昨日は、これまでに重なってきたいろいろな出来事と母の入院の準備で疲れ切ってしまい、更新ができませんでした。
結果として、母は精神科と内科の治療をしていただける病院へ入院することとなりました。
その経緯も含め、ここのところの母の認知症状について綴ります。
強制退院させられた日
12月下旬から1月いっぱいまで入院していた病院での治療(心不全による肺水腫)がほぼ終わり、あとは日常生活を送れるようになるまでの身体機能の回復を目的としたリハビリをしながら、入院のきっかけとなった心不全による肺水腫の状態も経過観察も行うために、転院をすることになったのが2月1日でした。
ところが、転院先の病院で母の認知症状による深夜の行動(大声を上げるなど)が手に負えないと、転院したその夜深夜0時過ぎた頃に、電話がありたまたま深夜勤務をしていた主治医が退院を示唆しました。
その数時間後の早朝、再度主治医から電話がかかってきて、今度は完全に退院を迫ってくるようなことを私に言うので、私ももともとそりが合わないと感じていた主治医に対して「退院でいいです、退院させてください」と啖呵を切ってしまいました。
しかし、母の容態から言うとその時点での退院→自宅療養は、実はあり得ないことでもあったようだと感じたのは、その後しばらくして病院を再受診したときでした。
強制退院をさせられた日、強制退院させられた病院から、他の病院へ転院するなり受診するなりするなら紹介状を書くが、もといた病院への紹介状でいいか、といわれ、一度引き受けた患者を差し戻すような感覚で言うので、それもきっぱりお断りし、別の循環器科がある病院への紹介状を書くように言いました。
別の循環器科では、検査の結果自宅療養しても問題はなさそうだとの判断が下り、そのまま母を家へ連れ帰りました。
しかし、その夜の母は一晩中大きな声を上げて、じっと寝ていられないような状況で、横になっては起き上がり、起き上がっては横になる、という状態が続きました。
そして、私との会話は半分以上は辻褄が合わず話のキャッチボールができない、幻覚を見て話をしている、妄想している、という症状がみられました。
病院を受診している間も、そこにはないベッドに横たわろうとしたり、目の前にトウモロコシがあると言って食べようとしたり、大声を上げた瞬間も少しありました。
もう、周囲を気にして行動するということが出来ずに、大声を上げたり意味不明の行動をする母をみて、長期の入院中にここまで症状がひどくなっていたのだな、と実感しました。
実は、この日の夜の時点で、母にはまだ病院で観察してもらう必要がある体調だったわけですが、私にはそれが判るわけではなく、最後に受診した病院では数値が安定していたので、自宅でも大丈夫ではないかという判断でしたが、それは一時的に服薬で安定していただけの数値でしたので、退院してきた夜からおそらく母は徐々に心臓状態と肺水腫の状態が悪化していったのだと思います。
立つ、座るを繰り返す
翌日、前日の疲れ(強制退院後の別の病院受診)が一気に出たらしく、日中は時折トイレに起きるだけで、ずっと眠っていた母ですが、そうなるとやはり夜は眼が覚めてしまうだろうな、と思っていたら案の定でした。
この日、日中に目覚めているときに話しかけたときは、きちんとした会話が成立していた時間もあったのですが、夜になると、幻覚や妄想が強くなってきて、この日の夜は静かに横になったり座ったりすることが苦痛だったようで、何度も立ち上がる、座る、横になる、を繰り返していました。
そんな中、母をトイレに連れていくことが何度もあったのですが、その際に歩けそうにないのにどうしてもトイレへ行きたいというので、連れて行って用を足したあと、トイレから出る際に例の一瞬の意識が飛んで全身脱力する症状がでてしまい、ゆっくりと膝から崩れ落ちてしまった母。
そうなると、母は自力では立ち上がれないし、私も母を立ち上がらせることはできませんから、いろいろ手を尽くしながらたまたま母がソファに上がることができましたので、そのままソファに寝てもらったのもつかの間、今度は私が目を離した隙に、ソファから転げ落ちました。
途方に暮れ、最初は地域包括支援センターへ、次に消防署に母をどうにかソファまで運びたいという内容で相談し、心優しい消防隊員の方々が来てくださいました。
その際、消防隊の方には民生員などに相談したほうがいいとアドバイスをいただき、その前に電話した地域包括支援センターの方からは、翌日の朝に今の状況を相談するようアドバイスをいただき、最終的には地域包括支援センターからケアマネージャーを紹介していただいて、母の介護に関するいろいろなことを助けていただけることになりました。
そして新たに徘徊が始まった
ケアマネージャーの方を紹介してもらい、その時にしていただける支援をしていただいた夜、少し先が見えてきて気持ちとしては頼れるところができて、ホッとしていたのもつかの間、その日の夜に母の徘徊が始まり、一晩中家の中を歩くようになりました。
それでも、時々眠ったりもしていたので、明日も明後日もこの調子なのかな、と少し不安になりながらも、でも少しは眠ってくれるし、その間に私は少し息が抜けるからなんとかなるかな、と高を括っていたのですが、それは大きな間違いだと気が付いたのは、さらにその翌日でした。
徘徊が始まった2夜目。
深夜0時ごろから、翌日の15時過ぎ?16時過ぎ?まで、母は一睡もせずに家の中を徘徊し続け、私も途中うとうとすることはあったものの、眠れずに母に付き合わされることになってしまいました。
この時点では、ケアマネージャーの方のご尽力で介護ベッドと車椅子をトライアルでお借りすることができていたので、母に介護用のベッドを使ってもらっていたのですが、一晩中歩き続けた母は、介護用ベッドを使う時間はほとんどありませんでした(苦笑)
