マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

モノを処分するためのフローチャートを作った話

2020-12-21 | 日々の暮らし
ここ数日、アクセス数が多い記事があります。
それは、掃除やモノを処分した内容の記事のようなのですが、おそらく年末に不要なモノを片付けてしまおう、捨ててしまおう、と考えていらっしゃる人が多いのだと思います。

ただ、私の記事内容は役に立ちそうもないのが申し訳なくて、せめて私の経験から、こんな風にモノを処分する基準を設けていますよ、というのをフローチャートにまとめてみました。
文字などが小さくて読みにくいかもしれませんが、私が頭の中で意識していることを可視化していますので、こんな考え方している人なのだな、という程度で見て下さいね(笑)

今回は、特に「捨てたいと思ったのに勿体なくて捨てられない」というときに、頭に浮かんでいることを書き出しました。
自分の決意の揺らぎが生じている際に、思い浮かべる内容です。
しかしながら、最終的には面倒くさくなって全部処分(廃棄)してしまうのが、マシュマロ流(笑)
ですから、最近ではフローチャートも頭の中に浮かんでこなくなりましたね。

一応、フローチャートの内容について補足説明をしておきますね。
まあ、見たままなのですが、チャートに入れていない内容としては、自分でも使わない、捨てることもしない、何かしらの形でモノのセカンドライフを演出しようとしている人に言っておきたいことがあります。
それは、

あなたが不要だと思ったモノは、他人にとっても不要です。
そして、大した価値はないものと思ってください。


ということです(笑)

もちろん、中には貴重で資産として十分な物品もあると思いますが、そういった物品はそもそもの購入価格が桁違いなはずですし、それをおめおめと他人の手に渡す人など、いないと思いませんか?
そして、世間のほとんどの家庭で出る不要品は、他人にとっても不要品でしかないはず。
もしも、どうしてもそれが欲しいという人が現れたら、その人にお願いして家の中を見せてもらってください。
おそらく、とてもモノが多かったり、片付けや掃除が行き届いていない家か、もしくは人様からいただいたモノを売却して小銭を稼いでいるかの、どちらかだと思います。

おっと、少し辛辣な物言いになってしまいました。
申し訳ないことです。
おそらく、古着や古物を集めるのが好きな方が、この記事を目にしたら、きっとお怒りになるでしょうね。
でも、そういうこだわりを持っている方は、一般家庭から出る不要品のすべてに魅力を感じるわけではなく、その人が思い描くコンセプトに合致したモノだけが価値あるモノなわけですから、やはり不要なモノはそれ以上になることはほぼないのです。
そして、もし自分が持っているモノに対して魅力を感じる人が存在したとしても、捨てようとしたときにお互いが出会っていないのだったら、それは縁がなかったということなので、お互い出会ってもいない相手のことをかんがえるのは、やめましょうね(笑)

それから、DIYをして修理修繕しながら使い続けたいという方は、生半可な気持ちだと絶対に途中で挫折するか飽きるかしますから、今まで一度もDIYをしたことがない人は、手を出さない方が無難です。
なぜなら、慣れていない人は、やりかけのモノと未着手のモノがどんどん溜まっていくので、DIYの能力が追い付かなくなるからです(苦笑)
これもまた、趣味のひとつとして長年経験してきた人なら、リメイクやリユースも問題なくできると思いますが、今までやったことがありません、という人は、汚部屋作りをしているのと同じことになってしまうので、くれぐれもお気を付けください。


本日は、フローチャートを作るのが楽しくて、捨て曜日だったのに何も処分していません(苦笑)
こういう作業をしていると、オフィスワークをしていた時のことを、少し思い出しますね。
でも、仕事ではないので楽しく取り組めました(笑)
次に作るとしたら、仕分けるときのフローチャートかな?
マシュマロ流の仕分けなど、誰も興味がないと思いますが、自分の頭の中を整理する意味でも、トライしてみようかな。

人のルールに振り回される話(母のルールは不要なモノだらけ)

2020-12-20 | 母のこと
母と私とでは、必要とするモノが違います。
それぞれ、個人的なモノであれば構わないのですが、共有しているモノや生活する上での行動では、どうしても互いに譲れずにぶつかります。
本日は、家族がぶつかってしまう「不要なルール」について、私の思うところを綴ります。

どうしてそうなの?
母のルールで、どうしても考えが合わないのが、3つほどあります。
どれも、私が妥協すればいいのではないの?と言われそうな、ほんの些細なことなのですが、最終的に私が振り回される羽目になることなので、正直なことを言うと、母の方からも歩み寄ってほしいと思っていますし、何度もお願いしているのですが、頑として修正してはくれません。
その3つのルールとは、

 ・湯沸かし電気ポットのお湯を少しでも使ったら、新しい水を追加して満杯にしようとする
 ・トイレの便器のフタを閉めない
 ・湯沸かし器のスイッチを消したがる

この3つのルール、字面で読むだけだとほっとけばいいのに、と思うレベルですが、私の母はこの3点については私を巻き込むことが多いので、本当に辞めてほしいと思っているルールです。

湯沸かし電気ポットルール
我が家の湯沸かし電気ポットは、満杯で2.2リットル入ります。
普通に家族2人が、温かい飲み物を飲むのに、そんなに急激に減る量でもありません。
しかし、母はほんの2~3杯の湯を使っただけで、水を入れようとします。
私は、半分以下になったくらいに、ぼちぼち水をいれようかなあ、くらいに構えているのですが、母は自分のタイミングで水を加えたいので、私がキッチンで食事の用意をしていようが、母が使った後に私が温かい飲み物を飲もうとしていようが、お構いなしに水を汲んでポットへ入れようとします。
はっきり言って、迷惑です(苦笑)

そもそも、そんなに慌てて水を入れなくても、十分入っていますし、温かい飲み物を入れてから秒で次の温かい飲み物を飲みたくなることも、そうありません。
それでも、キッチンで私を押しのけてまで、水を汲みたいのです。
私が、今キッチンを使っているから後にしてくれ、というと、今度は終わったらすぐに入れろと言います。
いやいや、すぐに入れないと、なにか恐ろしいことでも起きるんか!?と言いたくなります(苦笑)

それが嫌で、水差し代わりに使っているやかんを、母の手の届かないところへ移動させて、私のタイミングで入れられるようにしたところ、本日私がくつろぎ中にやってきて、ポットに水を入れてくれと言ってきました。
私は、今すぐ入れなくてもまだ湯はある、といって入れずにいたら、そのあとまた私を呼びます。
一体何なの?と思って行ってみると、水を入れる際にコンセントが外れたらしく、本体側のコンセントをつなぐ位置がわからないと。
ちょっとまって、その前にどうやって水入れたの?と聞くと、使ってほしくない容器を使って水を入れたと言います。
それは、あまり清潔ではないから使ってくれるな、ということと、そんなに慌てて水を入れてどうするのかと、私の怒りが沸点に到達しまして、少し言い合いになりました。

母は、身体が普通に動かせていた昔はとにかくせっかちで、人がいつまでも自分(母)の言ったことをしないと、かなりキーキー言う人でした。
まあ、よくありがちな母親の姿かもしれません。
しかし、冷静に考えて、今すぐやらなくていいことは明らかなのに、とにかくキーキー言う人なのです。
それがいまだに続いているので、身体がきびきびと動かせない分、私が振り回されることになるわけです。

便器のフタは開けるルール?
母は、昔から洋式トイレの便器のフタを閉めない人でした。
子どもの頃は、それが当たり前だと思っていましたが、大きくなりフタは閉めた方がいい場合もあると知り、以来私は臨機応変にトイレのフタは閉めるようになりました。

