本日の昼食
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7c/5f31cdf795c0d1ce242ef53d48916b50.jpg)
・クルミパン
・冷凍エビグラタン
・野菜ジュース(幼児用)
・ブロッコリー
・アールグレイ紅茶
母に食べてもらおうと購入した、エビグラタンと野菜ジュースをランチにしました。
母は、今頃きちんと病院食を食べているだろうか、と毎日心配しています(偏食家の母なので、そこが一番心配なのです)
さて、約10日弱でしたが、認知症が一気に進んでしまった母を介護してきて、いろいろなことを考えたり思ったり、経験したりしました。
例えば、高齢の親の介護や元気でいても一人暮らしなどをしていて心配だという時には、まずは地域包括支援センターに相談してみること。
緊急ではない場合は、今後の選択肢を教えてくれたり、現状に即したアドバイスやサービスの情報を提供してくれたりしますし、私のように何の準備もないまま介護を始めなくてはいけない状況になった際には、手続き上時間がかかることでも、早めに取り組むことができるように、ご尽力くださいます。
また、介護保険申請が完了していて、すでに介護保険を適用できる場合は、ケアマネージャーの方に相談をすれば、その時々に適した介護サービスなどを紹介してくれたり、緊急の場合には介護用品の手配なども手伝っていただけます。
こうしたことは、結果として民間や公的機関が運営するサービスや支援と私をスムーズにつなげてくださったわけなので、とても感謝していますし、今後も母が入院療養を終えた後にも、さらにご協力とご支援をお願いすることになります。
しかし、そういった支援やサービスとは別に、今回私が親を持つすべての人に「可能であればしてほしい」と思うことがあります。
それが、
親を動画で撮影してあげること
私の母は、もともとカメラ嫌いというか写真や動画に自分の姿を納めることを嫌うタイプの人でしたから、ここ十数年は1枚も写真を撮っていませんし、もちろん動画も撮影していません。
最後にスナップ写真を撮ったのが、今から20年ぐらい前だったと思います。
父と母と3人で雲仙に旅行した際に、記念に有田焼に写真を焼き付けてくれるサービスで撮影したのが最後でした。
当時は、携帯電話はありましたが私が使っていた携帯電話は動画撮影ができないタイプだったので、写真しか撮れませんでしたが、もしあの頃から動画を日常的に撮れる環境があったら、楽しい思い出として残せたかもしれませんね。
そんなカメラ嫌いの母ですが、先日役所の方が介護保険の調査に来られた時、食事の様子を聞かれたらうまく答えられない気がしたので、母が昼食を摂る姿を数分間撮影しました。
結果として、この数分間が母を撮影した最初の動画で、もしかしたら最後になってしまうかもしれません。
ただ、この動画は母の動作を中心に撮影したため、母の顔が映っているのはほんの少し。
後になって見返したときに、顔が映るように撮影してあげればよかったと、後悔しました。
もしも、親と会う機会があるのなら、ぜひ今からでも遅くはないので時間があるときに動画を撮影してください。
子どもがいる家庭だと、常に子どもを動画撮影したり画像を撮ったりしていると思いますが、親となるとなかなか撮影する機会もないし、機会があったとしても「よし、親をメインに動画を撮ろう」と考える人は、多くはない気がします。
しかし、私のようにある日突然親が入院して、長期間会うこともままならない環境で認知症が進んでしまうと、別人のようになってしまい、気持ちに受けるダメージは想像以上です(それでも、いずれは認知症になるだろうということは予想していたので、私の場合は覚悟できていたと思います)
ほんの数分間だけ撮影した母の動画を見返しながら、認知症が酷くなって帰宅した母の姿を思い返すと、少しでも元気でいた頃の認知症になっていない頃の母の姿を残しておいたら、私の気持ちは少し救われたのではないかと感じています。
もしかしたら、逆に辛くなってしまうこともあるのかもしれませんが、少なくとも私はもっと母の写真や動画を撮っておきたかったと、強く感じました。
それに何の意味があるのかなんて、私には説明できません。
ただ「今」の親の姿を、少しずつでも残しておいた方が、子どもとしての気持ちが救われるような、そんな気がしています。
私の親の世代は、カメラも結構高級品だった時代に親になっているので、父は質流れの中古カメラを購入して、私の兄や私を写真に撮ってくれました。
父と母にとっては、そうやって残した子どもの姿を見返すのは、幸せで楽しい時間となっていたと思いますし、現在子育て中の方々もそうだと思います。
では、大人になって子どもが親の写真を見返す時、何を思っているのかと言えば、自分の知らない親の顔、知っている親の顔、楽しそうに幸せそうに笑っている親の顔を、幸せな気持ちで見ているのですよね。
そして、そこには幸せと同時に安心感や親に大事に育ててもらった思いを感じ、自分の子どもの写真を見返すのとは違う感情が存在していると思います(私には子どもがいませんが、きっとそうだと思います)
でも、親の写真って子どもの写真よりも圧倒的に少ないことに気が付きます。
環境や職業などで違いがあるかもしれませんが、撮影機器の進化はめまぐるしくて、今はだれでも気軽にスマホで動画や画像を撮影できる時代ですから、子どもや友達の画像はおそらく何万枚にもなっていますよね?(笑)
でも、そんな気軽に簡単に撮影できるのに、親がメインに映っている動画や画像って少なくないですか?