徘徊が始まったと同時に、母が「普段の母」に戻る時間が減っていきました。
徘徊をしている間は、母はまるで子どものようになり、我儘を言ったり自分の思い通りにならないと大声で雄たけびを上げたりするようになりました。
母が夜に徘徊を続ける中、私が気が付いたのはどうも苦しそうに息をし始めると、徘徊が始まるらしいということでした。
そして、何日目だったでしょうか、母が明け方に苦しいから救急車を呼んでほしいと言います。
ただ、私の経験上そういった場合に救急車を呼んでも、結局点滴などで状態が安定すると家に帰るだけになるので、あまり呼びたくなかったので、早朝に時間外受診をすることにしました。
はっきり言って、認知症の母を病院へ連れて行くのは大変です。
車椅子があったので、なんとか病院までは到着することができましたが、外来で行くと救急搬送された患者が優先されるため、検査や診察が後回しになります。
母は、診察前の検査までは受けられたのですが、その後医師の診察を受けられるのは2時間後だとことで、その時点で処置室で大声を出して、ベッドから降りようとし、点滴を外そうとし、とてもではないけれど母には2時間が長すぎると感じた私は、結局診察をさせずに帰宅しました。
徘徊の末の骨折か?
今から2日前、夜に徘徊していた母はしりもちをつきました。
そこにないはずの椅子に、座ろうとしたようです。
一度しりもちをついてしまえば、母は立ち上がれないし私も立ち上がらせることはできません。
私は、すでに諦めの境地だったので、とりあえず以前に椅子に座らせるところまでは成功した方法で、母を椅子に座らせました。
直後、トイレに行きたいというので、再び立ち上がらせようとした瞬間、また床に崩れ落ちる母。
もう、どうしていいのかわからない私は途方に暮れていましたが、母が足が痛い、折れている、というので(今思えば、痛みを大げさに言ったかもしれません)これは救急車を呼ぶチャンス(母を床から持ち上げられるチャンス)と思った私は、骨折の可能性を救急に伝えて、救急搬送してもらうことにしました(実際骨折していてもおかしくはないので、半々の判断ではありました)
救急搬送の結果、足も他の身体部分も骨折はなく、頭を打ったと訴える母の言葉から脳のレントゲンも撮ってもらい、異常なしで帰宅することになりました。
この時も、母は処置室で痛み止めの点滴を施されていたのですが、点滴を外せ、早く帰る、トイレへ行かせて、立ちたい、歩きたい、起きたいと、ずっと何かを大声で泣き叫ぶかのように訴え続けました。
ほんの1時間も耐えられない母。
実は、心臓と肺水腫の再発に苦しんでいたようで、少しの苦痛も我慢できない状態だったようです。
徘徊が激しくなった翌朝から
話が前後しますが、家の中を徘徊するようになったので、ケアマネージャーの方に相談をしたところ、精神科を受診してなおかつ循環器の入院治療もしてくれる病院を探したらどうか、とアドバイスをいただきました。
その言葉を受けて、いくつか候補に挙げていただいた病院の1つに連絡を入れたところ、満床のため受け入れができないと言われましたので、別の病院へ問い合わせたところ入院していた病院の主治医から紹介状を送ってもらうようにしてくれとのこと。
今回最初に入院していた病院の主治医に連絡を取って、紹介状を作成してもらい送ってもらい、その後受け入れてくださると連絡をいただきました。
この間、実は在宅診療をしてくださる病院探しも同時進行していて、母の状態が悪くなければ在宅診療でこの先介護を続けるつもりでいたのですが、徘徊が激しくなったことで事態は変わりました。
ただ、在宅診療の相談をしていた病院も、今度入院した病院も、相談窓口の方々と院内のスタッフの方々がとても親切に丁寧に対応してくださったので、最初から転院を精神科のある病院にしていただくべきだったと反省しつつも、強制退院を迫った病院とは全く違った対応をしてくださったことが、とても嬉しく思いました。
もし、認知症でありながら入院治療を必要とする病気が判明した場合、最初は専門科がある病院への入院でいいと思いますが、もしこの先転院をという話があったら、迷わず精神科がメインの病院へ転院できるように依頼したほうがいいと思います。
私と同じように、何をしていいかわからないという方は、選択肢の最初に精神科メインの病院への入院や転院を検討してみてください。
精神科というと、気持ちの上でハードルが高いですが、治療すべき病気を優先するなら少しでも精神面で安心を得られる精神科の存在は大きいと感じます。
それでも母は我が道を行く
2月9日、問い合わせていた病院から明日(2月10日)に入院が可能かとの問い合わせがあり、もちろん大丈夫だと告げて入院することが決まりました。
しかし、その日の夕方の陽が落ちる少し前、うっかり転寝から瞬間的に熟睡してしまった私は、母が玄関を開けて外に出たことに気が付きませんでした。
よほど疲れていたのだと思いますし、実際酷い寝不足でもありました。
ふと気が付くと、玄関チャイムが鳴ったような気がしました。
瞬間「しまった!寝入ってしまった!」と飛び起きて、廊下に出るとトイレの電気がついていて蓋が上がっています。
夜は、母をトイレへ連れていくために電気をつけっぱなしにしますが、トイレの蓋は必ず閉めていたので、母が1人で用を済ませたのだと気が付きましたが、次の瞬間ハッとしました。
家の中に、母の気配がありません。
寝ているから気配が薄いのだと、自分に言い聞かせながらも本心では「外に出たのでは?」と焦ります。
そしてベッドを覗くと、母はいません。
他の部屋にも母はいません。
そして、玄関に目をやると、鍵が開いてチェーンが外れていました。
全身血の気が引きました。
多分、生まれて初めてです、全身の血の気が引いたのは......