そして、数年前、詰まりやすくなったのを機に、自動洗浄機能が付いた便器に交換したのですが、この便器はフタをした方がいろいろと都合がいい便器でした。
まず、消臭機能が付いているので、用を足した後はフタを閉めた方が、臭いがトイレ庫内に充満しにくくなります。
また、便座のウォーム機能をオンにしている際は、フタをしておかないと便座の温度が下がってしまいますので、寒い冬はとにかくフタは閉めておかないと、省エネにもならないし、便座が冷えてしまうのです。

そういう事情もあって、新しい便器にした際に、フタは絶対に閉めてほしいとお願いしたのですが、まだ一度として守ってくれたことがありません。
今は、私も家にいるので、いちいち声を掛けたり、私がわざわざ閉めに行ったりしていますが、私がもし働きに出て長時間家を空けるようになったら、寒い冬場は帰宅しても冷めた便座に座る羽目になるでしょうねえ。
まあ、それは私が我慢すればいいだけのことなのかもしれませんが、たかだか便器のフタを閉めるだけのことを、頑なにしようとしない母もどうかと思っています。

母は、よそへ行っても同じようにフタを閉めないので、そのお宅が便器のフタをきちんと閉めるご家庭だったら、母は物凄く不躾な人間に見えるかもしれませんね。
まあ、母が他人からどう思われようが、どうでもいいのですけどね。

湯沸かし器のスイッチは常に消すルール?
母のおかしなところは、何故か電気代だけ気にして、あちこちの電気のスイッチを切りたがる点です。
まあ、普通に節約だからと考えれば、どうということはないのですが、その他のことに関しては、使い方が荒いというかそんなに使わなくてもいいんじゃないの?という使い方をします。
例えば、水道は洗ったモノを時間をかけてすすぎますし、ペーパー類も必要以上に枚数を使いたがります。
なのに、電気だけはこまめに消さないと勿体ないと言い、あちこちで電気を点けっぱなしにしていると、消して回っては私に文句を言ったり、消していいかと険しい顔で聞いてきます。

湯沸かし器のスイッチについても、同じようにスイッチがオンのままだと電気代がかかるから、消したいらしいのですが、私は今の季節は冷たい水で手を洗ったり、洗い物をしたりするのは嫌なので、オンのままにしています。
オンのままにしている理由としては、我が家の構造上の問題なのか、つけたり消したりしていると、温水がなかなか出てこないのですよね。
オンにしておくと、それが少しマシになるので、つけたままにしているのですが、母は毎日何度も「消していいのか」と聞いてくるようになり、そのたびに「水が冷たいのは嫌だからつけておいて」と返事をしています。
正直、このやり取りに最近ウンザリしています(苦笑)

母は、いわゆる老害的な考えが強い人で、私が温水で洗い物をしたりすると、昔は冷たい井戸の水で...なんて話をし始めまるのですが、私は根性で冷たい水に耐えて洗い物をする気はさらさらないので、徹底抗戦の構えです(笑)
そもそも、そこの電気代を気にするくらいなら、湯沸かし電気ポットの湯を少し使うたびに水を差して、日に何度も湯を沸かす方が、絶対電気代が高くついているはずなのですが、そのことには全く気が付いていません。
というか、何度か私がこの説明をしたのですが、理解できていないようです。

電気代を節約したいのなら、そもそも湯沸かし電気ポットそのものが不要だと思うのですけれどねえ。

私も意地になりすぎ?
まあ、無視できることであるなら、そうしたいところですが、そうなると私がどう行動するのか、ということを考える必要があります。
自分としては、もう電気湯沸かしポットのことは母に丸投げにして、私は一切かかわらないようにしたいところですが、先に言いましたとおり、私の邪魔をしてまで水を汲もうとしますから、無視できません(苦笑)
トイレの便器のフタは、私が冷めた便座に座ることを我慢すればいいだけのことかもしれません(臭いについては、強力な消臭剤を買う?)
そして、湯沸かし器のスイッチについては、これも私が温水になるまで水をずっと出しっぱなしにして、我慢します?

というか、この3点については、私がとにかく我慢するしか今のところ解決方法がないから、私にストレスが溜まっているのですよねえ(苦笑)
まあ、他の小さな母ルールに、なにもそんなことにこだわらなくてもいいのに、と思うことが多々ありますが、いちばんのストレスは、今回挙げた3点です。

ああ、もう本当に、せめてトイレの便器のフタだけでも、きちんと閉めてくれたら、少しはストレスが軽くなる(と思う)のですけれどねえ。

家族の人数分だけルールがある?
家庭のルールは、大体は両親(祖父母が居れば祖父母も含めて)が決めて、自分の子どもたちに守らせることで、家庭の秩序を形成していきます。
しかし、どう考えてもやりすぎなルールというものは、多かれ少なかれ存在するのかな、と思ったりもします。
友人の家庭の話を聞くと、そのルールを我が家で適用されたら、私は我慢できないかもしれない、と思ってしまうこともあったりします。
家族間で、言い争いが多い場合は、おそらく一人一人のルールに微妙な違いがあって、意見のすり合わせができない状態なのでしょうね。
私は、母との間にそのことを強く感じています。
そして、自分が一番正しいと信じている母に対して、大人になった今でも反抗心が強いです。
母は、今までそのルールで生きてきて、誰からも指摘をされないまま、過ごすことができていたのかもしれません。
だから、それが正しいと思い込んでいるのでしょう。
しかし、私から見ると、どうでもいいことにギャーギャー言いすぎだと思ってきましたし、今も思いますから、大人げないのですが、私も私のルールを母に押し付けて仕返しすることも多いのですよ。

もちろん、私のルールも他人から見たらどうでもいい、守るに値しないルールだろうということは承知の上です。
でも、せめて少しくらいは反抗させてほしいと思いつつ、母との関係について考える日々なのです。


ということで、母のルールに振り回される話を綴りましたが、家族と住むとなぜかそれぞれの家人が謎のルールを持っていますよね。
何?そのルール、というものが、割とたくさんある気がします。
そのルールについて、少しずつ歩み寄れる場合はいいのですが、頑固な母にイラつく私だと、いつまでも妥協点が見つからないまま、平行線をたどってしまうようです。
もう少し、穏やかに暮らしたいと思いつつ、明日もきっと同じことで、イライラしてしまいそうなので、自分へのマインドコントロールの方法でも調べようかな、と思ってしまう夜なのでした(苦笑)

買い替えを毎年悩んで未だに買い替えられていないモノの話(Short diary)

2020-12-19 | 日々の暮らし
毎年、買い替えたいと思っているアイテムがあります。
それは、財布。
今使っている財布は、そろそろ10年くらいになると思います。

私は、ミニ財布が大好きで、購入した当時はその財布に一目ぼれ。
某ブランドの財布でしたが、もう廃版になっているデザインです。
後継商品らしき財布を探しますが、見当たりません。

この財布の何がいいかというと、ミニ財布なのにお札が二つ折りで収納できる点です。
ただし、日本の1万円札は物凄く窮屈になってしまいます(笑)
おそらく、ヨーロッパ基準で作っているため、世界で一番面積が大きいと言われている日本の1万円札の収納は想定されていなかったのでしょうね。
1万円が窮屈になること以外は、非常に私好みの財布なので、これに替わるモノが見つかるまでは手放したくありません。

モノへの執着は、だいぶ緩和してきたとは思うのですが、この財布に関してはもうしばらく手放さないと思います(笑)
どうでもいいことですが、しっかりとしたブランド製品なので、表に多少の汚れが付いていること以外は、全く劣化していません。
いいモノは、やはり長く使えるのだな、と実感しています(笑)

処分したことで安心できること

2020-12-18 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
不要なモノを処分して、スッキリとした暮らしをしている人たちが、SNSや動画でよく発信しているのが「捨ててよかったモノ(やコト)」の話です。
私自身は「捨ててよかった」という感情とは少し違っていて、「処分したことで安心を手に入れる(た)」という側面が大きかったです。
本日は、処分したことで、私が安心できたことについて綴ります。

