マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

にしおかすみこさんの連載(最新がUPされています)に頷くばかり

2022-02-22 | 介護
本日の朝食

 ・Wハムチーズトースト
 ・牛乳

本日のcoffee break


本日の夕食

 ・キャベツ、玉ねぎ、ハム炒め
 ・グルテンフリーグラノーラ(いちごとバナナトッピング)

昨日、おつとめ品になっていた無塩せきハムを購入したところ本日が賞味期限だったので、朝食と夕食はハム消費メニューでした(笑)
朝は、洗い物が面倒くさいので、食器を使わずトーストする際に使ったアルミホイルをそのまま皿として使って、牛乳も
紙コップです(笑)
夕食で食べたグラノーラは、販売元であるショップ店主のおすすめの食べ方を試したくて、しかし朝用意するには私が覚醒していない状態なので、用意が面倒くさいため、夕食で試すことに(笑)
店主おすすめの食べ方だけあって、本当に美味しかったです。

coffee breakは、豆を挽いたコーヒーで。
インスタントも飲むのですが、現在切らしているので、毎日豆を挽いて飲んでいます。
カリタのコーヒーミルは、かなり前に百貨店で購入した現品限りの割引商品でした。
現品限りの割引商品というよりは、訳アリ商品と言った方が正しいのですが、おそらく展示品をお客様かもしくは店員がディスプレイしている商品を落としたのでしょうね、底の角が1ヶ所潰れているのです(笑)
豆を挽く分には問題がないし、自分の家で使うのですから、別に潰れていてもそれも味かな、と購入しました。
ドリッパーは、100円ショップのキャンプ用具コーナーにあった商品で、平らに潰してコンパクトに収納することが可能ですが、家で使う場合はいちいち平らにしないので、これを使っている意味はあまりないかなあ、と思っています(笑)
フィルターもセットし難いので、紙フィルターを使わないで済むドリッパーの購入を検討中です。

では、本日の本題を(笑)

にしおかすみこさんの連載が更新されていました。
OGPイメージ

にしおかすみこ「認知症の母の通院」自転車をやめて徒歩で行った理由(にしおか すみこ)

久々に帰った実家が荒れ果てて、母親も変わっていたらどうするか。にしおかさんがコロナ禍の影響で実家に帰った時、そこで目にしたのは足元がジャリジ...

FRaU | 講談社

 


今回の記事を読んでいて、そうなんですよ!と思わず声に出してしまった一文がありました。

「認知症とはどうしてなるのか、どうやって進行するのか。科学で分かっていることもあれば、わからないことも本当に多い。
特に認知症になった本人と近くにいる家族は、その「わからない」に翻弄されてしまうのではないか。」(にしおかさんの記事の担当者の方の文章を引用)

認知症とひとことで言っても、発症の瞬間がはっきりしているわけではなく、進行速度も人それぞれ。
私の母の場合、認知症だろうという言動はあったものの、私と一緒に住んでいることで特に生活に支障が出ていることはありませんでしたが、昨年12月の長期入院(約40日)によって一気に加速しました。
それまでは、おそらく認知症の始まりなのかな、と思ったのは、やたらとあちこちの棚の扉や引き出し、そして冷蔵庫を意味も目的もなく開けては閉める、という行為でした。
私が、埃が入るからやめて、冷蔵庫が冷えないからやめて、と何度もお願いしましたが、やめてはくれず。
今思えば、どこに何があるのかを覚えていられない、もしくは探したいモノが何なのかわからずに手あたり次第開けてみている、という焦りなども行動の一因になっていたのでしょうね。
振り返れば、そういうことだったのかな、と思いつくのですが、当時はどうしてあちこち開けて回るのかが、理解できませんでした。

今回、一気に認知症状が進んだ母は、徘徊や幻覚、妄想が始まり、せん妄も酷くなってきましたが、何故かあちこち開けて回るという行動は、一切しなくなりました。
認知症状が進んだことで、どこに何があるのか、ということに興味がなくなった、あるいはそういう思考にも認知症状が影響したのだと思っています。

認知症状のひとつとして、昔のことを鮮明に思い出すけれど、つい最近のことや直前のことは忘れてしまっているということがありますが、母は退院してから再入院するまでの間、びっくりするほど「子ども返り」をする時間が多くありました。
そういうときは、決まって自分の姉(私の伯母で故人です)か自分の母親(私の祖母)を呼んでは、何かしらの要求というか我儘を言って泣き叫んだり、たまにウソ泣きもしていました(笑)
その時に、私が思ったのは