ビックリして、慌てて玄関へ向かいドアを開けると、同じマンションの方と同じ階に住んでいる方に付き添われて歩いてくる母が見えました。
薄っぺらいカットソー1枚で(家では暖房を点けているので薄着です)寒そうにしていました。
付き添って母を連れてきてくださったお二人にお礼を言いつつも、母が一体どのくらいの時間、薄着のまま外にいたのかわからない私は、早く母を家の中に入れたくて、ろくなお礼も言えずに家の中に入ってしまったと思います。
その時は、本当に気が動転してしまっていましたが、母が入院した昨日、改めてお礼を言いに伺いました。
やっと入院が決まった前日に、この騒ぎ。
昨日お礼に伺った際に聞いたのは、母がマンションエントランスにある掲示板を薄着でじっと眺めていて、様子がおかしいと感じてくださったマンションの住人の方が声をかけると、自分がなにをしているのか(何がしたいのか)わからない、というようなことを言いながら掲示板を見ていたそうです。
母は、心臓のこともあってあまり長距離を歩くことは体力的に難しいです。
ですから、もし万が一外に出て徘徊したとしても、そう遠くへ行かないうちに倒れてしまって、救急車を呼ばれるだろうなと考えていましたが、実際は掲示板にロックオンしてしまって、身動きが取れなくなってしまっていたのですね。
もしくは、マンションの入り口の自動ドアが出入口だと認識できていなかったのかもしれません(壁だと思い込んでいた可能性があります)
入院前にもうひと騒動
初めての屋外徘徊(といってもマンションの敷地内ですが)を経験した母と私。
母は、どこ吹く風といった感じで相変わらず徘徊や幻覚や妄想を繰り返します。
入院当日、病院から必要な物を教えてもらい、午前中に準備を始めますが、これがまた一筋縄では行きません。
何故なら、その朝もずっと母の徘徊が止まらないからです。
それでも、あれこれと荷物に詰める物を出すところまではなんとか1人でできましたが、それをカバンや紙袋に入れる作業が母の徘徊を制止したり見守ったりしていると、遅々として進まない。
しかも、予想以上に荷物が多い(パジャマのレンタルなどがない病院なので荷物が嵩張るのです)
これは、1人で母を連れて行くのはかなり大変だし、そもそも支度が出来ていない......とうとう、いとこにヘルプを出すことにしました(たまたま仕事を退職して暇をしていたらしいので)
いとこに来てもらって、母を見守ってもらいつつ私は入院荷物の準備を進めました。
準備が整ったまではいいのですが、今度は母を外に連れ出すという一番難しいミッションがあります。
母は、機嫌のいいときは素直に外に出てくれますし車にも乗ってくれますが、この日は微妙に機嫌悪そう。
車椅子に乗るまではよかったのですが、車に移動する際に乗りたがりません。
おそらく、眠たかったかあるいは体調が下がり始めたときだったので、動きたくなかったのではないかと思っています。
なんとかかんとか母をなだめすかして車に乗せましたが、病院に着いてから降ろすのがまた大変そうだな、と思いつつ入院先の病院へ向かいました。
ちなみに母には、薬を貰わないといけない(もうすぐなくなる)ので、病院に一緒にいくよ、と言い(かかりつけ医に行く際は、必ず言っていた言葉なので素直に聞き入れてくれるのです)病気が悪くなっていないかお泊りして調べてもらうからね、と入院という言葉は使わずに「お泊り」と言っておきました。
今の母、何を言っても聞いていないように見えても、案外こちらが言った言葉が頭に入っていて、その言葉をずっと後になってから言い出すことがあります。
例えば、今日雨が降るんだって、と言ったとしてその時は何も応答していないのに、しばらく経ってから「今日は雨なの?」という具合に反応してきます。
そんな感じだったので、あまり本人がネガティブになる言葉はうっかり言えない状況でした。
さて、そんな母が入院先の病院に到着しましたが、まず新型ウイルスに感染していないかの抗原検査を受けることになりましたが、その時点で母のご機嫌が最悪(苦笑)
病院についても、抗原検査の結果が出るまでは中に入れません。
時間にして、10分程度だったような気がしますが、母はその間大きな声を出しながら車の中で立ち上がったり、フロントガラスから外に出ようとしたりしていて、はたから見ていて少し面白かったです(お母さん、ごめんね)
ちなみに、私の車は軽のボックスカーですから、背の低い大人なら身をかがめて立ててしまうのです。
もし、普通乗用車だったら母はどうしていたのかな?(笑)
抗原検査の結果で陰性となった母は、いよいよ病院内へ入ることに。
入院前の本人聞き取りや、付き添い家族への説明などが予定されていたようですが、当然母本人は聞き取りができる状態ではないので、私と同席して私が代理で答える形になりました。
その準備(各担当ごとに説明があるので、その順番調整など)を待つ間、いとこがうっかり「あと1時間ぐらいかかるのでは?」と言った瞬間に母は「やだー!1時間も待てないー!」と(苦笑)
いとこはこっそり言ったつもりでしたが、しっかりと母の耳に入っていました(笑)
