を現さなかった。
気になってリョウのアパートへ行ってみたがポストには郵便物が溜まっていて長く留守をしている様子だった。

そんな或る日、リョウから電話が来た。病院に入院していて外出も許されないと言っていた。

何ヶ月か経ってリョウは私のマンションにやってきた。
酒を飲んでいる様子はなく、清々しい感じで、私の顔を見ると「リョウだよ」と笑顔で言った。
3ヶ月入院していたという。
手術をして、妊婦のようにパンパンに膨れていた腹はすっきりしていた。
私も彼女の元気な顔を見ることができて嬉しかった。
彼女が帰るとき「お金、一万円貸して~」と言った。
私は内心「これが目的で来たのか」とがっかりしたが、私も自分の事を棚に上げて説教できる身の上ではなかった。彼女も私も弱い人間同士に変わりなかった。私は彼女に金を渡した。

その後もリョウは私のマンションに来ると「お金、貸して」と言ってきた。
私は「俺も金がなくて、貸せないんだ」と言って断った。
実際に私は借金まみれで、綱渡りをするような感じで毎日を過ごしていて、貸す余裕などなかった。
断ると、リョウは「今日は役所に行って生活保護費をもらう」と言った。
私は朝の出勤の途中、リョウを役所まで送った。
別れ際、リョウは「兄ちゃん、(送ってくれて)優しいね」と言った。
それがリョウと話した最後だった。

その後も何度かリョウは私のマンションに来たが、私は居留守をしてインターホンに出なかった。
そうしているうちにリョウは来なくなった。
立ち飲み屋でも姿が見られなくなった。
何ヶ月かして、私は気になりリョウのアパートへ行ってみた。
リョウの部屋のポストは別人の名前になっていた。アパートにはもう住んでいなかった。

毎日仕事帰りに寄る立ち呑み屋の店の人にリョウがどうしているのか、余程聞こうと思ったが、変に勘ぐられるのも嫌に思い、聞けないでいた。
そんな或る日、店の客がリョウが死んだと話しているのを聞いた。
ただ私はその話を横で聞いていた。

 
涼子はー

差別を受け、小学校の時は、訳もわからずに放課後自分一人だけ同和教育の授業をうけさせられた。
高校へ進学せず、家の飲食店の手伝いをしていた。
結婚したが直ぐに離婚し、それでも酒を飲むと別れた亭主の話をよくした。
成人式の晴れ着はおばあちゃんが買ってくれたと嬉しそうに話していた。
肝臓を悪くして、外で働くことができず生活保護を受けていた。
末期の肝硬変で、その辛さを酒で忘れようとした。
血液型AB型。
A型の男が好き、と言っていた。

37歳だった。

つむじ風のように、あっという間に私の心の中を通り抜けて、そして逝った女性だった。

……………………………………………
私はその後、大阪勤務から東京勤務に戻され、リョウの想い出がある大阪堺を離れた。
しかし私は失踪した。
神戸でホームレスをしていた私は、息子に偶然にも発見され、私は暫く神戸三ノ宮のビジネスホテルで過ごすことになった。
そのビジネスホテルで書き始めたのがこのブログだ。
興味のある方は、このブログの一番最初の記事を見ていただければありがたい。



涼子のこと(或る夜の出来事)

2014-09-16 23:41:35 | 日記
私はあの日の事で懺悔しなければならない。
涼子に謝らなければならない。


その日も仕事帰りにいつものように立ち呑み屋"大当り"に行くと、涼子は既にいて、しかもかなり酔っていた。と言うより酔い潰れていた。
店の人も他のお客達もみんな迷惑そうにしていた。

そして涼子は半ば店から追出されるようにして、ふらふらした足取りで店を出ていった。

そんな涼子のことが気になった私は涼子が店を出てから暫くして店を出て、駅方向に向かった涼子を追った。

駅前のロータリーには救急車が来ていて人だかりが出来ていた。
その中央で涼子は倒れていた。

涼子は意識が無いような状態で酔い潰れグッタリしていた。
救急車の人も、周りを取り囲む人々も何処の誰とも分からぬ涼子を心配そうに見ていた。

私は

「この人、知り合いです。搬送する病院まで付き添います」

とは言わなかった。

その時、私の脳裏に浮かんだのは

「こんな女と関わってはいけない。自分もダメになってしまう」

ということだった。

私は、救急車で搬送される涼子を群集に混じって遠巻きに眺めていた。

「自分は何と悪い人間なんだろう」と思いながら。

「俺は、何てひとでなしなんダ!」と思いながら。

あなたは、身近な人が倒れていて、しかも救急車が来ていたとしたら、心配して近寄っていきませんか?

私は、その時、遠ざかったのです。

あの夜の
「自分で自分が嫌になった」
その気持ちは一生私の脳裏にこびり付いていることでしょう。

涼子のこと(霊能力)

2014-09-12 00:25:12 | 日記
或る日、立ち呑み屋"大当り"でリョウと酒を飲んでいると、リョウが私に言った。

「私、霊能力もってるんやで。だんだん薄れてきたけどな。何かみてあげよか。やってみるわ」

私はその頃、骨折して入院した母のことが気になっていたのでリョウに母を占ってほしいと言った。
大阪へ転勤していた私は東京の母に直に会いにいくことが出来なかったからだ。

しかし"霊能力"というものも私は眉唾もので、リョウの霊能力を信じていた訳ではない。
興味半分だった。

リョウは私の両手を握ると目を閉じ気持を集中しているようだった。
そして、やがて目を開いて私に言った。

「お母さんな、果物食べたがってるわ」と。

私はそれを聞いてリョウの霊能力は当てにならないな?、と疑いの気持ちを持った。

何故なら、私の母は「あれが食べたい…」とか言う人でなく、欲しくてもそれを我慢して決して口にする人ではなかったからだ。

暫くして私は東京に帰省した。
そして母の入院する病院へ見舞いに行った。

母は私の顔を見るなり

「ミカンが食べたい」と言った。

私は母がそんなことを言う人でないと思っていたので、それを聞いてビックリした。
私は直ぐに病院内の売店へ行きミカンの缶詰を買い、母に食べさせた。

リョウにはやはり霊能力があったのかなぁ~……