「この人、子どもの頃にこうやってウソ泣きして同情を買っていたのかしら?」

でした(苦笑)
母は、私の知る限り姉である伯母とは、そこまで仲良くはなかったのですが、もしかしたらそれは幼少の頃に姉が自分を構ってくれなかったという気持ちから、疎遠にしていたのかもしれませんね。
本当は、伯母に優しく接してほしかったのかもしれません。

認知症状が進む前は、やたらと私の父のことを思い出しては「いい人だった」と繰り返していました。
父は、母に対して少し亭主関白なところもありましたが、実際は母のことを気遣う場面も多かったですし、母はいろいろな部分で父を頼り切っていましたので、夫婦としてはwin winの関係だったのだろうと思います。
しかし、認知症状が一気に進んだ後は、父がすでにいないことを忘れてしまっていたり、そもそも自分が結婚して子どももいるということすら忘れてしまっている時間も増えました。
たまに、助けを求めたいときに「お父さん」と叫ぶのですが、それが私の父のことなのか、祖父のことなのかが全くわかりません(苦笑)
そういうときは、仕方がないので「あなたのお父さん?それともあなたの旦那のこと?」と聞くことにしています(笑)
母の中で未婚時代の設定になっているときは、旦那というキーワードにきょとんとして、結構面白かったです。

こんな風に、おもしろがっていられるときはいいのですが、さすがに一晩中家の中を徘徊した上に、それが数日続いたときは、私も睡眠不足で笑っていられなくなりました。
そして、こちらがイライラしたり憔悴しきっている状態を見計らったように、一番ひどい状態の認知症状になってしまうのは、一体何なのでしょうねえ?(苦笑)
そういう部分でも、本当に認知症というのは「わからないこと」が盛りだくさんなのですよね。

母が子ども返りをした際に呼んでいた姉(私の伯母)も、晩年は認知症でした。
その時のことをいとこに聞いたのですが、まだ自力歩行ができていたときには、病院から抜け出してしまったということもあったそうです。
また、母と同じように子ども返りをすることや、大きな声で叫んだりすることもあったそうです。
こういった行動は、認知症の特徴的な行動のようですが、なぜそうしてしまうのか、という部分は、おそらく人それぞれ違うのだろうと思います。
私の母も、再入院する前日に家から出て行ってしまいましたが、マンションのエントランスで立ち往生していたらしいので(自分がどこに行きたいのか、何がしたいのかがわからず、エントランスで立ち止まっていた)病院を抜け出した伯母とは、外出した目的が違っていたのだろうと思います。
母が外に出た理由は、もともと認知症状が進む前は、リフレッシュするために外廊下に出て往復したり、外を眺めるのが好きだったので、その習慣がまだ身に沁みついていたのでしょうね。

今となっては、その時その時の行動に理由や目的があったのだろうな、と思うのですが、こちらが冷静な判断や分析をできない状態のときには、ただただ母の行動が理解できない、どうにかしてやめさせたい(放置すると危険な場合は特に)という気持ちばかりが先行してしまうので、認知症の家族を介護するのはかなり大変だと感じます。

もしも、認知症がない状態で他のことが原因で介護をすることになっていたら、今とは全く違った状況だったのではないかと思います。
意思疎通ができるかできないかで、介護する側の心的ストレスは変わってくる気がします。
そういえば、父は何度か1ヶ月以上の入院を経験しましたが、認知症状が出ることはありませんでしたね。
年齢なりに物忘れすることはたまにありましたが、それ以外は本当に何も変わりませんでした。
それも、母に対する父なりの気遣い(認知症で苦労をかけたくないという気遣い)だったのかな、と勝手に解釈しています。

認知症は、まだまだ分からないことの方が多いのかもしれません。
予防方法はいくつもありますが、それをしていれば認知症にならないということでもありませんから、難しいところです。
ただ、介護する側からしたら、もっとデータがあったらもう少しなんとかできそうな気もします。
そういう気持ちからも、なんとなく母の言動や行動をブログに綴っていくことには、少しは意味があるのかな、と感じています。
私の応対が正しいか間違っているか、もっとこうしたらいいのではないか、と誰かが感じてくれるだけでもいいと思うので、これからも母のことは機会があればたくさん綴っていって、誰かと共有出来たらいいな、と思います。

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