その後、帰りたい、歩きたい、立ちたい、座りたい、寝たい、という要求を繰り返す母をなだめながら、聞き取りに受け答えし、入院に関する説明と、母の現在の病状を説明してもらい、約2時間後に母は無事病棟へ入り、私(と待ってたいとこ)は病院を後にしました。
この時、医師が再度母を診察したところ、やはり母はまだ退院すべき体調ではなかったようで、また肺の水が増えていたそうです。
原因は、自宅での塩分摂取制限ができていなかったこと。
つまり、母が退院後に自宅でいつも苦しそうにしていたのは、私が用意する食事が直接の原因だったということです。
まあ、そうですよね。
食事(の作り方などの)指導も受けず、追い出されるようにして退院させられたわけですから、私もどの程度の塩分で食事を作っていいのかわかりませんし、栄養士ではないので、母が食べられるような美味しい食事をつくるのは無理というものです。
そして何より、強制退院させられた時点では、本当は自宅療養などすべきではなかった状態だったということらしいです。
今回入院した病院の循環器科の医師は、少し変わった人ではありますが、説明だけはとても詳しくしてくださって、今後どういった治療をしていくかも、丁寧に教えてくださいました。
そして、肺の状態が改善するまで精いっぱい治療に当たりますとも言ってくださいました。
強制退院させた病院の主治医とは、大違いだと思いましたよね。
今度の入院で、母の状態がどのようになるのかは見当もつきませんが、今回の入院は認知症状の治療も同時に行うので(といっても徘徊や声を出すなどは治らないそうです)私としては、最近いつも身体のあちこちが痛い、胸がくるしい、息が苦しいと言っていた母の痛みが、少しでも和らぐようになってほしいです。
病気の完治は無理だとわかっているので、せめて穏やかに過ごせる時間を取り戻させてあげたい気持ちでいます。
今後の自宅介護再開はないと思います
徘徊は治まらないとなると、もし母が退院できる体調にまで回復したとしても、私はもう母を1人で介護するのは無理です。
そう思うのは、入院前日に母がいつの間にか外に出てしまっていた一件があったからです。
私も疲れ切ってしまい、母の行動に気が付けなかったし、そのために母が寒い思いをし、もし長時間誰にも気づかれることがなく過ごしていたら、熱を出したり肺炎を起こしていた可能性だってあります。
私のうっかりした行動が母の命を脅かすくらいなら、母本人は望まないかもしれませんが(家が大好きな人なので)介護のプロフェッショナルが揃った施設等への入所がベストだろうと考えています。
入院は、1ヶ所に90日間しかできません。
私が介護保険の申請を先延ばしにしていたせいで、介護度が正式に決まるのは早くとも1か月後です。
私としては、ギリギリの90日間の入院をお願いして、その間入所できる施設を探すつもりです。
もし見つからなければ、同じく精神科メインで内科も診ていただける別の病院への転院もお願いするかもしれません。
できることなら、同時に仕事も探して入所施設の利用料を賄えるようにしたいと考えていますが、当面は母の入所先を探すことに専念するつもりです。
順調に事が運ぶことは、この先ないと思いますが、できる限りのことは手を尽くさないと、と思っています。
本日は、長々と文章を綴ってしまいました。
途中、読み飽きた方が何人もいらっしゃったかもしれませんね。
申し訳ないです。
しかし、最後まで読んでくださった方には、改めて感謝いたします。
私の綴った文章の中に、誰かの参考になるような事柄があって、ほんのちょっとした気持ちが共有できたらいいな、と思います。
今後の母の様子は、不定期にはなりますが引き続き綴っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
結果として、母は精神科と内科の治療をしていただける病院へ入院することとなりました。
その経緯も含め、ここのところの母の認知症状について綴ります。
強制退院させられた日
12月下旬から1月いっぱいまで入院していた病院での治療(心不全による肺水腫)がほぼ終わり、あとは日常生活を送れるようになるまでの身体機能の回復を目的としたリハビリをしながら、入院のきっかけとなった心不全による肺水腫の状態も経過観察も行うために、転院をすることになったのが2月1日でした。
ところが、転院先の病院で母の認知症状による深夜の行動(大声を上げるなど)が手に負えないと、転院したその夜深夜0時過ぎた頃に、電話がありたまたま深夜勤務をしていた主治医が退院を示唆しました。
その数時間後の早朝、再度主治医から電話がかかってきて、今度は完全に退院を迫ってくるようなことを私に言うので、私ももともとそりが合わないと感じていた主治医に対して「退院でいいです、退院させてください」と啖呵を切ってしまいました。
しかし、母の容態から言うとその時点での退院→自宅療養は、実はあり得ないことでもあったようだと感じたのは、その後しばらくして病院を再受診したときでした。