不要品の処分を始めたきっかけ
私が、大掛かりな不要品処分に着手し始めたのは、20代の終わり頃でした。
その当時は、まだ私には体力もありましたし、腕力も脚力もかなり丈夫でした(笑)
ですから、セパレートになっている背の高いキャビネットの上部を外して下ろすことが1人でできましたし、粗大ごみを出すごみステーションへ運ぶのも、全て1人でしました(もちろん台車などを使ってですが)

私が自室の家具を処分しようとしたきっかけは、いくつかあったのですが、その中でも阪神淡路大震災を報道で目の当たりにしたことが、かなり影響しています。
阪神淡路大震災は、家屋の倒壊と火事による被害が大きかったのですが、後々家屋の中で、倒れてきた家具の下敷きになり命を落とした人が多くいたことは、未だに忘れません。
なんとか一命をとりとめた被災者の方々の、当時の様子をテレビなどで見ていて、とても恐ろしくなり、自分もいつかこの大きな家具の下敷きになってしまうかもしれない、という危機感を覚え、また他の理由も加わって、家具を処分することにしたのです。

家具の処分に伴い、中に収納していたモノも当然処分していきましたが、最近になって処分した家族が使っていた家具については、また違う気持ちがあって、処分を急いでいた部分があり、収納していたモノの処分も時には強引に進めました。

災害に遭遇したら
地震や台風、そして最近では異常気象に伴う豪雨などの自然災害に見舞われたとき、被害が大きい場合は全てのモノが奪われてしまう可能性があります。
避難する時間が多少なりともあれば、貴重品だけは持ち出すこともできますが、そのほかのモノは根こそぎ奪われてしまうかもしれません。

もしも、そうなったら、私はどうするだろうか?と考えると、少しでもモノは持っていない方がいいという結論に達し、同時に多くのモノを持たずとも、人は快適に暮らしていけるのではないか、とも思えます。

たくさんの不要品を処分して、私が今感じていることは、現金と通帳とカードと登録印、そしてマンションや土地の権利書と身分を証明できるモノだけを持ち出せば、あとは失っても何とかなるはずだ、ということです。
少し前の自分であれば、失ったら心が折れて取り乱してしまうかもしれない、失ったショックで毎日眠れないかもしれないと考えていました。
もちろん、思い出深い品を失えば、少し悲しい気持ちにはなると思うのですが、大事なのは私がきちんと覚えていられるかどうかなのだ、と考えるようになってからは、モノが壊れたり失われたりしても落ち込む必要はないと思えるようになりました。
そして、もし私が思い出を忘れてしまったら、モノがあったとしてもその程度の思い出なのではないか、とも思うので、結局モノに対して執着する必要はないのだと思っています。

このように考えることができるようになったことで、漠然と感じていた不安がなくなりました。
地震で家具が倒れてきたら、火災や台風や豪雨で大事な品を失ったら、私はそのときどうしたらいいのだろう、と考える必要がなくなったからですね。
たくさんのモノを持てることは、幸せなことなのかもしれませんが、同時にモノを失う不安も手に入れてしまうことになるのだな、と今では強く感じます。
たくさんのモノを処分して、将来の不安も処分できました。

自分が老いたら
家族の老いは、不要品を見極める大きなチャンスだと思っています。
私も、50代に入ってからは体調の優れない日が増えましたし、母は80歳になり(来年81歳です)持病も改善する気配はなく、年々足腰や手指が弱ってきているのが、目に見えて感じられます。

私が、家族のモノを大量に処分したいと思った理由は、1つは故人である父や兄のモノをいつまでも持っていても仕方がない、という思いがあったからですが、最も強く感じていたのは、自分自身の老いによる体力の低下です。
この先、何年も使わないモノや家具をそのままにしておいても、若い頃のように自分で運び出すことはできないし、そもそも残っていた家具は、重たいし大きいしで、体力に自信のある男性であっても、1人で処分することは難しいモノばかりでしたから、とにかく私がいろいろ考えて動けるうちに、大半のモノは処分しておこうと考えました。

いろいろ考えて、大体の処分するスケジュールが決まってからは、母を何度も説得し、説得しきれない場合は時間が経過するのを待って再度説得を試みたりして、とにかく私が自分でごみ置き場まで運ぶことが可能なモノは、できる限り早めに処分してしまうことにしました。
結果、昨年やっとのことで、家具に収納していたモノを処分したり整理したりして、家具そのものを処分することができる状態になったので、業者に依頼して処分していただきました。

大きな家具を処分したことで、私は2つの安心を手に入れることができました。
そのうちの1つは、私が老いて体力も腕力も思考力も低下してしまっていても、処分すべきモノの量が減ったことで、今までよりも楽に処分ができる状態に近づいたという安心です。
まだ、残っている家具はいくつかあって、そのうちの数台は私1人では持ち出せませんが、業者に頼むとしても数が少ないので、料金も安くて済みますし、運び出すのにそんなに時間もかからないはずなので、予算的な安心も得ることができました。

家族の老い
家具を処分して手に入れた安心の2つ目は、家族の安全です。
処分した家具のほとんどは、どこかしらが経年劣化のため、欠けたり破損したりしていました。
特に危険を感じていたのは、扉の蝶番です。
蝶番が緩んだり、その部分が破損していたりしていた箇所が結構多くて、いつ外れて扉が落ちるかわからない状態でした。
また、扉が閉まっている状態をマグネットで固定している家具に関しては、扉を開ける際にマグネットが上手く離れずに、家具を倒してしまう危険性もありました。

そのような危険を感じ始めたのは、母の老いによる衰えです。
母は、力が弱ってきていたため、扉付きの家具を開閉する際に、かなり強く引っ張るようにしていました。
また、私がモノの管理をするようになって、あちこちにモノを移動させたことで、母はあちこちを意味もなく開閉することが多くなっていました。
日に何度もあちこち開閉する行動に、イライラが募り、一時期はノイローゼになってしまいそうでした。
加えて、何度も開閉するあまり、あちこちの扉がきしむ音がするようになってきました。
これは、いつ壊れてもおかしくないな、と思った私は、なんとか母の行動をやめさせようとしたのですが、一向にやめてくれないので、最終的には「扉付きの家具がなくなれば解決や!」となり、家具の処分に勢いがつきました(笑)

家具を処分したことで、今は母が扉を壊して落とす危険性も消えましたし、倒す可能性もなくなりました。
そしてなにより、母があちこちを開閉するという行動が減り、私が精神的に楽になったので、気にかかる事案が減ったという安心を得られるようになりました。
危険が低くなった安心感と、私の精神的な安定を得られた、というわけですね。

モノが減ると時間と気持ちにゆとりができた
なにより、不要品を処分したおかげで、メンテナンスするモノが減り、時間と気持ちに余裕が生まれたことで、ホッとした気持ちになれる時間が増えました。
時間と気持ちにゆとりができたことで、不安感が減り、逆に開き直れるおおらかさを得ることができたような気がします。
まだ、暮らしの中で気に入らないことや納得いかないことも多いのですが、少しずつ心配事や悩み事が減ってきたことは、結構大きな変化ですし、気持ちの安定にも繋がります。

モノを減らそうとすると、どうしても処分したくない言い訳や理由を探してしまいますが、失う不安感や絶望感よりも、これから先、長い間暮らしていく中で、心配することが少ない方が断然幸せなはずなので、今モヤモヤとしている不安感の原因になっているかもしれないモノが判明したら、迷わずに処分してしまうつもりです。
そして、晩年は気楽で気持ちに余裕のある婆様になっていたいな、と思っています。


本日は、不要品を処分したことで得られた「安心」の話を綴りました。
今こうしてブログ記事を打ち込んでいる間にも、処分したいモノやそろそろ手放しても大丈夫そうなモノが、次々と思い浮かんできました。
来週の捨て曜日までに、不要品の処分を進めていきたいですね。