それでも、ほんの少しでも動画や画像が残っていればいいですが、私のように母がカメラ嫌いであると、今回のように何もメモリーに残っていないという状況になり、寂しいという気持ちよりも、親が私の姿を残してくれたように、私も親の姿を残してあげたかった、という気持ちになりました。
動画に残したからと言って、それが何の意味があるのかはわかりませんし、もしかしたら必要ないのかもしれませんが、少なくとも私は母との時間を思い出せる動画を、きちんと撮っておくべきだったと後悔しました。
もし、これまでの親子関係を振り返って、動画や画像に親がほとんど残っていないという人がいたら、今から少しずつ撮影することをおススメします。
意味や理由なんていりません。
ただ、撮ってください。
撮って後悔することは、絶対にないはずです。
撮らないでいると、後悔します。
だから、今親と過ごしている人がいたら、すぐにでも動画の撮影ボタンを押してほしいです。
そうすることで、きっと自分自身が救われる日が来ると思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/7c/5f31cdf795c0d1ce242ef53d48916b50.jpg)
・クルミパン
・冷凍エビグラタン
・野菜ジュース(幼児用)
・ブロッコリー
・アールグレイ紅茶
母に食べてもらおうと購入した、エビグラタンと野菜ジュースをランチにしました。
母は、今頃きちんと病院食を食べているだろうか、と毎日心配しています(偏食家の母なので、そこが一番心配なのです)
さて、約10日弱でしたが、認知症が一気に進んでしまった母を介護してきて、いろいろなことを考えたり思ったり、経験したりしました。
例えば、高齢の親の介護や元気でいても一人暮らしなどをしていて心配だという時には、まずは地域包括支援センターに相談してみること。
緊急ではない場合は、今後の選択肢を教えてくれたり、現状に即したアドバイスやサービスの情報を提供してくれたりしますし、私のように何の準備もないまま介護を始めなくてはいけない状況になった際には、手続き上時間がかかることでも、早めに取り組むことができるように、ご尽力くださいます。
また、介護保険申請が完了していて、すでに介護保険を適用できる場合は、ケアマネージャーの方に相談をすれば、その時々に適した介護サービスなどを紹介してくれたり、緊急の場合には介護用品の手配なども手伝っていただけます。
こうしたことは、結果として民間や公的機関が運営するサービスや支援と私をスムーズにつなげてくださったわけなので、とても感謝していますし、今後も母が入院療養を終えた後にも、さらにご協力とご支援をお願いすることになります。
しかし、そういった支援やサービスとは別に、今回私が親を持つすべての人に「可能であればしてほしい」と思うことがあります。
それが、
親を動画で撮影してあげること
私の母は、もともとカメラ嫌いというか写真や動画に自分の姿を納めることを嫌うタイプの人でしたから、ここ十数年は1枚も写真を撮っていませんし、もちろん動画も撮影していません。
最後にスナップ写真を撮ったのが、今から20年ぐらい前だったと思います。
父と母と3人で雲仙に旅行した際に、記念に有田焼に写真を焼き付けてくれるサービスで撮影したのが最後でした。
当時は、携帯電話はありましたが私が使っていた携帯電話は動画撮影ができないタイプだったので、写真しか撮れませんでしたが、もしあの頃から動画を日常的に撮れる環境があったら、楽しい思い出として残せたかもしれませんね。
そんなカメラ嫌いの母ですが、先日役所の方が介護保険の調査に来られた時、食事の様子を聞かれたらうまく答えられない気がしたので、母が昼食を摂る姿を数分間撮影しました。