強制退院をさせられた日、強制退院させられた病院から、他の病院へ転院するなり受診するなりするなら紹介状を書くが、もといた病院への紹介状でいいか、といわれ、一度引き受けた患者を差し戻すような感覚で言うので、それもきっぱりお断りし、別の循環器科がある病院への紹介状を書くように言いました。
別の循環器科では、検査の結果自宅療養しても問題はなさそうだとの判断が下り、そのまま母を家へ連れ帰りました。
しかし、その夜の母は一晩中大きな声を上げて、じっと寝ていられないような状況で、横になっては起き上がり、起き上がっては横になる、という状態が続きました。
そして、私との会話は半分以上は辻褄が合わず話のキャッチボールができない、幻覚を見て話をしている、妄想している、という症状がみられました。
病院を受診している間も、そこにはないベッドに横たわろうとしたり、目の前にトウモロコシがあると言って食べようとしたり、大声を上げた瞬間も少しありました。
もう、周囲を気にして行動するということが出来ずに、大声を上げたり意味不明の行動をする母をみて、長期の入院中にここまで症状がひどくなっていたのだな、と実感しました。
実は、この日の夜の時点で、母にはまだ病院で観察してもらう必要がある体調だったわけですが、私にはそれが判るわけではなく、最後に受診した病院では数値が安定していたので、自宅でも大丈夫ではないかという判断でしたが、それは一時的に服薬で安定していただけの数値でしたので、退院してきた夜からおそらく母は徐々に心臓状態と肺水腫の状態が悪化していったのだと思います。
立つ、座るを繰り返す
翌日、前日の疲れ(強制退院後の別の病院受診)が一気に出たらしく、日中は時折トイレに起きるだけで、ずっと眠っていた母ですが、そうなるとやはり夜は眼が覚めてしまうだろうな、と思っていたら案の定でした。
この日、日中に目覚めているときに話しかけたときは、きちんとした会話が成立していた時間もあったのですが、夜になると、幻覚や妄想が強くなってきて、この日の夜は静かに横になったり座ったりすることが苦痛だったようで、何度も立ち上がる、座る、横になる、を繰り返していました。
そんな中、母をトイレに連れていくことが何度もあったのですが、その際に歩けそうにないのにどうしてもトイレへ行きたいというので、連れて行って用を足したあと、トイレから出る際に例の一瞬の意識が飛んで全身脱力する症状がでてしまい、ゆっくりと膝から崩れ落ちてしまった母。
そうなると、母は自力では立ち上がれないし、私も母を立ち上がらせることはできませんから、いろいろ手を尽くしながらたまたま母がソファに上がることができましたので、そのままソファに寝てもらったのもつかの間、今度は私が目を離した隙に、ソファから転げ落ちました。
途方に暮れ、最初は地域包括支援センターへ、次に消防署に母をどうにかソファまで運びたいという内容で相談し、心優しい消防隊員の方々が来てくださいました。
その際、消防隊の方には民生員などに相談したほうがいいとアドバイスをいただき、その前に電話した地域包括支援センターの方からは、翌日の朝に今の状況を相談するようアドバイスをいただき、最終的には地域包括支援センターからケアマネージャーを紹介していただいて、母の介護に関するいろいろなことを助けていただけることになりました。
そして新たに徘徊が始まった
ケアマネージャーの方を紹介してもらい、その時にしていただける支援をしていただいた夜、少し先が見えてきて気持ちとしては頼れるところができて、ホッとしていたのもつかの間、その日の夜に母の徘徊が始まり、一晩中家の中を歩くようになりました。
それでも、時々眠ったりもしていたので、明日も明後日もこの調子なのかな、と少し不安になりながらも、でも少しは眠ってくれるし、その間に私は少し息が抜けるからなんとかなるかな、と高を括っていたのですが、それは大きな間違いだと気が付いたのは、さらにその翌日でした。
徘徊が始まった2夜目。
深夜0時ごろから、翌日の15時過ぎ?16時過ぎ?まで、母は一睡もせずに家の中を徘徊し続け、私も途中うとうとすることはあったものの、眠れずに母に付き合わされることになってしまいました。
この時点では、ケアマネージャーの方のご尽力で介護ベッドと車椅子をトライアルでお借りすることができていたので、母に介護用のベッドを使ってもらっていたのですが、一晩中歩き続けた母は、介護用ベッドを使う時間はほとんどありませんでした(苦笑)
徘徊が始まったと同時に、母が「普段の母」に戻る時間が減っていきました。
徘徊をしている間は、母はまるで子どものようになり、我儘を言ったり自分の思い通りにならないと大声で雄たけびを上げたりするようになりました。
母が夜に徘徊を続ける中、私が気が付いたのはどうも苦しそうに息をし始めると、徘徊が始まるらしいということでした。
そして、何日目だったでしょうか、母が明け方に苦しいから救急車を呼んでほしいと言います。
ただ、私の経験上そういった場合に救急車を呼んでも、結局点滴などで状態が安定すると家に帰るだけになるので、あまり呼びたくなかったので、早朝に時間外受診をすることにしました。