捨て曜日に処分するモノはリセット目的で

2020-12-17 | 日々の暮らし
本日は捨て曜日です。
今回処分するモノは、一度リセットするモノです。

夏に活躍したモノ
夏場のパジャマ替わりに履いていた、ユニクロのリラコを2着、処分します。
この商品、大変着心地がよくて涼しく過ごせるため、夏場は手放せませんでした。
購入したのは数年前で、ロング丈が新発売されたときでした。
実を言うと、柄があまり好みではなかったのですが、履いてみたら手放せなくなりました(笑)
しかし、そろそろ買い替え時だと感じたので、来年発売されるリラコか、もしくは別の商品を購入しなおそうと思います。
長い間、とてもお世話になりました。
元は間違いなく取ったので、コスパは最高でした(笑)

似合わなくなっていたモノ
これも、夏場に一番活躍するアイテムでしたが、キャップを2つ処分します。
私の顔は、何故か「HAT」よりも「CAP」の方が似合います。
定義としては、CAPもHATの中に入るそうですが、私が言うHATは帽子のツバが360度あるタイプのモノです。
まあ、CAPとHATの違いは置いといて(笑)
今でも、HATは試着してもいまいちなのですが、今回処分することにしたCAPもデザインが影響しているのか、被ってみたら似合わなくなってきていました。
また、頭の形が変わったようで、被り心地が悪くなっていました。
いえ、もしかしたら形が変わったのはCAPの方かもしれません。
なにせ、1年半以上被っていなかったので、自然と形が崩れてしまった可能性もあります。
もしくは、私の頭が太ったかもしれません(苦笑)
いずれにせよ、似合わないし被り心地が悪いので、思い切って処分することにしました。
これで、私が所有する帽子の類はゼロになりました。
春になったら、新しいCAPを探しに行くつもりです。
ピッタリ似合う帽子が見つかりますように。

処分するのを迷った冊子
この冊子、ある漫画家の先生が特別に書き下ろした内容が掲載されているモノで、書籍化されないストーリーです。
本編は書籍化されている作品で、有名なタイトル(ここではタイトル名を割愛します)
私は、この本編を全巻所有しているので、別冊という解釈でずっと所有していましたが、実は販売されたモノではなく、イベントとのコラボレーション冊子だったので、無料です。
逆に、無料だから少し特別な気持ちもあるのですが、そのイベントに参加するために結構な出費をしたので、高い買い物だったかもしれませんね(笑)
しかし、所詮無料の冊子であることに変わりはありません。
また、そのストーリーは本編とは全く関係がない内容ですから(イベント内容を漫画化しているので)、この先読めなくなったとしても困ることはありません(笑)
本日、一読してからごみ袋へ入れました。

年内はリセット目的の処分が増えそう
年末ですから、来年に持ち越したくないモノは積極的に処分するつもりですが、中には使い心地がよすぎて処分できていないモノもあります。
リラコは、その代表格です(笑)
他にも、もう何年も使っているモノがあるのですが、その商品は1度きりしか販売されなかったので、代わりになるものが見つからない限り、もしくは破損したり汚れたりしない限りは使い続けると思います。

リセットは、モノだけに限りません。
自分の日ごろの行動、ルーティンワークも見直したいと考えています。
私の悪い癖で、せっかくリセットしてやめてしまったことも、ついやってしまいます。
そして「ああ、これ、面倒くさいのだった」と思い出し、私ってアホやなあ、と軽く落ち込みます(苦笑)
行動のリセットは、時にモノを増やすことも必要になるので、なかなか思い切ることができないこともあるのですが、最近一段と面倒くさがりに拍車がかかってきたので、思い切って行動の取捨選択をしていきたいですね。


本日のブログは、サクッと終わります。
そういえば、各地で積雪の被害がでているようですね。
本日の福岡は、割と過ごしやすい気温でしたが、朝晩はやはり冷えますね。
厚着が嫌いで、寒いのが嫌いな私には最悪の季節ですが、体調に気を付けて過ごそうと思っています。
このブログを読んでくださった皆様も、どうかお身体に気を付けて、温かくしてお過ごしください。
そして、体調がいつもと違うと感じたら、迷わずに病院を受診してくださいね。
私も、そうします(笑)

最近、袋が切れなくなってきた母の指

2020-12-16 | 母のこと
本日は、最近になって現れた母の変化について綴ります。

ほんの数日前の話
私は、最近母が粉系の飲料を作る際に、微妙にこぼしてしまう(ぱっと見はわからないけれど、よく見ると粉が落ちている)ことが増えたので、粉系飲料はスティックタイプを買うようにしました。
最近のスティック袋は、切り口が手指で簡単に切れるモノが多くなってきましたよね。
有名なメーカーの商品であれば、大体切り口が切れやすくなっていて、大した力も入れずに口を開けることができます。

今、季節は冬。
温かい飲み物が欲しくなる季節ですから、ココアは用意しておきたいところ。
スーパーでは、大袋入りの粉ココアが安価ですが、母のことを考えてスティックタイプを購入して、いつでも飲めるようにしておきました。

数日前、ダイニングにいた母から呼ばれたので行ってみると「開けられない。開け方がわからない」と言って、ココアの粉が入ったスティックを1本持っています。
私は、開け口の位置を教えて、そこから簡単に切れるよ、と言いました。
母は、私が言うとおりに、開け口の印が付いているところを指で挟んで、切ろうとしますが切れません。

「え?切れない?力を入れる必要はないんだけど、切れない?」

私は、何度か母にトライさせたのですが、一向に切ることができませんでした。
仕方がないので、私が切ってみせて

「ほら、力入れなくても簡単に切れるよ」

と言うと、母は

「何で切れなかったんだろう?」

と、本人も納得いかない様子でした。

紅茶のティーバッグも?
私が紅茶好きなので、常にティーバッグを置いています。
今飲んでいるのは、トワイニングの5種類のフレーバーを楽しめる商品です。
この商品は、ティーバッグが個包装されていますが、包装している袋の素材は紙です。
紙ですから、手で切れますし切り目も入っていますから、これもまた力を入れずに封を開けられるはずです。

ところが、本日母が紅茶を飲もうとティーバッグを手にすると、また

「開かない」

と言い出しました。
紙の包装ではありますが、茶葉の風味を損なわないように、内側には防水や湿気を防ぐ加工がされていますから、切り口以外の場所からだと、少し開けにくいかもしれません。
ですから、私はてっきり開け口の切り目ではないところから、母が封を開けようとしているのかな、と思ったのですが、母はちゃんと切り目に指をかけていました。
そして、ココアの時と同じセリフが交わされることに(苦笑)

そして、ふと考えました。
いよいよ、衰えが目に見えて進んでいるのかもしれない、と。

寒さが原因?
一昨日から、急に寒くなってきました。
私も、暖房をつけたり厚着をしていないと、手足が冷えてしまって、上手く手指を動かせないことがあります。
しかし、それは単に手指がかじかんでいる状態であるからです。
少し温めれば、すぐに回復します。

もしかしたら、母も手指がかじかんでいたのかもしれない、と考えてはみるのですが、やはり母の衰えが原因のような気がしています。
もともと、母は開けにくい袋は全てハサミを使う習慣があったのですが、かといって手で切れないわけでもなく、つい先日までは、スティックココアの袋も自分で切ることができていました。
ですから、本当に急にできなくなった感じなのですよね。

かといって、麻痺があるかといえば、それはない様子なので脳梗塞などの可能性はなさそうです。
ただ、急に寒くなってきたので、体調不良に陥る可能性は十分にあります。
私も、なんとなく不調の度合いがいつもより大きいですからね。
私も若くないし、母はもっと気を付けなくてはいけない年齢ですから、年末年始は少し気を付けておこうと思いました。

