私には「孫」は無縁だと思っていました。
そう自分に言い聞かせていました。
でも、おかしいことに
最近幼い子を見ると、
また息子と会っていると
息子の子供はどんな子なんだろう?
その子を見てみたい。
抱いてみたい。
孫を公園や遊園地へ連れて行ってみたい…
たまに、そんなことを考えるようになってきました。
もっとも、息子は今年結婚したばかりで共働きですから、子供はまだ先だと言っていますが(笑)。
自分には願ってはいけない望みだとずっと思ってきたのに。
未練になるといけないですから。
生きたいという欲の表れでしょうか。
欲が出ると、人生を駆け引きをしながら生きて行くようになってしまいます。
でも、そういう生き方には疲れました。
そういう生活をするつもりはないんです。
もう出来ないと思います。
これって私の我儘だっていうこともわかってはいるんですが-。
そう自分に言い聞かせていました。
でも、おかしいことに
最近幼い子を見ると、
また息子と会っていると
息子の子供はどんな子なんだろう?
その子を見てみたい。
抱いてみたい。
孫を公園や遊園地へ連れて行ってみたい…
たまに、そんなことを考えるようになってきました。
もっとも、息子は今年結婚したばかりで共働きですから、子供はまだ先だと言っていますが(笑)。
自分には願ってはいけない望みだとずっと思ってきたのに。
未練になるといけないですから。
生きたいという欲の表れでしょうか。
欲が出ると、人生を駆け引きをしながら生きて行くようになってしまいます。
でも、そういう生き方には疲れました。
そういう生活をするつもりはないんです。
もう出来ないと思います。
これって私の我儘だっていうこともわかってはいるんですが-。
なんで駆け引きが必要なの?
「心の探り合い」と言い換えてもいいです。
世の中は何でも自分の思い通りにはいきません。
現実と折り合いをつけながら、妥協しながら人は生きています。
この「折り合い」や「妥協」を自分の欲求が叶うように、自分が有利になるようにすること…。
これが即ち、私の言う「駆け引き」です。
家族や職場の人、友達などは、少なからずお互いに「心を探り合って」人間関係が成り立っていると思うのです。
良い言葉で言い換えれば
「思いやり」と言えるかもしれません。
でも、その思いやりも自分勝手な思いやりに過ぎないと思うのです。
つまり、相手が自分の考えを受け入れるように相手の心を探り、相手の心と駆け引きをしながら、自分に有利になるように人間関係を続けているのです。
私の心はもうそれをすることに疲れました。
そう考えると、まともな社会復帰は出来そうにないのかな?と考えたりします。
だから、私も自分が傷つかないように人と距離を置くようにしているところがあります。
そう、身勝手なのです。
「まともな社会復帰」も、人によって違うのでは?「幸せ」が人によって違うように。
支離滅裂。
生きたいのか?
死にたいのか?
どうでもいいのか?
こんなふらついた気持では、念仏をいくら唱えても救ってくれませんよね。