はっきり言って、認知症の母を病院へ連れて行くのは大変です。
車椅子があったので、なんとか病院までは到着することができましたが、外来で行くと救急搬送された患者が優先されるため、検査や診察が後回しになります。
母は、診察前の検査までは受けられたのですが、その後医師の診察を受けられるのは2時間後だとことで、その時点で処置室で大声を出して、ベッドから降りようとし、点滴を外そうとし、とてもではないけれど母には2時間が長すぎると感じた私は、結局診察をさせずに帰宅しました。
徘徊の末の骨折か?
今から2日前、夜に徘徊していた母はしりもちをつきました。
そこにないはずの椅子に、座ろうとしたようです。
一度しりもちをついてしまえば、母は立ち上がれないし私も立ち上がらせることはできません。
私は、すでに諦めの境地だったので、とりあえず以前に椅子に座らせるところまでは成功した方法で、母を椅子に座らせました。
直後、トイレに行きたいというので、再び立ち上がらせようとした瞬間、また床に崩れ落ちる母。
もう、どうしていいのかわからない私は途方に暮れていましたが、母が足が痛い、折れている、というので(今思えば、痛みを大げさに言ったかもしれません)これは救急車を呼ぶチャンス(母を床から持ち上げられるチャンス)と思った私は、骨折の可能性を救急に伝えて、救急搬送してもらうことにしました(実際骨折していてもおかしくはないので、半々の判断ではありました)
救急搬送の結果、足も他の身体部分も骨折はなく、頭を打ったと訴える母の言葉から脳のレントゲンも撮ってもらい、異常なしで帰宅することになりました。
この時も、母は処置室で痛み止めの点滴を施されていたのですが、点滴を外せ、早く帰る、トイレへ行かせて、立ちたい、歩きたい、起きたいと、ずっと何かを大声で泣き叫ぶかのように訴え続けました。
ほんの1時間も耐えられない母。
実は、心臓と肺水腫の再発に苦しんでいたようで、少しの苦痛も我慢できない状態だったようです。
徘徊が激しくなった翌朝から
話が前後しますが、家の中を徘徊するようになったので、ケアマネージャーの方に相談をしたところ、精神科を受診してなおかつ循環器の入院治療もしてくれる病院を探したらどうか、とアドバイスをいただきました。
その言葉を受けて、いくつか候補に挙げていただいた病院の1つに連絡を入れたところ、満床のため受け入れができないと言われましたので、別の病院へ問い合わせたところ入院していた病院の主治医から紹介状を送ってもらうようにしてくれとのこと。
今回最初に入院していた病院の主治医に連絡を取って、紹介状を作成してもらい送ってもらい、その後受け入れてくださると連絡をいただきました。
この間、実は在宅診療をしてくださる病院探しも同時進行していて、母の状態が悪くなければ在宅診療でこの先介護を続けるつもりでいたのですが、徘徊が激しくなったことで事態は変わりました。
ただ、在宅診療の相談をしていた病院も、今度入院した病院も、相談窓口の方々と院内のスタッフの方々がとても親切に丁寧に対応してくださったので、最初から転院を精神科のある病院にしていただくべきだったと反省しつつも、強制退院を迫った病院とは全く違った対応をしてくださったことが、とても嬉しく思いました。
もし、認知症でありながら入院治療を必要とする病気が判明した場合、最初は専門科がある病院への入院でいいと思いますが、もしこの先転院をという話があったら、迷わず精神科がメインの病院へ転院できるように依頼したほうがいいと思います。
私と同じように、何をしていいかわからないという方は、選択肢の最初に精神科メインの病院への入院や転院を検討してみてください。
精神科というと、気持ちの上でハードルが高いですが、治療すべき病気を優先するなら少しでも精神面で安心を得られる精神科の存在は大きいと感じます。
それでも母は我が道を行く
2月9日、問い合わせていた病院から明日(2月10日)に入院が可能かとの問い合わせがあり、もちろん大丈夫だと告げて入院することが決まりました。
しかし、その日の夕方の陽が落ちる少し前、うっかり転寝から瞬間的に熟睡してしまった私は、母が玄関を開けて外に出たことに気が付きませんでした。
よほど疲れていたのだと思いますし、実際酷い寝不足でもありました。
ふと気が付くと、玄関チャイムが鳴ったような気がしました。
瞬間「しまった!寝入ってしまった!」と飛び起きて、廊下に出るとトイレの電気がついていて蓋が上がっています。
夜は、母をトイレへ連れていくために電気をつけっぱなしにしますが、トイレの蓋は必ず閉めていたので、母が1人で用を済ませたのだと気が付きましたが、次の瞬間ハッとしました。
家の中に、母の気配がありません。
寝ているから気配が薄いのだと、自分に言い聞かせながらも本心では「外に出たのでは?」と焦ります。
そしてベッドを覗くと、母はいません。
他の部屋にも母はいません。
そして、玄関に目をやると、鍵が開いてチェーンが外れていました。
全身血の気が引きました。
多分、生まれて初めてです、全身の血の気が引いたのは......