少しずつ出来なくなっていく
私が家事全般をするようになってから、徐々に母はできなくなってしまったことが増えてきたように思います。
出来なくなったというより、忘れてしまっていることが増えたといった方がいいかもしれないです。

特に、家電の扱い方は、昔は私たちが使い方を誤ると、烈火のごとく怒っていたのですが、最近は立場が逆転していて、母は電子レンジで温めたらいけない器で料理を温めたり(何度かありました)、絶対にラップをして温めなければいけない料理を、ラップなしで温めてレンジ庫内が大変なことになったりしました。
少し前まで結構きれいだったオーブンレンジは、あちこちに料理の焦付きができ、ちょっとみすぼらしいです(苦笑)

そういえば、レンジ庫内に入れる飲食物の量も、よくわからなくなってきているようで、先日はマグカップ満杯に注いだミルクを温めようとしていましたね。
しかし、最近は母が出鱈目なレンジの使い方をしているので、使っていないときはコンセントを抜くようにしていたため、母が私にコンセントを入れてと言いに来て、ミルク満杯のマグカップに気が付くことができました。
もしも、コンセントを抜いておらず、母がそのままレンジのスイッチを入れていたら、間違いなく吹きこぼれて、私の仕事が増えるところでした(苦笑)

ちなみに、コンセントの位置は母の背丈では届かない場所にあるので、私がいないとレンジのコンセントを入れることができません。

迷う脳外神経外科の定期受診
昨年の10月、母は一度脳神経外科を受診して、認知症の検査を受けています。
その際、MRIで脳の中を撮影していただいたのですが、脳の異常は見つからず、その時点では認知症ではないとの診断でしたが、ただ脳の血管が通常よりも細いのか、画像に映らなかったと言われました。

脳に異常が全くなかったのは、まあ、いいことなのかもしれませんが、母のモノ忘れは認知症を疑うレベルです。
たしか、チェックリストの結果も、ほぼ認知症だろうと思われるレベルでしたから、医師も少し不思議な顔をして診断結果を教えてくれたのですよね(苦笑)
そして、一応前回は何の処置もせず、薬の処方も見送って、一年後に再度経過を診るための受診をして、と言われて、10月で1年が経ったのですが、実はいろいろ面倒に感じて、まだ受診していないのですよね。

受診していない理由は、予約が面倒くさいということと、私自身は母が認知症になったら、それなりの覚悟で自宅介護か施設に入れるかを決めようと思っているので、できることならはっきりとした診断が下る症状になるまで、様子を見たい気持ちがあります。
というのも、もし、また受診して脳に異常なしと言われてしまうと、介護や支援の申請をしたとしても医師の診断書が「異常なし」では、おそらく認定が下りないのです。
母は、体力的に家事ができませんが、その他の生活は自立しています。
お金の使い方はわかっているので、体調がいい日は1人でコンビニへ行って買い物をし、食べたいモノや飲みたいモノを自由に選んでいます。
今のところ、店でトラブルを起こしていないので、おそらく問題なく買い物はできているのでしょう。

そうなると、ますます介護や支援の認定は下りないでしょうから、とにかく中途半端なまま、私は母のサポートをすることになってしまうわけです。
おかしな話ですが、以前のようなしっかりした状態に戻るか、いっそ認知症の診断を下してもらう方が、私の行動も決めやすいのです。
酷い娘だなあ、と自分でも思ったりしますが、行政のルールにしても、介護や支援をしてくれる施設やサービスにしても、医師の診断が裏付けとして必要になる以上、私のように考えてしまう人は、少なからずいるのではないかと感じています。

今年中か年明けか
脳神経外科の再受診を渋っているうちに、いつのまにかCOVID-19の感染者が増加してしまい、インフルエンザも怖いので、今年中の受診は、とりあえず見送ろうかと考えていますが、それも単なる言い訳に過ぎません。
本当に、母のような状態の人は、この世の中に一体何名くらいいるのだろう?と思いつつ、資料になるモノも存在しないし、同じような状態の人の家族や関係者は情報発信をしていないのか、SNSなどで見つけることは困難です。
せめて、母と似たような症状の人のエピソードが見つかれば、なんらかの手が打てそうなのに、と思う日々です。
とりあえず、母と相談して、受診日をそろそろはっきりさせたいと思います。


本日は、母の様子を久しぶりに綴りました。
歳を重ねれば、どうしても身体の不調は現れてきますし、症状も増えていきます。
健康管理ができていたとしても、避けられない症状や病気も存在します。
この先、母にしても自分にしても、健康面がどのようになっていくのかは、想像が難しい部分もありつつ、少しでも元気に楽しく暮らせるように、考えていきたいですね。

憧れが多いとモノが増える話

2020-12-15 | 日々の暮らし
今はそうでもないですが、10年くらい前までは好奇心が強く、趣味も浅く広くといった感じで、思えば暮らしも頭の中も忙しかったなあ、と思います(苦笑)
同時に、いろいろな事に興味を持っては手を出して凝ってみたりしたものだから、さまざまなモノを持っていた上に、だんだんと自室に納まりきらないくらいまで増えていました。
好奇心の中には、憧れも存在していて、それが強ければ強いほど、モノも増えていったような気がします。
本日は、憧れとモノの量について綴ります。

憧れ対象と収集癖
私には、収集癖があります。
まだ、改善されてはいませんが、現在は集めるモノは決まったタイトルの漫画と小説(シリーズ)と決めていて、それ以外のモノは、集めることもしないし、そもそも最初の1つを買わないようにしています。
慣れると、購入すること自体に興味がなくなってくるのですが、やはり昔から好きだったモノ、一時期は集めていたモノに対しては、素敵だな、かわいいな、かっこいいな、という気持ちが湧いてきます。

そもそも、なぜモノを収集するのかというと、大体は「憧れ」を形にしたいから。
少なくとも、私にはそういう傾向がありました。

暮らしへの憧れと食器収集
知人に影響されてウェッジウッドの食器セットを集めていた話を、以前当ブログでも綴ったのですが、それは知人がとても充実した生活をしているように見えて、さらにウェッジウッドというブランドにも、もともと憧れがあったので、その2つの要素が重なって、真似をして集めるようになりました。
今思えば、集めていた食器そのものは、そこまで大好きでもなかったので、ムリして集める必要もなかったし、それを購入するための出費を、もっと違うことに使えばよかったな、と思います(苦笑)
現在は、ブランドに関係なく自分が一番好きな食器だけを所有して、毎日お気に入りの食器で食事を楽しむことにあこがれているので、食器を入れ替えることはあっても、収集することはないですね。

食器というものは、生活そのものが反映されているような気がするので、どうしても良質のモノをたくさん所有したい気持ちになりますが、実際は誰も我が家の食器に注目しないし、知りたいとも思っていないのに、何故あんなに必死になって集めていたのかな、と自分でも不思議です(笑)

人物像の構築とファッション系の収集
憧れて、ということであれば、いちばん反映させやすいモノがファッションでした。
ファッションも、流行のモノを身につけるのが大人の女性としてステイタスが上がると思っていたし、ブランドにこだわることはなかったのですが、上質の生地を使っている服を欲しいと思っていました(そういうのは大体ブランド品ですが)
今は、とにかくシンプルに、そして洗濯が楽な服を基準に購入していますが、以前はいろいろなファッションに憧れていたので、クローゼットの中だけをみると、数人分の服が入っているように見えていましたね(笑)
全部私が着る服だったのですが、カッコいい系とかわいい系が混在している時期もありましたし、フォークロアに興味を持ったかと思えば、ブリティッシュファッションを集めだしたり、チャイニーズ風な服にも手を出したりと、クローゼットの中が万博状態になっていましたよね。
きっと、それはいろいろな国に行ってみたいという憧れもあったのだと思うのですが、なんとなく自分のルーツやパーソナリティに不満があったのかもしれないです。