結果として、この数分間が母を撮影した最初の動画で、もしかしたら最後になってしまうかもしれません。
ただ、この動画は母の動作を中心に撮影したため、母の顔が映っているのはほんの少し。
後になって見返したときに、顔が映るように撮影してあげればよかったと、後悔しました。
もしも、親と会う機会があるのなら、ぜひ今からでも遅くはないので時間があるときに動画を撮影してください。
子どもがいる家庭だと、常に子どもを動画撮影したり画像を撮ったりしていると思いますが、親となるとなかなか撮影する機会もないし、機会があったとしても「よし、親をメインに動画を撮ろう」と考える人は、多くはない気がします。
しかし、私のようにある日突然親が入院して、長期間会うこともままならない環境で認知症が進んでしまうと、別人のようになってしまい、気持ちに受けるダメージは想像以上です(それでも、いずれは認知症になるだろうということは予想していたので、私の場合は覚悟できていたと思います)
ほんの数分間だけ撮影した母の動画を見返しながら、認知症が酷くなって帰宅した母の姿を思い返すと、少しでも元気でいた頃の認知症になっていない頃の母の姿を残しておいたら、私の気持ちは少し救われたのではないかと感じています。
もしかしたら、逆に辛くなってしまうこともあるのかもしれませんが、少なくとも私はもっと母の写真や動画を撮っておきたかったと、強く感じました。
それに何の意味があるのかなんて、私には説明できません。
ただ「今」の親の姿を、少しずつでも残しておいた方が、子どもとしての気持ちが救われるような、そんな気がしています。
私の親の世代は、カメラも結構高級品だった時代に親になっているので、父は質流れの中古カメラを購入して、私の兄や私を写真に撮ってくれました。
父と母にとっては、そうやって残した子どもの姿を見返すのは、幸せで楽しい時間となっていたと思いますし、現在子育て中の方々もそうだと思います。
では、大人になって子どもが親の写真を見返す時、何を思っているのかと言えば、自分の知らない親の顔、知っている親の顔、楽しそうに幸せそうに笑っている親の顔を、幸せな気持ちで見ているのですよね。
そして、そこには幸せと同時に安心感や親に大事に育ててもらった思いを感じ、自分の子どもの写真を見返すのとは違う感情が存在していると思います(私には子どもがいませんが、きっとそうだと思います)
でも、親の写真って子どもの写真よりも圧倒的に少ないことに気が付きます。
環境や職業などで違いがあるかもしれませんが、撮影機器の進化はめまぐるしくて、今はだれでも気軽にスマホで動画や画像を撮影できる時代ですから、子どもや友達の画像はおそらく何万枚にもなっていますよね?(笑)
でも、そんな気軽に簡単に撮影できるのに、親がメインに映っている動画や画像って少なくないですか?
それでも、ほんの少しでも動画や画像が残っていればいいですが、私のように母がカメラ嫌いであると、今回のように何もメモリーに残っていないという状況になり、寂しいという気持ちよりも、親が私の姿を残してくれたように、私も親の姿を残してあげたかった、という気持ちになりました。
動画に残したからと言って、それが何の意味があるのかはわかりませんし、もしかしたら必要ないのかもしれませんが、少なくとも私は母との時間を思い出せる動画を、きちんと撮っておくべきだったと後悔しました。
もし、これまでの親子関係を振り返って、動画や画像に親がほとんど残っていないという人がいたら、今から少しずつ撮影することをおススメします。
意味や理由なんていりません。
ただ、撮ってください。
撮って後悔することは、絶対にないはずです。
撮らないでいると、後悔します。
だから、今親と過ごしている人がいたら、すぐにでも動画の撮影ボタンを押してほしいです。
そうすることで、きっと自分自身が救われる日が来ると思います。