ビックリして、慌てて玄関へ向かいドアを開けると、同じマンションの方と同じ階に住んでいる方に付き添われて歩いてくる母が見えました。
薄っぺらいカットソー1枚で(家では暖房を点けているので薄着です)寒そうにしていました。
付き添って母を連れてきてくださったお二人にお礼を言いつつも、母が一体どのくらいの時間、薄着のまま外にいたのかわからない私は、早く母を家の中に入れたくて、ろくなお礼も言えずに家の中に入ってしまったと思います。
その時は、本当に気が動転してしまっていましたが、母が入院した昨日、改めてお礼を言いに伺いました。
やっと入院が決まった前日に、この騒ぎ。
昨日お礼に伺った際に聞いたのは、母がマンションエントランスにある掲示板を薄着でじっと眺めていて、様子がおかしいと感じてくださったマンションの住人の方が声をかけると、自分がなにをしているのか(何がしたいのか)わからない、というようなことを言いながら掲示板を見ていたそうです。
母は、心臓のこともあってあまり長距離を歩くことは体力的に難しいです。
ですから、もし万が一外に出て徘徊したとしても、そう遠くへ行かないうちに倒れてしまって、救急車を呼ばれるだろうなと考えていましたが、実際は掲示板にロックオンしてしまって、身動きが取れなくなってしまっていたのですね。
もしくは、マンションの入り口の自動ドアが出入口だと認識できていなかったのかもしれません(壁だと思い込んでいた可能性があります)
入院前にもうひと騒動
初めての屋外徘徊(といってもマンションの敷地内ですが)を経験した母と私。
母は、どこ吹く風といった感じで相変わらず徘徊や幻覚や妄想を繰り返します。
入院当日、病院から必要な物を教えてもらい、午前中に準備を始めますが、これがまた一筋縄では行きません。
何故なら、その朝もずっと母の徘徊が止まらないからです。
それでも、あれこれと荷物に詰める物を出すところまではなんとか1人でできましたが、それをカバンや紙袋に入れる作業が母の徘徊を制止したり見守ったりしていると、遅々として進まない。
しかも、予想以上に荷物が多い(パジャマのレンタルなどがない病院なので荷物が嵩張るのです)
これは、1人で母を連れて行くのはかなり大変だし、そもそも支度が出来ていない......とうとう、いとこにヘルプを出すことにしました(たまたま仕事を退職して暇をしていたらしいので)
いとこに来てもらって、母を見守ってもらいつつ私は入院荷物の準備を進めました。
準備が整ったまではいいのですが、今度は母を外に連れ出すという一番難しいミッションがあります。
母は、機嫌のいいときは素直に外に出てくれますし車にも乗ってくれますが、この日は微妙に機嫌悪そう。
車椅子に乗るまではよかったのですが、車に移動する際に乗りたがりません。
おそらく、眠たかったかあるいは体調が下がり始めたときだったので、動きたくなかったのではないかと思っています。
なんとかかんとか母をなだめすかして車に乗せましたが、病院に着いてから降ろすのがまた大変そうだな、と思いつつ入院先の病院へ向かいました。
ちなみに母には、薬を貰わないといけない(もうすぐなくなる)ので、病院に一緒にいくよ、と言い(かかりつけ医に行く際は、必ず言っていた言葉なので素直に聞き入れてくれるのです)病気が悪くなっていないかお泊りして調べてもらうからね、と入院という言葉は使わずに「お泊り」と言っておきました。
今の母、何を言っても聞いていないように見えても、案外こちらが言った言葉が頭に入っていて、その言葉をずっと後になってから言い出すことがあります。
例えば、今日雨が降るんだって、と言ったとしてその時は何も応答していないのに、しばらく経ってから「今日は雨なの?」という具合に反応してきます。
そんな感じだったので、あまり本人がネガティブになる言葉はうっかり言えない状況でした。
さて、そんな母が入院先の病院に到着しましたが、まず新型ウイルスに感染していないかの抗原検査を受けることになりましたが、その時点で母のご機嫌が最悪(苦笑)
病院についても、抗原検査の結果が出るまでは中に入れません。
時間にして、10分程度だったような気がしますが、母はその間大きな声を出しながら車の中で立ち上がったり、フロントガラスから外に出ようとしたりしていて、はたから見ていて少し面白かったです(お母さん、ごめんね)
ちなみに、私の車は軽のボックスカーですから、背の低い大人なら身をかがめて立ててしまうのです。