パーフェクトな料理への憧れと食材・スパイス・調味料の収集
今は、自分が料理しないで済む暮らしに憧れていますが、以前は凝った料理も簡単な料理も美味しく作ることができる腕前を持ち、出来得る限り最初から手作りをしたいと考えていました。
理由は特にありませんが、なんとなく料理はできて当たり前、だから当たり前よりも1つも2つも上の腕前を持とう、レパートリーも美味しそうでお洒落で、でも家庭で作るのが難しい料理を慣れた手つきで作れたらいいのに、と思っていました。

結果、普段の食事では使わないような調味料やスパイスはもちろん、食材もめったに食べないような野菜や果物を買ったりして、中途半端なまま消費期限を迎えてしまったり、腐らせたりしていましたね。
スパイスの種類が増えるのはもちろん、調味料もそれぞれ数種類買っては、料理別に使い分けていました。
オイルも、サラダ油とオリーブオイルとごま油と香味油と、いちばん多くて5種類くらいの油があった気がします。
調味料も、しょう油だけで2種類以上使っていましたし、ソースもいろいろなタイプを使い分けていましたが、そのほとんどが賞味期限切れを迎え、中身を残したまま廃棄するということが何度もありました。
食材も、主に保存できるモノに関しては消費するのが大変でした。

現在は、調味料はそれぞれ1種類ずつしか持っていませんし、量も少ない商品を購入しています。
食材も、頻繁に食べないモノに関しては、きっぱりと買うのをやめて、外食をするか冷凍で温めるだけで食べられる商品を選んで購入することにしています。

海外ドラマ『大草原の小さな家』は危険(笑)
今でもそうですが、ローラ・インガルス・ワイルダーさんが執筆した『大草原の小さな家』という物語をベースにしたアメリカのドラマに出てくる、インガルス家の暮らしぶりには憧れが強くあります。
暖炉に火をくべるための薪を切ったり、家を全て手作りしたり、日常的に使う道具も1から作ったり自分でメンテナンスしたり、服はお母さんの手作りだったりと、今の私には絶対できない暮らしではあるのですが(笑)物語の中のインガルス家の人々は、なんだか毎日充実していて楽しそうに見えますし、実際そうだったのだろうと想像できます。
ですから、なんとなくそんな暮らしも悪くないと思っている私がいるわけですが、実際はきっと途中で挫折します(苦笑)

ただ、暮らしは真似できなくとも、せめて道具を使ったり手作り感のあるカントリー風のワンピースを購入したりすれば、インガルス家の暮らしを、少しは再現できるのでは?と思うのが大間違い(笑)
パーフェクトに真似できる人はいいのですが、私は途中で気が付いてしまいます。
まず、ファッションが(純粋な日本人顔の私には)似合っていない。
そして、道具をいくら揃えても、作る料理が玉子焼き、生姜焼き、煮魚、みそ汁となると、最終的に和食器を使うことになってしまいますので、新たに料理に合う食器を買い足したりもしましたね。
キッチン道具も、調理に合わせるために、同じ用途のキッチンツールを何種類も持っていました。

よくよく考えると、キッチン道具も食器も使いやすさが一番だし、用途がかぶる道具は頻繁に使っているモノを1つ持っていれば十分だし、ファッションは似合うモノを身につけることが大基本なのに、どうしてそれが見えてこなかったのかな、と自分でも呆れてしまいますね(笑)

憧れはモノで満足してはいけない
憧れの度合いにもよりますが、例えば将来絶対にこうなるんだ、というビジョンがはっきりしているのであれば、憧れを現実にするために、それなりの生活をしながらモノも揃えていくのがいいことだと思うのですが、ただ何となく素敵だな、ちょっと真似してみたいな、といった程度なのであれば、絶対にモノを揃えて満足を求めてはいけません。
なぜなら、モノだけ揃えても、絶対に満足しないんですよ(苦笑)
結局、生活自体が憧れの形や姿にリンクしていないと、いつまでも中途半端な気持ちを持ち続けることになるので、満たされないのですよね。
だから、いつまでたってもダラダラとモノを集めてしまい、最後にはモノで溢れかえった家や部屋になってしまうのです。
しかも、モノを処分するという選択肢がないときは「まだ使える」「いつか使いたい」「これを持っているだけで憧れの存在に近づいた気がする」という気持ちから、どうしても手放すことができません。

私の場合は、お菓子の道具がそんな感じでした。
お菓子を作ることができる私をパーソナリティに加えたかったので、年に数回しか作っていないのに、結構立派な菓子作りのツールが揃っていました(笑)
しかし、ある日から、買った方が断然美味しいし買いに行く手間だけで済むのだから、作らなくていいのでは?と考えるようになってからは、不要な道具の処分もサクサク進んだし、今では菓子作りの道具は一切なくなってしまいました(笑)

憧れから集めたモノは、たしかに素敵なモノや必要なモノも多いのでしょうが、モノを集めることに意識が集中してしまって、最終的な目標である憧れの暮らしに向かえていないようであれば、一度全部リセットして、再度憧れの暮らしをしたいかどうかを、自問したほうがいいのかもしれないです。
私は、自問した結果、憧れはあるけれどそこに行きつくまでのプロセスを面倒に感じてしまったり、最終形が好きなだけで、その工程には興味がないと自覚したりして、自分ではそんなに好きではなかったみたいだな、と気が付いた物事から順に手放して処分してきました。

憧れは新しく持てばいい
いろいろと手放した結果、いろいろと考えることがなくなって、思考の整理がしやすくなってきました。
持っていたモノが少なくなったおかげで、メンテナンスに使っていた時間を自由な時間に変えることもできました。
時間ができたおかげで、将来どうしていきたいか、ということがはっきりとわかるようになってきました。
憧れは、一度手放すともう一度集めたり目指したりするまでに時間がかかるかもしれませんが、そういう時は新たな気持ちで、もしくは新しい憧れを持てばいいと、今では思います。
憧れに近づくために、無理をして暮らすくらいならば、私は「今」を充実させて、楽しく暮らしたい気持ちが大きいです。
だから、今の憧れは「私が楽しく暮らすこと」になりました。
心の底から好きなモノを使い、好きなことをして、苦手だったり嫌いだったりすることも、自分が楽しめるように方法や行動を変えていく。
そんな暮らしを、この先少しでも長くしていきたいと思っています。


本日は、ダラダラと綴ってしまいました。
私の中の結論としては、憧れはそんなにたくさん持っていても仕方がない、ということ(笑)
憧れは、たったひとつでも十分人生楽しめますからね。
今、モノがたくさん溢れている家(や部屋)で暮らしていて憧れる暮らしがいくつもあるという人は、憧れを1つに絞ってあとの憧れ関連のモノは潔く手放して、今を楽しめる状態にしてほしいな、と思います。

捨て曜日に処分するモノとついにアレを使う日がやってきた話

2020-12-14 | 日々の暮らし
本日は捨て曜日につき、いくつか処分したモノがあります。
また、ついに購入していたダウンコートを使う日がやってまいりましたので、そのことについて綴ります(笑)

処分するモノ
今回は、

 ・ワイドパンツ 1本
 ・ボトムハンガー 1個
 ・2021年のカレンダー 2個

この3つを処分します。

ワイドパンツとボトムハンガー
ワイドパンツは、数年前にセールで購入したモノです。
サイズはピッタリですし、どこも悪くなってはいませんが、少し不満があったため、今回処分することにしました。
不満があった箇所は3点。

 ・ヒップポケットがダミー
 ・クリーニング以外は不可(水洗いやおうちクリーニングはできません)
 ・毛玉ができる

履きやすさの点で言えば、セールのわりにかなりよかったのですが、上記3点においては度々不満を感じていました。
まず、ヒップポケットがダミーなので、収納力が弱い。
私は、極力大きなバッグを持ちたくないので、ポケットはどうしても必要です。
2つで間に合うことが多いですが、足りなくなる場合も結構ありますので、ヒップポケットがないなんて、不便この上ないですし、そもそもダミーを付けるくらいなら最初からポケットがないデザインとして販売してほしいですよね。