もし、普通乗用車だったら母はどうしていたのかな?(笑)
抗原検査の結果で陰性となった母は、いよいよ病院内へ入ることに。
入院前の本人聞き取りや、付き添い家族への説明などが予定されていたようですが、当然母本人は聞き取りができる状態ではないので、私と同席して私が代理で答える形になりました。
その準備(各担当ごとに説明があるので、その順番調整など)を待つ間、いとこがうっかり「あと1時間ぐらいかかるのでは?」と言った瞬間に母は「やだー!1時間も待てないー!」と(苦笑)
いとこはこっそり言ったつもりでしたが、しっかりと母の耳に入っていました(笑)
その後、帰りたい、歩きたい、立ちたい、座りたい、寝たい、という要求を繰り返す母をなだめながら、聞き取りに受け答えし、入院に関する説明と、母の現在の病状を説明してもらい、約2時間後に母は無事病棟へ入り、私(と待ってたいとこ)は病院を後にしました。
この時、医師が再度母を診察したところ、やはり母はまだ退院すべき体調ではなかったようで、また肺の水が増えていたそうです。
原因は、自宅での塩分摂取制限ができていなかったこと。
つまり、母が退院後に自宅でいつも苦しそうにしていたのは、私が用意する食事が直接の原因だったということです。
まあ、そうですよね。
食事(の作り方などの)指導も受けず、追い出されるようにして退院させられたわけですから、私もどの程度の塩分で食事を作っていいのかわかりませんし、栄養士ではないので、母が食べられるような美味しい食事をつくるのは無理というものです。
そして何より、強制退院させられた時点では、本当は自宅療養などすべきではなかった状態だったということらしいです。
今回入院した病院の循環器科の医師は、少し変わった人ではありますが、説明だけはとても詳しくしてくださって、今後どういった治療をしていくかも、丁寧に教えてくださいました。
そして、肺の状態が改善するまで精いっぱい治療に当たりますとも言ってくださいました。
強制退院させた病院の主治医とは、大違いだと思いましたよね。
今度の入院で、母の状態がどのようになるのかは見当もつきませんが、今回の入院は認知症状の治療も同時に行うので(といっても徘徊や声を出すなどは治らないそうです)私としては、最近いつも身体のあちこちが痛い、胸がくるしい、息が苦しいと言っていた母の痛みが、少しでも和らぐようになってほしいです。
病気の完治は無理だとわかっているので、せめて穏やかに過ごせる時間を取り戻させてあげたい気持ちでいます。
今後の自宅介護再開はないと思います
徘徊は治まらないとなると、もし母が退院できる体調にまで回復したとしても、私はもう母を1人で介護するのは無理です。
そう思うのは、入院前日に母がいつの間にか外に出てしまっていた一件があったからです。
私も疲れ切ってしまい、母の行動に気が付けなかったし、そのために母が寒い思いをし、もし長時間誰にも気づかれることがなく過ごしていたら、熱を出したり肺炎を起こしていた可能性だってあります。
私のうっかりした行動が母の命を脅かすくらいなら、母本人は望まないかもしれませんが(家が大好きな人なので)介護のプロフェッショナルが揃った施設等への入所がベストだろうと考えています。
入院は、1ヶ所に90日間しかできません。
私が介護保険の申請を先延ばしにしていたせいで、介護度が正式に決まるのは早くとも1か月後です。
私としては、ギリギリの90日間の入院をお願いして、その間入所できる施設を探すつもりです。
もし見つからなければ、同じく精神科メインで内科も診ていただける別の病院への転院もお願いするかもしれません。
できることなら、同時に仕事も探して入所施設の利用料を賄えるようにしたいと考えていますが、当面は母の入所先を探すことに専念するつもりです。
順調に事が運ぶことは、この先ないと思いますが、できる限りのことは手を尽くさないと、と思っています。
本日は、長々と文章を綴ってしまいました。
途中、読み飽きた方が何人もいらっしゃったかもしれませんね。
申し訳ないです。
しかし、最後まで読んでくださった方には、改めて感謝いたします。
私の綴った文章の中に、誰かの参考になるような事柄があって、ほんのちょっとした気持ちが共有できたらいいな、と思います。
今後の母の様子は、不定期にはなりますが引き続き綴っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。