クリーニングと毛玉については、メンテナンスにかける手間が面倒くさく感じてきていたから。
クリーニングに出せば、毛玉処理もお願いできるのですが、素材の性質上履いた日は必ずブラシをかけないと、結構みすぼらしい感じが出てきてしまいます。
購入時は、サイズもあっていたし、細かいチェック柄で上品に着ることができそうだと感じたのですが、そういう服は大体お手入れを念入りにする必要があるのですよね。
そういう服は今後持っていたくないので、処分します。
ワイドパンツを処分したことで、ボトムハンガーも1個不要になりました。

2021年のカレンダー
現時点で、我が家には3つの壁掛けカレンダーが届きましたが、母の部屋用の1つだけを残して、あとは処分します。
これから、年末までに再度我が家に入ってきても処分します。

なぜ、来年のカレンダーを処分するのかというと、家には1つあれば十分だから。
今年までは、私の自室にも壁掛けカレンダーがありましたが、描き込む予定がほとんどないし、私が把握しておきたいカレンダーの予定はパソコンとスマホで管理できるので、来年からカレンダーは母の部屋にだけにしようと決めました。
ただ、今まで結構カレンダーに頼りながら生活していたのだな、と思うこともちらほらあります。
不便ではないのですが、予定を確認する際に、無意識に目がカレンダーを探してしまいます。

ところで、処分どころかまだ購入すら検討していないのですが、スケジュール帳はもう持たなくても大丈夫かな、と思っています。
今、手元にあるのはフリーノート(罫線や方眼線が入っていないノート)と野帳(方眼線あり)ですが、野帳をワンフレーズ日記にして、フリーノートは本気のフリーノートとして活用する予定です。
本気のフリーノートというのは、とにかく手書きしておきたいことは何でもそのノートに書いておくということです。
メモでもいいし、日記に書ききれないことだったり、何かについてのちょっとした情報だったり、落書きしたいときもそのノートを使おうと考えています。
今はパソコンやスマホで日々の管理はできるし、クラウドサービスも充実していますから、わざわざスケジュール帳を購入するのではなく、自由にカスタマイズできるノートやメモ帳を使って効率的に行動していけたらな、と思います。

寒波がやってくる、アレを使うときが来た(笑)
本日も結構冷える一日でしたが、明日はなんと最高気温が一桁になり5℃を下回るとのこと。
ということは、先日購入したダウンコートが活躍するときが来たということですね!
いや~、もし今年暖冬だったらほぼ袖を通さずに過ごす恐れもありましたが、無事着用することができそうです(笑)
本日までは、裏ボア付きジップパーカーを着ていましたが、気温が一桁台で5℃を下回るとなると、裏ボア付きジップパーカーでは、寒さを完全に防げませんからね。
さて、新しく購入したダウンコートは、いったいどのくらい暖かいのか、ちょっと楽しみでもあります。


明日は、家庭ごみ回収日なのですが、ごみ捨てに出るのが億劫です(苦笑)
寒いと、ちょっとしたことでも外に出ることが嫌になりますね。
だけど、温泉には行きたい季節ですよね。
温泉でのんびりして、美味しい地元のお料理を頂きたいですが、それも今年は我慢しないといけない感じになってきましたので、家のお風呂に温泉の素を入れて気を紛らわせるとしますか(笑)

掃除機をスティッククリーナーに替えたその後の話

2020-12-13 | 日々の暮らし
掃除機をキャニスターからスティッククリーナー(コードレス)に替えてから、3回ほどかけてみました。
スティッククリーナーに替えて、我が家の掃除事情がどのように変化したのかを、本日は綴ります。

キャニスターが嫌だった
キャニスター型の掃除機は、本体とコードが常について回ります。
そのため、少しフットワークが悪くなります。
お金持ちや海外の家のように、フロアがかなり広くて、家具と家具の間も余裕があるのであれば、キャニスター型の方が吸引力も上なので、掃除には適していますが、我が家のような狭い集合住宅の場合、家具があろうとなかろうと、キャニスター型は結構邪魔な存在だと思います。

そのことは、かなり前から思っていたことでしたが、まだ壊れてもいない掃除機を買い替えるのは、人としてどうなのかと思ったりもして、いまいち踏み切れませんでしたが、先日とうとう我慢の限界を感じて、スティッククリーナーへ買い替えることにしました。

スティッククリーナーが届いた翌日
新しいスティッククリーナーが届いてからフル充電をして、翌日にかけてみたところ、コードはないわ本体が足元にまとわりつくことはないわで、かなり自由度が高い掃除ができました(笑)
吸引力という点では、評価が難しいのですが、こまめに使う分には十分だと思いました。

キャニスター型を使用していたときは、とにかく掃除機を出すことが億劫だったので、週に1回しか掃除機をかけていませんでした(他の日は、カーペットクリーナーシートやク〇ックルワイパーで済ませてました)
1週間分の埃は案外多くて、吸引力が強い方が隅々まできれいにすることができるので、逆に言えばキャニスター型の方が適していたと言えるかもしれません。
埃が多いからキャニスターにするのか、キャニスターの準備をするのが億劫だから埃が溜まってしまうのか(笑)

結局、掃除機をかける頻度が多ければ、埃は溜まったりしないので、マメに掃除機をかける人であればスティッククリーナーで十分なのかな、と思ったのは、3回目に掃除機をかけたときでした。
最初の2回は、結構ごみと埃が取れたのですが、3回目は最初の2回に比べてごみも埃も断然少なくなっていたので、季節などの影響もあるかもしれませんが、マメに掃除機をかけた結果ではないかと思います。

出したり片付けたりが簡単
キャニスター型だと、大きさもあるのでしまっておく場所が限られてきますし、スペースも案外取ってしまいます。
また、少しでもコンパクトに収納しようとすると、パーツをたくさん外さなければいけないし、コードは巻いておく必要があり、かなりの手間がかかります。

その点、スティッククリーナーは、タイプにもよりますが端っこに立てかけておけば、いつでも出し入れできて好きなときに稼働させられますし、もしコンパクトに収納するとしても、パーツが少ないしコードもないので、準備がかなり気楽。
ちょっとしたごみを、少しだけ吸い取ることもササっとできます。
この、出し入れが簡単という点は、かなり家事の負担を軽減してくれる要素だと思いました。

細かいところは難しいけれど気にしない
スティッククリーナーやロボット掃除機は、どうしても隅々の埃を吸うのが苦手ですが、スティッククリーナーは付属品を利用すれば大体は大丈夫ですし、キャニスター型を使っていたときは、本体を動かすのが面倒くさくて、結局隅々のヘッドが届かない部分は適当に掃除していたので、私の場合は問題は感じませんでした(苦笑)
むしろ、スティック型はハンディクリーナーとしても使える分、キャニスター型では届かなかった場所をすぐに掃除できるので、以前よりも掃除機をかける気になる範囲が広がっているかもしれないです。

ダストケースのごみが出しやすい
我が家で今まで使っていたキャニスター型掃除機も、新しく購入したスティッククリーナーもサイクロン式なので、ダストケース(ダストカップ)に直接ごみや埃が溜まっていき、ごみ捨てラインまで溜まってきたらケースからごみをダイレクトに捨てることになります。
サイクロン式だと、どうしてもダストケースの掃除をこまめにしないといけないので、この点はキャニスター型もスティック型もあまり差はありません。
ただ、我が家で使っていたタイプはバージョンが2つくらい前のタイプだったので、水洗いできる箇所が少なく、ダストケースの掃除は結構手間がかかりました。

今回購入したスティック型は、水洗いしたい箇所は全て水洗いできる仕様になっているので、その点では助かりました。
また、ごみ捨てもわざわざ本体から外さなくてもできるので、キャニスター型よりは手軽にごみが捨てられます。
キャニスター型は、どうしても本体からダストケースを外す必要があるので、アクションが1つ多いですから、たった少しの違いですが、家事の負担軽減や時短を考えると、スティック型の方がいいですね。

稼働時間と充電時間
コードレスなので、電池の稼働時間が気になるところですが、キャニスター型はどうしても足元を気にしたり、コードを邪魔にならない位置に動かしたり差し替えたり、ホースも思ったようには動いてくれなかったりと、いろいろアクションが多く、掃除機をかける時間が結構かかっていたように思います。
しかし、スティック型にしたら、余計なアクションがなくなったので、掃除機をかける時間そのものが短くなり、電池の稼働時間内(標準モードで30分程度)でしっかり掃除が終えられています。

充電時間も気になるところですが、一日に何度もかけるようなことはしないので、今のところ問題はありません。
問題が出てくるとしたら、充電池が劣化してフル充電しても稼働時間が短くなってしまう数年後ですから、そのころにはまた新しいクリーナーとの交換購入を考えていると思います。

少し失敗したと思ったこと2つ
少しだけ、失敗したかな、と思っていることが2つあります。
1つは、充電池が内蔵されている点。
内臓されているので、充電時はACアダプターを本体に差す必要があり、どうしてもコンセントに近い場所に本体を置く必要が出てきます。
これが取り外しできる充電池であれば、本体の場所は気にせずに充電できるし、充電池の寿命がきても充電池だけ買い替えればいいので、その点はもう少し考えてから購入すべきだったかもしれないと思っています。

2つ目は、スティックが入りにくい場所の掃除が難しい点です。
まあ、形状からして想像できる事柄ではあるのですが、今まで使っていたキャニスター型掃除機に付属していた延長ホースがあったら、細かい隙間にも掃除機がかけられたな、と本体と一緒に下取りに出してしまったことを、少しだけ悔やんでいます(笑)
もし、機会があったら、便利グッズとして延長ホースだけを購入してみようかな、と少し考えています。

重さはもう少し軽い方がいいかも
失敗したとまでは思いませんが、使う人によっては1.6㎏は重たく感じるかもしれません。
私も、30分間持ち続けるとなると、少ししんどい気がしました。
腕力がない人は、それこそ軽量である点でも評価が高い、マキタのスティッククリーナーがいいかもしれないです。
ただ、以前に比べて掃除に費やす時間そのものが短くなりましたから、そこまで気にする必要はない気がします。
慣れたら、重さも気にならなくなるかもしれません。

コードレススティッククリーナー総括
もし、掃除機の出し入れ、ダストケースのごみ捨て、ダストケースや本体のメンテナンスに不満を感じている人には、是非スティッククリーナーに買い替えてほしいと思いました。
人によっては、使い辛いと感じるかもしれませんが、面倒くさがりで掃除をする時間を短くしたいと思っている人には、絶対的に向いていると思います。
今現在、埃やごみが溜まってしまいがちな部屋だったとしても、スティッククリーナーでマメに掃除をしていると、徐々に埃が溜まらなくなっていきますから、私個人としてはおススメのアイテムです。

結論として、私はキャニスター型を手放してコードレスのスティッククリーナーに替えて、本当によかったと思います。
もう、おそらくキャニスター型には戻れないと思います(笑)


掃除機もそうですが、もし今使っている家電品が使い難いと感じていて、家計に余裕があるのならば、思い切って買い替えるのがベストなのかな、と思います。
もちろん、真新しいモノを次から次へと買い替えろとは言いません。
ただ、数年使ってみて、いまいちだと思うのであれば、自分が想定していた買い替え時期を前倒しにした方が、暮らしの快適度が上がるのかな、と感じました。
家電品は、高価なモノが多いので、なかなか決心できませんが、これから先、今使っている家電品に対してストレスが溜まるようであれば、潔く買い替えるという選択を優先したいですね。

配信先メールアドレスの変更に時間がかかった話

2020-12-12 | 日々の暮らし
ふと思い立ち、メルマガやお知らせ系を受信しているメールアドレス先を変更することにしたのですが、結構大変でしたので、そんな話などをちゃちゃっと綴ります(笑)

プロバイダメールからGメールへ
今まで、メインで使っていたプロバイダのメールアドレスに、メルマガやお知らせが届くように各方面に設定していましたが、急に「もし、プロバイダを変えることになったら、アドレス変更が面倒くさいな」と思い、とりあえずGメールに変更することにしました。

特に考えがあっての変更ではないのですが、今使っているプロバイダは、この先、なんらかの形で生活環境が変わると変更することになる可能性が高いです。
それがいつになるのかは、正直なところ予測できませんが、その時になってバタバタと変更するのは、きっとかなりの労力が必要だと思ったので、あらかじめ変更しておくことにしました。

お知らせ系
お知らせを受信したい内容で、いちばん重要なのが支払い系です。
クレジットカード、光熱費や公共料金、ネットショッピング、そして今は無職ですが仕事を再開した際は仕事関係のメールも大切ですね。

交通系と旅行会社
現在、航空会社3社とJRに会員登録をしています。
会員になると、いろいろなシーンで特典や割引が受けられるからです。
ただ、実際よく使うのは航空会社1社とJRだけですので、あまり使用しない航空会社2社は退会した方がいいか、迷います。

旅行会社は、ほとんど利用しない会社の会員登録は解除しましたが、JTBだけ残しました。
私は、不思議とJTBの旅行プランをよく利用するのですが、おそらく行程に自分が行きたい場所が漏れずに入っていることが多いからだと思います。

ショッピング系
これは、結構ありました。
楽天、セゾン(とその関連サイト)、ユニクロ(GU含む)、個人的に好きなお店の直販通販サイト、ネットスーパーなどです。

ファンクラブ系
プロスポーツチームとアーティストのファンクラブの公式サイトですね。
チケット情報は、今年全く役に立ちませんでしたが、来年こそは観戦やライブに行きたいです。

ニュース系
日経デジタル、ナショナルジオグラフィックに、無料購読会員登録をしています。
特に、専門的な内容や少しコアな内容が、読みごたえがありますね。
最近は、遺跡発掘関連や、恐竜の化石の話などに興味を惹かれます(笑)

チケット系
スポーツ観戦やライブの他に、観劇や映画鑑賞も好きなので、一般的なチケットサイトに登録していますが、これも今年はほとんど使う機会がありませんでした。
ただ、配信ライブのチケットはファンクラブのサイトを通して、ぴあで発券しました。

iTunesとApple
まあ、セットで登録してますね。
たまに、配信限定の曲を購入するのですが、今後は積極的に利用するつもりです。

ここに書き出しただけでも...
まだ、書き切れていない登録先もありますが、とにかくメールアドレスを登録しているところが多いこと(苦笑)
思い付くままに、頑張って登録メアドを変更しましたが、2時間くらいかかりました。
もともと、そんなに使っていない登録先もあり、IDやパスワードを調べながらの作業なので、時間がかかります。
また、メアドを登録していたつもりだったのに、登録していなかったというパターンもあったので、ムダな労力を使いました(苦笑)

本当は、もっと以前に変更するつもりでいたのですが、ついつい後回しにしていました。
とりあえず、最近受け取っていたメルマガやお知らせ元を中心に変更していきましたが、きっと変更漏れがあるはず。
あ、そういえば、登録解除したつもりでいた派遣元のお仕事紹介メールも届いていましたから、そちらは登録解除しておきます(笑)
あと、興味が薄れたメルマガは、さっさと解除しなければ、と思っていますが、ついつい後回しになってしまいますね。
ダメだなあ。


ということで、本日は受信用のメールアドレス変更作業のお話でした。
そして、本日わかったことは「メルマガは要らない」でした(笑)